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目的と超越的目標はどこが違うのですか?
御回答よろしくお願いします。
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- mmky
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目的と超越的目標はどこが違うのですか? 同じものですよ。 イエス様が2000年も前に詭弁的2分法を使ったんですが、つまり「神のものは神にカエサルの者はカエサルに」ですね。後のものがこれを勘違いして真似て目的が別々であるように論じてるだけですね。もし目的が2通りあるのならば、イエス様もお釈迦様も地上に生まれることはないからね。
- w-hiterose
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こんにちは。 超越的目標というのは、 <現世ではなく神の国での目標> <この世で生を終えて(生まれる前は知っていた)、神が求めているところに到達する> なんて感じではないでしょうか? 神でなくても、創造主でも、魂の帰るところでも何でも形而上について考える時の目標。 私は、超越的というのを「この世では経験することができない」「生まれる前の(人間を越えて)」と理解しています。 なので回答は <哲学では、形而上の問題を語る時にそうでない場合と区別して「超越的」とつけるみたいです。> 専門家ではないのでズレていたらごめんなさい。 少しでもご参考になれば幸いです。
超越的目標と言う言葉が初耳なので検索にかけてみたらちゃんとした言葉の定義がありませんでした。 したがって今回のご質問自体が舌足らずでご期待に沿える回答を寄せることは不可能です。 なぜならこの言葉の解釈は読み手次第ですから。 検索にかけてみて引っかかった超越的~との哲学的表現は「本来の人間性」「人間的資質」を現すもののようです。 鬼神の守護を受けたプラトン以降の哲学は人間性に対して最低限の合意から出発していまして、人間らしい行いや考えが超越的神秘とも受け取れるからです。 哲学とは最低のどん底人間から自らの思考を出発させることでして超越的~との説明は舌足らずのも人間に対する尊敬や博愛の精神を表していると解釈できます。 この点は日常に信仰の加護や奇跡を求め、純粋な信仰が切実な問題である西洋人の考え方と(人間性に関する見解が)日本人では異質でもありまして哲学に関してどのような見地を持つかによっても解釈が分かれます。 補足がないとこの質問は発達しないでしょう。 ちなみに細くとは質問の連発ではありません。
補足
御回答ありがとうございます。 大塚久雄先生の著作に「カルヴァン派は神の栄光を顕すという超越的目標のために働いた。」という表現が登場します。