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平和な時代のときに、武士は自分の実力を披露する機会はあったのでしょうか?

西洋では馬上試合などで腕を競い合ったと聞きますが日本の場合にもそういったものがあったのでしょうか? 道場などで稽古試合はあったでしょうが、真剣を使っての戦いは私的な決闘や戦以外では行われなかったのでしょうか?(たとえば、各藩が代表者を出して真剣による剣術試合をするようなことはあったのでしょうか?) 平和なときに武士としての名誉・名声はどんなことをして獲得していたのかを知りたくて質問しました。 よろしくご回答お願いします。

みんなの回答

  • Ambition
  • ベストアンサー率49% (43/87)
回答No.6

まず、西欧の馬上試合ですが、これは主に中世に行われていたものです。 西欧の中世は、非常に戦争の多かった時代です。 日本の中世(特に室町~戦国)と同じように、頻繁に戦争をしていました。 間違っても「平和な時代」ではありません。 余談ですが、だからこそ、経済水準と比べて武力が突出した社会となり、 16世紀以降の武力による植民地拡大につながるわけです。 したがって、馬上試合は「平和な時代」に腕を競ったものではありません。 日本で武芸を競うものといえば、No2の方の挙げられた鎌倉時代の「流鏑馬」が代表的だと思います。 江戸試合でも剣術試合はありましたね。 複数の藩の武士が参加する大規模なものもあれば、 藩内だけで行われるものもありました。 ですが、通常は真剣ではなく竹刀か木刀だと思います。 武士としての名誉・名声の基盤は、時代によって変わります。 戦国時代は武芸や軍の指揮能力で名声が確立されやすかったでしょうが、 江戸幕府が安定してからは、文官、官僚としての役目が中心なので、 そちらの能力で評価されたものと思います。 あるいは、著作で名声を得たケースもあったでしょう。 もちろん家柄だけで名声を保てた家も多かったようですけどね。 西洋でも、傭兵や火器の拡大で戦争形態が変わった頃には、 馬上試合は自然に廃れていましたね。意味がなくなったからです。 騎士階級も没落するか、役割を変えていきました。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.5

剣術会みたいなのは、ありましたよ。 藩主の気分や性格しだいですが、剣術好きの各藩の殿様が御膳試合を開いています。ここで殿様のお目に留まると、たまに剣術指南役に召抱えられることもあります。国許で開く場合と江戸藩邸等で開く場合があり、江戸で開く場合は腕に覚えがある浪人が集まってきます。

  • kantansi
  • ベストアンサー率26% (658/2438)
回答No.4

武芸だけが武士の実力を示すのではなく、平和な時代の武士は今の公務員のような仕事に従事し、そのマネージメント能力で評価を受けていました。 インフラを整えたり、景気浮揚を図ったり、治安を守ったり、そう言う能力の高い武士が、名誉・名声を得ていました。 また一般的に、武士は武士道精神を背景に今の公務員よりもはるかに清廉・潔白で、己を律することができたため、三百数十年にわたって江戸時代の日本は栄えることができたのです。

  • webuser
  • ベストアンサー率33% (372/1120)
回答No.3

>平和なときに武士としての名誉・名声はどんなことをして獲得していたのかを知りたくて質問しました。 平和な時代の武士は役にも立たないのに、先祖の功績だけで禄を食む厄介者になり下がっていました。 そんな状況ですので、うかつな事をしでかすと、すぐに改易されたりします。 「平和なときに武士としての名誉・名声はどんなことをして獲得していたのか」ひとつは家を保つ事です。 道場などで稽古試合でとか、そんな甘いものではなく、もっと厳しい現実の事で名誉・名声は獲得できます。 平和な時代の武士の生き方の見本としては、 「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の一節(※)で有名な「葉隠」(はがくれ)が一つのサンプルです。 嫌な上役からの酒の誘いを丁寧に断る方法、部下の失敗を上手くフォローする方法などを心得た人が名誉・名声を獲得しました。 後は忠節を尽くすという事です。 保つ家もなくなり、仕える主人もなくなりとなれば、後はやぶれかぶれで討ち入りで忠節だけは見せるという無茶な事も名誉・名声を獲得できたようです。 「忠臣蔵」の話がそれを物語っています。 ※「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」 この一節の印象だけで解釈を大きく誤る人が多いので、きっちり読まないと葉隠は見誤ります。

  • Scull
  • ベストアンサー率26% (248/951)
回答No.2

まず、騎士のトーナメント(馬上槍試合)は近世以降は行われていません。「決闘」はありましたが、これは武技を披露すると言うレベルの話ではありませんから、基本的に「比武を行うのはヨーロッパでも中世でしか行われない事」です。 そう言う視点では日本でも同様で、近代、特に江戸時代中期以降は「武術の腕前などいくらあっても大した意味を持たなかった」のです。もちろん、町道場はあり、多くの武士や町人が剣技を磨きましたが、それが即武士としての評価に繋がったとは言いがたいのが実情です。 それでも実例として、家中で剣技に優れたものに金を出し、江戸の町道場に通わせると言う事もありました。そこで免許でも得られればそれはそれでお家の名誉であった訳です。 トーナメントとの比較であれば、鎌倉時代に行われた「流鏑馬」が武士の比武と言えるでしょう。武術の代名詞として「弓馬の道」と言う言い方さえある位ですから。

noname#84871
noname#84871
回答No.1

立て札を立てて挑戦者を募る。 勝つ。 これを全国を廻りながら繰り返す。 勝ち続ければ名が上がりどこかの藩に召抱えられるかも。 武者修行ですね。 宮本武蔵がやってたみたいですよ。 (私が見たわけじゃないので断言はできませんが。) 決闘と言えば確実に決闘ですが吉岡一門との語り継がれている戦いは宮本武蔵側代表、宮本武蔵VS吉岡道場側代表 吉岡清十郎(だったかな)の真剣による剣術試合があったし、巌流島もそうですね。 (立会人もいたし・・・真剣じゃなく木剣という説もありますが。) 後、赤穂浪士もそうですね武士としての名誉・名声は得ましたがその代価は命と言う結果になったようですが。 (剣術試合とは呼べませんが・・・) 有名どころを例に挙げてみましたが最初の一戦で敗れて歴史に名も残せなかった方も結構居たんじゃないでしょうか。

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