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愛情不足な環境で育った人間はどう成長するか。
こんにちは。 初めて質問させて頂きます。 唐突なのですが、愛情不足な環境で育った子供は大人になるとどんな傾向があるのでしょうか? 私は母子家庭で育ちました。 親には苦労こそかけましたが、特に愛情不足を感じたこともなく、 今も平和に平凡に暮らしています。 しかし以前、同じように母子家庭で育った友人(こちらの方がもっと複雑な家庭環境だと思われます)から、 「やっぱり、片親で育った人は変わってる。あなたも変わってるもん」と言われたことがあります。 あまり深く突っ込まなかったので真意はわかりませんが、 自分と同じものを感じる、という意味の発言だったようです。 私は貞操観念や倫理観があまりない所があり、 彼女がいる男性のことを好きになることが多いのです。 先日ネットサーフィンをしていて、 『恋人がいる人を好きになり、相手が振り向くと途端に好きじゃなくなってしまうような人間は、 子供の頃十分な愛情を貰って育っていない可哀想な人間』 という記述を目にしました。 相手が振り向くと好きではなくなる、ということはあまりないのですが、 彼女がいる人を好きになる、そういう傾向があるのは確かです。 また、自分に恋人がいても他に好きな人を作ってしまったり、二股していたこともあります。 以前また違う友人(同じく母子家庭)には、 「心理学を勉強している人に言われたんだけど、 母子家庭みたいに男性がいない家庭で育つと、男性との距離感がつかみにくくなるらしい。 父なのか兄弟なのか友人なのか、区別がつかないから、すぐ好きになってしまうんだって」と言われました。 私もその友人も、すぐ人を好きになりやすいので、この話には非常に納得しました。 私は自分の貞操観念や倫理観があまりないこと、また恋愛に一途になれないことが 自分のウィークポイントだと思っています。 どうにか改善していきたいのですが、この今の状況が家庭環境に関係しているのかどうか判断して頂きたいのです。(難しいとは思いますが・・) ちなみに22歳女です。 よろしくお願いいたします。
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相変わらず長文です。覚悟して読んで下さい(笑) > もしかしたら外的要因(この場合家庭環境)もあるのではないか? なるほど、判りました。 (理想的な両親や母子家庭の場合で)両親がそろっている場合と、 片親だけの場合どのような、違いがあるのか? 考えてますと、以下のような違いがあると思います。 1)親が子どもを叱る(叱られる)場合や親と対立した場合の逃げ道 ・両親がいれば、片親が怒っても、もう片親が慰めてくれるとかの 怒りを緩衝してくれる働きや、子どもの避難場所に成ったりもします。 ・一方、片親だけの場合、緩衝的な役割がなく、直接怒りを受けます、 子どもにとっては、逃げ道がなく、対立したときには、 完全に対立したままか、不本意でも親の意見を受け入れざるを得なくなり 折衷案的な解決方法を経験しないままに大人になると思われます。 もしかすると、一か八か的な性格が形成されるのかも知れません。 2)もらえる愛情のバリエーションの多さ(二人分) ・余り説明の必要はないと思いますが、二人分のタイプの違う愛情をもらい 愛された経験ができます。 ・片親だけの場合は、主にひとりの親だけの愛情・・・愛し方を受け入れること になります、その分、愛情の濃密度は濃いかも知れませんが、片親では 経験できない愛情表現があるかも知れません、そしてそれが特に母子家庭の 場合には、ふた親のそろった家庭との男性からの愛情経験の差・・・が 男性との関係(距離の取り方)に影響(※)を与えている可能性があります。 (※惚れっぽいとか、騙されやすいとか、質問にeco39さんが書いてあることです。) まだまだあるかと思います。この辺が大きな差かなと思います。 3)そして、『倫理観』については、上の両親が居た場合と違って、 母親の性格的な部分に左右されてしまうことが大きいのです。 交流分析の理論では、倫理観は主に、父性的な性質をもち、両親が健在の場合 子どもは、どちらかというと父親側から倫理観を受け取ることになりますが、 母子家庭で、なおがつ母親がそういった父性的な厳しい部分が少ない場合、 子どもの倫理観は育たないまま大人になって行くことになります。 (このことを心配して厳しく躾けた場合や、母親が倫理観に厳しい場合また別ですが…) 兄弟関係だと、兄弟同士の相性問題や親の愛情の取り合いなども有り、 理想的な兄弟関係は、ちょっと考えられないです。 これは↑我が家の愛憎ごちゃ混ぜの兄弟関係が邪魔して考えつかないのかも(笑)スイマセン! > これは具体的にどのようにすればいいと思われますか? > 好きという感情をコントロールする術を身につける、 このような、1)2)3)性質が自分の中にあるのを感じたら、 そういう性質が悪い方向に向かわないように、 初期段階で少しづつコントロールすれば良いと思います。 その為に、先ず自分を正確に知ることかも知れません。 カウンセリング受けることや臨床的な心理学を学ぶ事も役立ちますし、 交流分析(※)などは、論理的で解りやすいのでお薦めですし、 意識して、友人や他人との比較することや世間を知ることが、 自分を知ることにつながると思います。自分はいつも他人や世間との “あいだ”に立現れて来るものです、自分の好み・好きなものを 追求し探してみて下さい。案外好みと思っていたものが、幼い頃の 男性像の残骸なのかも知れません(笑) 余談ながら、世間で言われる『自分探し』がもっとも自分を解らなくし 混乱を招く一番下手(上手?)な方法だと私は思います。 最初の一歩はそれ自分の性格を自覚することから始まります、 人は、無意識・無自覚の好みや嗜好に引きずられて、 異性を求めていたりします。無意識に理想の父親像を男性にみていないか? 子どもの頃どんな父親が欲しかったのか?ちょっと思い出して書出してみてください。 その理想の男性(父親)のイメージを、異性に投影していないか? 経験したことのない異性の行動を愛情と勘違いしていないか? いままでに、好きになった、つきあった男性達を通して共通項を探すのも方法です。 その人達は、無意識に引きずられて好きになったものではないのか? 検証してみる必要があるだろうと思います。 勿論、無意識が幸せに向かっているなら、問題ないでしょうが、しかし、 多くの場合、幼い無意識に支配された嗜好は、不幸な結果を招く事になります、 なんであのような酷い男性を好きになったのかと後悔する場合がとても多いのです。 その為、燃え上がった恋心が長続きしないのです。 私にも遠い昔(オイオイ!)に経験がありますが、本格的に好きになる前の段階なら 理性的に、感情を抑え変えることも可能です。最初の段階で徹底的に調べて 行くか止めるか決めると良いですよ。大火事に成る前に消し止めるのが、 感情のコントロールの方法です。感情は思考の結果生まれるものです。 考え方・受け取り方を変えれば、感じ方が変わります。 例えば、倫理観の薄い性格の場合、相手側にも倫理観の薄い人を選ぶ傾向があります、 その結果、不倫や犯罪の被害者や加害者になることさえあります。 「君子危うきに近寄らず」「無事これ名馬」世間で言い継がれて来た言葉は、 やはり、真実を含んでいると思います。 まして、貴方は女性です。倫理観の薄い男は、薄い倫理観を正当化する為に、 自分勝手な倫理観や屁理屈を持っていることが多ようです。 そういった男達とつきあうのは、危険なことでもあります。 そして、科学的な実証はされていませんが、経験上、 江原氏や三輪氏の言う正負の法則は、やはり在るものと思います。 不倫とかの世間に顔向けの出来ない方法で結ばれても、大病したり 別れたり、殺し合ったりと、そういった心理傾向をもつ人達のグループでは 不幸な結果になるプログラムに支配され従って、無意識に動いて居るのですから… > 男性と接する機会を減らす、等でしょうか。 これは、むしろ逆だと思います、と言っても特定の男性ではなく男性の友人を 沢山作ってみてグループや大人数で沢山の男性と楽しく付き合ってみて下さい。 男性の友人を沢山作ると男性的な思考ややり方、行動、見方を学べますし 相談も出来ます、ひとりの男性に夢中になり他人が見えなくなるのが 最悪のパターンだと思います。まだお若いのですから、誠実で人間として 良い男をとは?どんな行動をするのか?考えて観察して、 ひとりでは心許ないなら色んな友人の意見を取り入れて、 男性を選ぶ眼を養ってみたら如何でしょう。 故事曰く「己を知り、敵を知れば、百戦危うからず」と言うことです。 お節介ながら、お礼の疑問にお答えしますと、 > これは、幼少期のときにということでしょうか? そうだと思います。 > 父の愛、兄弟の愛が足りなかったから、母との信頼関係が崩れたということですか? そういうことはありません、元々に父や兄弟は存在しないのですから、 父・兄弟の愛に関わらず、母との関係は親子の二人の間の関係です。 そこに元からなかった愛の不在を感じることは、普通にはあり得ません。 (子どもに限らず)人間は愛が欲しい生き物です、 特に親の愛情は子どもの「心の栄養」と言われています、 欲しいときに親からの心の栄養が十分でないなら、幼い子どもは 「親が悪い(他罰的傾向)」や「自分が悪い=愛される資格がない(自罰的傾向)」の 傾向がつよくなります、心の栄養失調が余りに過ぎると、成長してから 「他人を信じられない」とか「自分を信じられない」とかの要素が強くなり、 (中には、両方の要素を強く持つ人も多くいます。) ここに倫理観の希薄さや誤った価値観が重なると、 前者では、最悪の場合「殺人者」後者では「自殺」という結果を引き起こします。 「他人を責めるまたは、自分を責める」このことが人間不信の正体と思います。 このふたつの考え方では、問題は解決しません、子どもの頃なら考えも幼いので この考えに逃げ込むしか生きる方法が無かったのですが、問題なのは、 大人になってもこの幼い解決方法を自動的に使い続けた結果、 孤独に成って行く可哀相な人達がいるということです。 これは、eco39さんの事ではありませんのでどうぞ心配なさらずに(笑) > 裏切られない何か、を人間に対して求めることは可能なんでしょうか? No.1 の回答者さまの論は、何を意図してなのかは、私には判断できませんが、 「裏切り」と感じる為には、そこに何らかの約束や期待があっただろうと思います。 その「約束」は確約なのでしょうか?伝えてあるのでしょうか? 双方の了解事項なのでしょうか? 「人は皆、自分が基準です」しかし。いつも「他人には他人の基準」があることを 無視したり忘れてしまっています。「裏切り」と解釈する一歩前にもどって どのような「約束」を取り交わしたか、考えて見ては如何でしょうか? そして、信じる強さは、『相手に期待しない・依存しないで信じること』です。 これは、親の愛、母の愛によく似ていると思います。 ※交流分析にエゴグラムという心理テストがあります、 これがすべてではありませんが、自分を知る為の一助となると思います。 検索しても色々なエゴグラムテストが出てきますが、参考URLを貼っておきます。
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- ave-roxas
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こんにちは 心理学的な答えを求めていたらすみません。 一般の意見あくまでも経験での意見を言わせてもらいます。 正直幼稚園から高校までの間が一番身近に無償で 接すると思うので・・・ 私も母子家庭は変わっている、という意見です。 周りの大人や親、クラスの子達といった子がそう言っているせいもあります。 でも人間関係でもめるときはやっぱりあの子は母子家庭。 三人兄弟の真ん中とか。 愛情が欠落しがちな人だっていうのは事実です。 両親がそろっていればまたそんな事は言わずに、 一人っ子だからわがままなんだ。 とか言われるんですが。 何かにつけて理由をつけているだけだと思います。 人間ひとつひとつ見ていけば価値観の違いだけで個性ととらず、 変わっているという片付け方をする人もいるので・・・。 両親がそろっていても、愛情が欠落している人だっています。 他人からの愛情が不足している人だっています。 どこかで何か足りなければ、どこか歪んでいくものです。 それをうまくカバーして大人になっていくのだと私は思っています。 eco39さんはもしそうなら直そうという意思と自覚がある限り、 母子関係というのは関係ないように思います。 恋愛に一途になれない人なんていくらでもいます。 それは母子家庭だからでなく、愛情が欠落してるからでもなくて。 個人の経験上の考えだと思います。 心理学は、確かに納得できるような答えや、 そういわれてみればそうなのかもしれない・・・ と言った事もあると思います。 でも人間の感情はつかみきれないもの。 絶対そうだととらわれないで下さい。 そうでない人もいますが、心理学を勉強するとある程度飲み込まれてしまいます。 あくまで前向きに、人の話に納得しないで自分らしさを持つことが大事なんだと思います。 うまく答えにならずにごめんなさい。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、家庭環境だけではなく、学校、友人関係など多くの要因によって成り立った結果が今の私なのだと思います。 私自身、性格という物は段々に形成されていくものだと思っていますし、実際そうなんだろうと思います。ただ、自分ではどうしようもないもの、根本的なところを形成しているのは子どもの頃の課程ではないか?と考えたのです。 >恋愛に一途になれない人なんていくらでもいます。 もちろん、私以外にもいるでしょうし、同じく悩んでいるかたもいるでしょう。 私は大げさに考えすぎなのかもしれませんね。 ただ、私は自分は変わるべきだと考えています。心理学的な考えを聞いて、納得して終わるわけではありません。足りない部分を知るためには、まず自分のことを深く知る必要があります。こちらで頂いた回答は、自分自身を掘り下げるための材料、方法として使わせて頂こうと思っております。 それからどう行動するかは私次第ですが・・・ >でも人間の感情はつかみきれないもの。 >絶対そうだととらわれないで下さい。 この言葉を胸に止めておこうと思います。 ありがとうございました。
- harrywithers
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eco39さん、こんにちは > 愛情不足な環境で育った子供は大人になるとどんな傾向がある・・・ 別に揚げ足をとるつもりはありませんが、「愛情不足な環境」は、 「環境(外界)」の側にあるのか、それとも「個人(本人)の解釈の中の愛情不足の環境か?」 つまりどんな環境でも本人の受け取り方(性格など)で、 この子供の性格的な傾向は真反対に成ることもあり得ます。 ※臨床心理では個人(本人)の解釈は大変に重要なことなのです、 そこに、性格や疾患の大きな要因があるのですから・・・ ひとつづづ解説して行きます。 1)> 特に愛情不足を感じたこともなく、 こういう感じ方をしている方には、 決定的・根源的な愛情不足による大きな問題点はないものと思われます。従って・・・ 2) > 「やっぱり、片親で育った人は変わってる。 こういう意見は、単なる偏見だと思いますょ、そんなことを言うなら、 人間なんて皆変わっていて、60数億人、一人として同じ人間はおりません、 母子家庭がどうかの差よりも、その人、個人の(上に書いた)「本人が受け取る内的世界」が どのような形をしているかが、性格などの大きな差を生むものです。 そして、『理想的な家庭』も『充分な愛情もらった子供』も現実には存在しません、 親が愛情たっぷりに育てたつもりでも、本人はそうは思えない場合がほとんどですし、 不満や不足のないモノゴトには、人間は満足感が感じられないという事実があります、 つまり、不足があり、始めて充たされることに気付くことができるのです。 光は闇があって存在するものですし、充たされ続けた人間は、充たされたことに気付けません。 両親がそろっていても「内的世界」では片親の家庭も数多くあります。 戸籍上の父親が不在でも、心理的に父親的な存在が居る場合もあります。 3)> 私は貞操観念や倫理観があまりない所があり、 この辺りは、父親的な存在の不在(・・・なんかややこしい表現)が原因かも知れません、 女性(母親)は、どうして理性的よりも感情的な行動が優位になりますので、 規律や観念的な道徳観が希薄になってしまうことはあると思われます。 4)> 『恋人がいる人を好きになり、相手が振り向くと途端に好きじゃなくなってしまう ひねくれた性格は、繰り返された「親からのストレートな愛情が受けられなかった経験」つまり、 愛情の希求への挫折経験によって、『負の愛情(叱られる、叩かれるなど、)でも無いよりはまし』 との観念が出来上がった結果、無意識に自分を傷つける相手を選んで好きになります、 しかも、真っ直ぐ自分に向かう愛情は経験がないので、その人が自分を好きになると その愛情を受け入れる方法がわからずに拒否してしまいます。 しかし、注意して欲しいのは、このような心理学の理論は、あくまで理論値で、 実際の個々の人間は個々の歴史の上の実行値(個性)を持っているのが私たちです。 A=Bという論はとてもわかりやすいのですが、同時に間違いやすい論でもあります 愛情不足だから愛情を希求するのは、当然ですが、その発露の仕方(現実の行動)は その人なりの個人的な、動機・原因・経験・感じ方・考えなどなと色々複雑な要素が 絡み合うものであり、(恋愛)相手の状態・状況も複雑に絡み合うものです。 5)> 母子家庭みたいに男性がいない家庭で育つと、男性との距離感が 確かに、男性(父親)がいないので、そういった欠落感は在るのかも知れませんが 気付けば、意識して直していけば良いことです。 > 今の状況が家庭環境に関係しているのかどうか判断して頂きたいのです。 ひとりの人間と背景を理解するのに、これだけの文章では全く判りません、 カウンセリングルームで、対面し何日も何時間もインタビューすれば、 少しは理解できるかも知れませんが・・・ スイマセン そして、今ある自分が家庭環境に根ざしているかどうかが重要ではなくて、 今ある自分を、良い方向に変えて行くにはどうしたら(どのように考えたら) 良いかが重要だと思いますが、如何でしょう。 例えば、車が壊れたとき、車(部品)が壊れた原因を探るよりも、動かすにはどうするか? 壊れた部品の修理方法を探るのが現実的な対処方法だと思います。 勿論、何度も同じ部品が壊れるなど、必要性があれば、原因の究明は必要ですが、 それは、こういった場では、不可能です。カウンセリングなどをお薦めします。 これは、私の意見で願いですが、(心理学の)一般論はあくまで一般論で、 一般論は、支給されたサイズの合わない既製の服や靴のようなものです、 それに、eco39さんが、自分の心のサイズを合わせる必要などどこにもありません、 それこそ、ご自分を粗末に扱い蔑ろにしていることになります。 もっと自分を尊重して、大切に扱って下さい。 上のような心理学の理論や一般論は、自分をそこに当てはめる為ではなくて、 自分の陥りやすい無意識のワナに気付き、ワナに落ちるのを回避するために使ってください。 『母子家庭で育ったのだから・・・』などご自分を一般論に埋め込まないで欲しいのです。 どのような家庭で育っても、貴方は貴方です、 親は、可能な限り愛してくれていたはずです。 私たちには、自分を知れば意識し自分を変える力があるのです。 解りにくい文章で、長々と失礼しました、 eco39さまが求めた回答に成っていないかも知れません また、余計なことを書いたかも知れません、気に障りましたら申し訳ありませんお許し下さい。
お礼
回答ありがとうございます。 ひとつひとつ解説して頂きありがたかったです。 私には一人同性の大事な友人がいます。その子の両親はずっと仲が良く、弟や妹の話、家族みんなで旅行に行った話など聞いていると、その子が過ごしてきた家庭のあたたかさがあるからこそ今の姿があるのかとしみじみ思っておりました。それが自分の家庭環境について考え始めたきっかけでもあります。 私の中で彼女こそ『理想的な家庭』で育ち『充分な愛情もらった子供』だったのだと思います。 そして、私は今まで自分の内側にばかり原因を求めていたけれど、もしかしたら外的要因(この場合家庭環境)もあるのではないか?と思い、質問させていただきました。 ただ、どこか一般論に当てはめてそれを防壁のひとつにしようとしていたことも事実です。 私自身ウィークポイントだと思っている部分も、実は周りから責められたり指摘されたことでそう思っている部分があります。本当は、今のままでもいいんです。でもそれではいつまでたっても改善しない。ではどうすれば? 具体的な解決策が見つかりません。 >確かに、男性(父親)がいないので、そういった欠落感は在るのかも知れませんが >気付けば、意識して直していけば良いことです。 これは具体的にどのようにすればいいと思われますか? 好きという感情をコントロールする術を身につける、男性と接する機会を減らす、等でしょうか。 それらは根本的な解決につながっていくのでしょうか・・。 なんだか途方に暮れてしまいます。 カウンセリングも検討してみようと思います。 理解力がないせいで、もしかしてharrywithersさまのおっしゃっていることとすれ違っている部分もあるかもしれませんがご容赦ください。 genki_mamaさまから新たな回答が頂けるかな、と思い受付していたのですが、 思わずharrywithersさまからの回答を頂けて嬉しく思っています。 とても参考になりました。ありがとうございました。
- genki-mama
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まずはこちらをご覧ください。 http://homepage3.nifty.com/HATTATU/hitokotobak/05-08.htm 簡単に言うと、「あまのじゃく」と「人情恋しい」の2パターンに分けられるということです。 『相手が振り向いた途端に好きじゃなくなる』という部分はまさにその『あまのじゃく』、そして『惚れっぽい』のは『人情恋しい』のでは・・? 彼女がいる人に恋してしまう・・。少し分析してみましょう。 彼女・彼氏がいる人というのは、恋をしているわけです。恋をしたらフツー、誠実に一生懸命に生きようとしますね。困った人があれば、話を聞いたり、手を貸してやったり、親切に、正直に振舞おうとしますね。だからこそ、『恋をしたら人は輝いてみえる』のでしょう。そして、アナタの好きなタイプは、その『輝いている』人なのです。輝いている人には恋人が居る・・当然です。つまり、輝いている人を見つけるのではなく、恋したら輝きそうな人、を探すのがコツですよ。既婚男性と不倫する女性が『落ち着いた男性が好き』というのも同じで、オトコは結婚して家庭を持つからこそ、落ち着くものなのに、そこに気がついていません。探すなら、『落ち着いた男』でなく、『結婚したら落ち着きそうな男』を探すのがコツなのに・・。わかります? 好きな人が居ても、他に好きな人が出来てしまう。 これは要するに『幸せ』を失うことの恐れから『予備』を探しているのではありませんか、本能的に。 母子家庭で育ってなくても、パパが仕事人間で不在がち、そしてキョーダイはみんな女性、という環境で育った子でも同じような症状を見ますよ。 男性に免疫がないんですね、要するに。だから惚れっぽい or 近寄れない。の両極端になってしまいがちです。 一途になれないというのは、愛情不足の生育環境と関連する問題で、 こどもは誰でも、『愛が欲しい』ものです。母の愛、父の愛、兄弟の愛、など、その時、その時によって違いますが、適切に与えられなかった場合、信頼関係にもヒビが入ります。人間不信になる、ということです。 恋愛しても、一途になれないというのは、どこか不信を抱えているという証拠だと。だからこそ、予備を準備しておこうと本能が働くのか、と。 老人が庭やプランターに花を育て、愛するのは『植物は裏切らないから』とよく言います。水をやり、日当たりを気にかけ、栄養を与え、風や害虫から守ってやれば、花は必ず咲きます。でも水を忘れたりすれば、テキメンに枯れてしまいます。本当に正直です。 アナタも、何か、裏切られない何かを体験なさっては。そして、信じることが出来る『強さ』を身につけてごらんなさい。愛情不足で育ったものはまず『自分に不信』なのです。君が居るだけで嬉しい、というような、『人間肯定』を受けて育たなかったからです。健全なヒトの発達には欠かせない『栄養素』なのです。
お礼
>アナタの好きなタイプは、その『輝いている』人なのです。 そうですね。 確かに、今まで好きになった人は彼女のために結婚資金を貯めている人や、焼き物を作って彼女にプレゼントするような相手に尽くすタイプの人だったような気がします。そういう姿を見て、自分も同じように愛してくれないかなあ・・と好きになっていたのかもしれません。 >こどもは誰でも、『愛が欲しい』ものです。母の愛、父の愛、兄弟の愛、など、その時、その時によって違いますが、適切に与えられなかった場合、信頼関係にもヒビが入ります。人間不信になる、ということです。 これは、幼少期のときにということでしょうか? 父の愛、兄弟の愛が足りなかったから、母との信頼関係が崩れたということですか?それとも他人全般に対して?または、自分に不信を抱くことにつながったのでしょうか? この部分がよくわからず・・・?マークばかりですいません。 裏切られない何か、を人間に対して求めることは可能なんでしょうか? 信じることができる強さも同様に。 そして、どちらも持ち合わせている人間なんてこの世にいるのでしょうか・・ いろいろ書いてしまい申し訳ありません。 的を射ているからこそ、疑問に思うことが多くなってしまいました。 正直、私みたいな人間はたくさんいるだろうし、ただのだらしない若者でしょ、という回答を覚悟(期待?)していました。 でも、genki-mamaさんの回答はこれから生きていく上ですごく参考になりました。ありがとうございました。
お礼
改めての回答ありがとうございます。 じっくり読ませていただきました。 1)2)3)とも興味深かったです。もう少し、自分と向き合って考え込んでみる必要がありそうですが・・ 私は、人を好きになるのも行動するのも「本能」が働いているからだと思っていました。基本的に思い立ったらすぐ行動するタイプだと思っていたので、恋愛もその傾向がああるのだろうと。(それを言い訳としても使っていました) しかし、本能というのはいわば無意識と同じもので、そこに共通点があったり欲しているものがあるのでしょうね。そこには全く目を向けずに過ごしてきました。 私は自分のことをほんのちょっとしかわかっていないようです。 >信じる強さは、『相手に期待しない・依存しないで信じること』です。 この言葉、衝撃的でした。でも、おっしゃるとおりです。私は今まできっと相手にも求めすぎていたのだと思います。 harrywithersさん、ありがとうございました。 harrywithersからたくさん考える材料、方法を教えてもらいました。これからじっくり考える時間をとりながら、回答を何度も読み返すことになると思います。 なんとなく光が見えてきたような気がします。本当に感謝しています。 ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。