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女性話題スレで「スゲー可愛い!」とかいう本能的言葉が出ない

2ちゃんの、女性芸能人とかプロスポーツ選手のすれで、よくあるパターンに、本能むき出し系「スゲー可愛い!」とか「種付けしたい」wとかいう類のがあるわけですが、どうも私自身内心そう思っていても、そういう言葉を書き連ねる気がしません。なんででしょうか? そのかわり、その女性の言動とかプロスポーツなら技術系のこととか、そういう分析的なことだけがあえて書いてもいいかなという気持ちです。頭さえてるとか、素直だとか、容姿に触れるにしてもせいぜい「清楚系」だ、とか鼻が魅力的とかいう表現しかしません。 自身の分析では、この「スゲー可愛い!」に代表される表現というのは、まさに下半身本能丸出しかつ脊髄反射的な「真実の」言葉であるがゆえに、実に粗野だということもできて、そういうものに対する抵抗感があります。また、そんな脊髄反射的なことをわざわざインターネットに書いてもしょうがないじゃないかという感じもあります。当たり前のこというなって感じですか。 それから、その「スゲー可愛い」の言葉の裏には、そうじゃない多数あまた大部分の女性がいるわけで、そういう世の不公平を平然と表明する気になれない、いわば、世の中ありのままを受け入れる気にならないという気持ちもあるかと思います。 こういう傾向の考え人間って言うのはどういうのでしょうか?やめたほうがいいんですかね。

みんなの回答

  • Vwiyoonn
  • ベストアンサー率35% (162/455)
回答No.1

 問題は『本音』っぽく感じられた言説が本当に『本音』なのか、ということにあります。  (政治学的ではなく)民俗学的な意味での秘密結社の内部では、いかに自分が粗野で野卑であるかをひたすら誇示しあうもので、近年は絶滅傾向にある暴走族/ヤンキーという秘密結社内でも同様に、その成員はいかに自分が反社会的で危険な存在であるかを必死に誇示し合い、それができない者は結社内では低い地位しか得られないのです。  それと同様に、2ちゃんねるという仮構の秘密結社の内部でも、同様に群れ内部での己のつつき順位を上げるべく、その成員は己がいかに低劣で卑俗な人間であるかを競い合い、なおかつそれを評価し合うという暗黙の掟のようなものが自然発生的にできてしまったのです。  つまり、書きこんだ者が本当にそう考えていたかなどはべつだんどうでもよく、その場において自己主張の手段と評価基準がお下劣さ以外にない、というだけのことで、そこで技術論を語っても暴走族の集会で数学の点数を自慢することと同様場違いなことといっていいでしょう。  つまりは、暴走族やヤンキー同様、2ちゃんねるの住人たちもまた極めてセンチメンタルなムラの幻想に浸りたいと願う人々であって、技術論や客観評価(及び近代思想の諸々)という都市の論理をそれらのムラに持ちこもうとするのは野暮というものでしょう。  ついでに触れておくと、センチメンタルなムラの幻想のいきついたものが、暴走族/ヤンキー/2ちゃんねらーが親和的な思いを抱くのが、国家観を欠いた『右翼』という不思議なありようというのもなかなかに興味深いですね。  ともかく、2ちゃんねるに都市の論理…彼ら流にいうならば左翼の論理を持ちこむのは不毛というところでしょう。彼らが求めているのはムラ的なじゃれあいでしかなく、それを求めないのでしたら別の掲示板を探される方がよろしいかと思われます。

garcon2000
質問者

お礼

一理あると思います。これは、私の盲点をついていただきました。ところ変われば基準やしきたり常識も変わるっていうことらしいですね。私は、いかなるときでも姿勢を崩せない、変化できないという弱みがあるのです。飾れない、仮装できない、演技できない。そういう儀式的な空間である可能性もあるということを気づかせていただきました。 ただ、やはり、現実世界においても、粗野で脊髄反射的言動は満ち溢れていると思われる節もあって、これらの要素も、その演技的でしきたり的な粗野な空間に紛れ込んで見分けがつかないということもあると考えます。

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