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もういないのに実感がわかない時は
こんにちは。私は今、実家から遠く離れた大学に通っています。 先日14年家族の一員だった愛犬が亡くなりました。兄弟がいなかったので私にとっては本当の弟のような存在でした。病気がちだったのは聞いていたのですが家に帰れるはずもなく、このようになってしまいました。ただ、全く実感が湧きません。あんなに大事な家族だったのに親からその話を聞いても何も感じなかった自分が気味が悪いです。 以前祖父母が亡くなったときも私は家に帰れる状態ではなく、お墓参りをしたのが半年後でした。それでも、今でもまだ両方ともいないという事に実感がもてません。亡くなってしまったことよりも、涙声で親が電話してくれたのに何も感じられない自分が気持ち悪いのと申し訳ないのとでとても寂しくなってしまいます。もし同じような経験をされた方がいましたらどのようにしてその事実を受け止めたか教えてください。
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私も同じような意見です。 5年前に大好きな叔父さんが亡くなったのですが、信じられず・・・というかきっと見守っていてくれているし、また会えると心のどこかで思っています。 お葬式で叔父さんが棺桶に入っている姿を見ても涙は出てこなかったし、悲しいというよりも寂しい?という感情がうっすらあったのを覚えています。 私は事実を無理に受け止めようとしなくてもいいと思いますよ。
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- e-toshi54
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壮年、男子。 小生も、学生時代に祖父が逝き、実父が逝き、その後何年かして母もみまかりました。 そのような出来事の間、自分もそれほど悲しいという気持も湧かず、兄弟も淡々と日常を過ごしていたように思います。 自分も含め、何故ドラマのように悲嘆にくれないのか不思議な感じがしています。 かといって、何十年も経った今でも、父の優しさや強さを今でも充分に思い出せますし、「人間の悲しさ」という部分では、今になってわかる・・・という心境です。 多分、自分の息子も小生の死そのものには、大して悲しまないと思います。それより、「そんなこと」には目もくれず、将来に向かって生きて欲しいと思っています。少し寂しいですけど、いつか人生の共感を覚える日があるだろうと思っています。 ドラマはドラマ、現実は現実。今の自分の気持を偽る必要はないと思います。