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純粋な想いは伝わるものなのか
純粋な想いは伝わるものなのでしょうか? ここでいう「想い」というは、どんな種類のものでも構いません。愛情、友情、信念、善意など、本当に何でも結構です。 ただ、自覚的な悪意のあるものは除いて下さい。 また、伝えるにしても様々な条件があるとは思いますし、伝わるということ、純粋であるということ、伝わるということの定義すら含めて、意見を聞かせてもらいたいです。 私自身こういった問いに明確な答えが存在しないことは重々承知していますが、みなさんの考えを教えてほしくてでお願いしています。 どうかよろしくお願いします。
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「想い」を伝えるということは可能であるかどうかですが、 「限りなく可能に近い不可能」だと思います。 想い・記憶といったものは私の感覚では「色」です。 その「色」を見たことのない者に伝えようと思っても、 意識が違う他人には正確に伝えることはできません。 人は色々なツールを使ってその「色」を他人に伝えようとします。 それは「表情」であったり、「言葉」であったり、「行動」であったり・・。 しかし、どんな媒体を使っても正確に伝えることは不可能です。 「色」を再生する脳が別のものである限り。 もしかしたら、自分が見ている世界は、他の人にとっては 全く違って見えるかもしれない・・そんな不安を持ったことはないですか? それはある意味本当ですよね。 同じ事象に出くわしても幸せと感じる人も不幸せに感じる人もいます。 それぐらい、自分の自意識と他人の意識は違います。 とはいえ、私も経験上他人と深く通じあえたと感じたことは何度もあります。 けれど、それは私の意識上の感覚でしかありえません。 本当にその相手に正確に伝わったかどうかは、相手の脳を調べても、 窺い知ることはできないでしょう。 でも、確かにそういう瞬間はあった、と思っています。 多分、似たような配色のパレットを持った同志が、 近似の色を差し出しあった、そんな瞬間だったと思うのです。 そして、お互い「その色を見た」気がした。 もし私の考えるその「想い」自体の色と相手の考えるその「想い」の色が違っていたとしても、それは些細なことになります。 結果として、私が差し出し、相手が受け取ってくれたということ自体が大事になりましたから。 しかし、やはり想い自体を正確伝えるということは不可能であると思います。 パレットの配色というのは人の意識のパターンです。 経験であったり、記憶であったり、性格であったり。 タイミングであったりするかもしません。 なので、全く配色の違う相手にはなかなか伝わりません。 これが質問者さまの仰る「伝わる条件」に当たるかと思います。 例えば、今まで人を信用せず傷つきながら生きてきた真黒なパレットしか持たない人に、 パステルカラーのような配色を教えようとしても簡単にはいきません。 でも伝えようという意思がある限り、 その配色に一滴の白を混ぜることはできるかもしれません。 ですから、正確に伝えることは「不可能」ではあるけれども、 それに似た「何か」は伝えられることがある、と思います。 以上が「限りなく可能に近い不可能」と言った理由です。 抽象的な表現ばかり繰り返してすみません。 ただ、「純粋な[まじりけのない]想い」自体は絶対に「正確に伝わらない」けれども、 想いを「純粋[ひたむき]に伝えようとしている」ことは 想い自体に成り代わって「伝わることがある」と思います。 「純粋な」想いは、自分本位なものでも純粋と言えます。 (ストーカーだって想い自体は純粋だったりするかもですから) けれども「純粋に」伝えようとすることは、相手本位にならなければなりません。 相手の目線や考えに自分の思考を添わせることができなければなりません。 だから伝わることもあるのかと思いました。 想いは「伝える」のではなく「伝わる」のだと思います。 偉そうに書きましたが、自分も初めて掘り下げたのでかなり 個人的な意見です・・。しかも・・まとまってなくてすみません。。 面白い質問ありがとうございました。
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お礼
丁寧な回答本当にありがとうございます。とても嬉しいです。 色を使っての説明がとてもわかりやすく、ほぼ全ての点で共感できました。 sasasa0123さんが考えていたことが私の考えに非常に近く貴方の伝えようとして下さったことは受け取れたつもりです。 「正確」に伝えることは不可能である。だけど、伝えようとすることで伝わることは、確かにある。つまり、「伝えること」はできなくても、「伝わること」はあると。それを私たちは知っていると。そういうことですよね。 なんだか勇気がわきました。 回答ほんとうにありがとうございました。