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これはやきもちでしょうか?

兄弟で親が兄より弟をかわいがったら兄は「弟だけずるい!」と思う気持ちや 社会生活で自分の時代はものすごく厳しかったのに後輩の新人の代はすごく甘やかされているのを見て 「後輩だけずるい!私はあんなに厳しかったのに!」と思うのはやきもちでしょうか? やきもちではなく、自分の気持ちを誰かにわかって欲しいだけなのでしょうか? 私は上記の二つの例の経験があります。 何かアドバイスお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • higekuman
  • ベストアンサー率19% (195/979)
回答No.1

「自分がされて嫌なことは、他人にしない」 という考え方であれば、 「先輩にされたことで嫌な思いをしたから、後輩には嫌な思いをさせないために同じことはしない」 ということになると思います。 「自分が嫌なことをされたけどその人には仕返しできないから、自分より弱い人に対して八つ当たりをする」 という考え方であれば、 「先輩にされたことで嫌な思いをしたから、後輩にも嫌な思いをさせるために同じことをする」 ということになると思います。 実際に行動に移すかどうかは別にして、あなたの場合は基本的に後者の考え方なんでしょうね。

wivea
質問者

お礼

そうかもしれません。 ご回答ありがとうございます。

その他の回答 (3)

noname#82286
noname#82286
回答No.4

no3です。付け加えです。  もう少し心理を探ってみるとこの現象は一言で言ってしまうと「隣の芝は青く見える」ということであると思いますが、そこには自分にしか感じられない不満やなんやらのマイナス思考の感情をついついその次元で比べてしまうということだと思います、弟は弟なりに後輩は後輩なりに不満なりなんなりを違いはあってもまったく持っていないとは考えにくいです、ですが当人で無い以上予測しきれない一面があるが故に相手に「不満はないのではないのか?」と思い込んでしまうわけです  よしもわるしも人間は少しでも不満は吐きたいわけで、それが「ついつい身近な存在と比べてしまった」という現象になるということだと思います  なので身近な存在と比べて不満を吐くことを無意識に正当化しているということもある視点からはいえると思います そこで怒りも発生してると思うのですがなぜ怒りが発生するかといえば 比べて崩れたからだということだと思います、つまり不満はありつつもそれを不満とも思わず心地よく毎日を過ごしてきたわけですからその【心地よく】を一時心理構造から解離させられたということによって怒りが発生しそれと同時に不満が吐かれるという構造になっているのだと思います

wivea
質問者

お礼

確かに「隣の芝は青く見える」と同じような心理ですね。 再度ご回答ありがとうございます。

noname#82286
noname#82286
回答No.3

 いろいろな観点があるのだと思いますが 個人的に今のところ答えられそうなのは構造性と感情性のみなのでそこの観点でのみ今回は答えてみたいと思います。 構造性としては簡単に不条理ということだと思います。  自分が裕福であったり得をしていると時には「後輩だけ厳しくてずるい!私はあんなに優しかったのに!」という言葉を発する人は自虐反動(「鍛える」などの形容詞が当てはまるような)自尊心ばかり強い人を除いて聞いたことはありません。  そう考えると公平もしくは自分の方が得である場合はそのような気持ちには一部を除いてはなりにくい傾向があるのだと思います、まあ時と場合にもよりますが今のところそうだと思います、これを考えると大まかに「公平であれば文句は無いが不公平である場合は正直文句がある」ということだと思います。  つまりこれは「公平か公平より不幸であれば文句はないが公平より幸福である場合は文句がある」というのが正直な自己主張だと思います 良しも悪しも厳しかったり我慢させられたりしたわけですからそれが不条理だと知らしめられたわけですからどうにも腹が立つということだと思います、これが現在は無関係だとか関連性がなくなっているのあれば自分の損得はもはや無関係ですので腹が立つということはないと思いますが、これが関係性や関連性がいまだに高くなおかつ共存しているとなればなおさら怒りが沸いてきます  これは個人にもよりますが【不条理なこと】となってしまってからの問題だと思います、つまり【不条理なこと】とならならければ別に怒りなんか沸いてこないわけです、ですが後輩やら新人やらの接し方等を見て【不条理なこと】という形に変化した場合個人によっては引き起こるということだと思います、人間はどうしても自己安定を目指そうとする一面があるみたいで自分と他者との関係においてもそれを持ち出すことがあるようです、そこで一番好ましいのは安定というものです、ですが安定というのも毎回訪れるわけではないわけで時には崩れることがありそこで怒りという感情が漏れ出してくるというのがある人間にとっては心理構造となっているのだと思います、とくに今回の場合自己の安定性にとっては「厳しかったけどいまとなってはいい思い出」としたいわけですが不条理である分その安定性へ目指そうとしていた自己構造を崩される結果へいたるわけですから腸煮え返るような気持ちになったということだと思います、特に幸福という感情は自己の褒美として欲しているといったところだと思います、これは動物にもみられる現象で餌を奪おうものなら相手が強くない限り一時は怒りの感情が出てきているものと思います、なので幸福というのは快的な感情が混合しているのだろうと思います、幸福感情の感情構成要素を僕が全部知っているわけではありませんが快の感情が混合しているというのは安易に推測できます、なのでその快を回復しようとその不条理な形を形成した対象に威嚇という形で一時現れてくるのだと思います  しかし人間ですので実際にそのような行動を取るわけにもいかないわけでその感情はそれ以外の心理構造と融解するわけです、なので【やきもち】と感じるわけです。  

wivea
質問者

お礼

大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。

  • polax
  • ベストアンサー率37% (16/43)
回答No.2

嫉妬の根源は寂しい、認めてもらいたい、と感じる気持ちだと私は思っています。 「弟ばかり可愛がられているように感じたんだね。それはツライね。 でも実は親から頼りにされていたんじゃないかな。本当はもっと甘えたかっただろうに自分の気持ちを兄という役割のためにこらえたりしてよく頑張ったね。偉いね」 「後輩ばかり甘やかされていると感じて腹が立ったんだね。わかるなぁ。でもきっとあなたは仕事ができるから甘やかされなかったんじゃないかな。私だったら頼りにならない人や自分に迷惑が振りかかってしまいそうな人には適当におだてておいて肝心なところで関わらないようにするよ。だって注意して拗ねられても面倒くさいしエネルギー使うしね」 ・・・なんて言われたらどう感じますか? その感じた気持ちが答えなのではないでしょうか。 ちなみに、質問者様の感じるような気持ちはごく自然な感情ですよ。 上手な発散方法を身につけられると良いですね(^^)

wivea
質問者

お礼

自然な感情ならよかったです。 ご回答ありがとうございます。

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