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willの和訳について

英語教材でよく見かけるwillの「和訳」について疑問が湧きました。 例えばこうです。 He said he would take the exam. 「彼はその試験を受けるつもりだと言った」 「~するつもりだ」という日本語は、確かに英和辞書のwillの欄にあるのですが、どうしても上記のような和訳からは、He本人の「前々からの意図」(=be going to)に受け取れ、willの訳として正しいかどうか気になるのです。 「彼はその試験を受けるつもりだと言った」だと、 He said he was going [planning] to take the exam. などにならないのでしょうか。 ちなみに、辞書(新英和大辞典)にはwillの「主語の意志」の項目に「~しようと思う、~するつもりだ」、ジーニアスには「意志未来」の項目に「~するつもりだ」とあります。 しかし、どちらの辞書もその項目の英語例文には「~するつもりだ」となっている和訳は1文もありません。

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  • jayoosan
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回答No.9

もう1つおもしろい例を挙げます。 主語がIの場合、話者と主語が一致していまうため意志と主語がだぶりますが、willの働きだけを考える場合、主語をを変えてみると、willの役割がはっきりわかります。 He will kill him. She will ll get a Nobel Prize. つまり話者と文章の主語が異なる場合です。 ここで確実性、確信的であるとはこれだけでは断定できません。willは未確定なのです。 ここでは話者がなんといおうと、主語(にあたる人)の代弁しかできません。確固たる主語のもつ意志を、第三者の話者が代弁できるでしょうか?いいえ、真実は主語の人しか解りません。 主語がIであることに「意志」という訳が当てられていることで、混同している人はおおいですが、willにもどってみると、willはどうであろうと(どう説明をつけような、また日本語訳に関係ないところでは)willは willなのです。going to とは違う語なのです。 主語が第三者(he/sheなど)で、その文を述べた話者には、それが確固たるものかは確信や保障が。 going toでは、主語にかかわわらず、主語の当事者の意識が重んじられるため、結果は関係ないのです。 この違いがわかりますか? ボビーバレンタインが日本に来たとき I'm gonna change the(Japanese) baseball. と言いました。 これは結果よりも、彼の確固たる決意を伝える言い方です。 あなたの感じたことは間違っていないのです。 (繰り返しますが、日本語訳は訳については、柔軟につければよいだけです)

ton-san
質問者

お礼

何度もありがとうございます。 だいぶ勉強させていただきました。 わたしの観点自体は間違ってなかったということで,それは単にほかの方が挙げられたどの文法書にも書いてある内容を知識としてあっただけなのすが,それプラス,和訳に関しては柔軟にということで今回は納得しました。 どうもありがとうございました。

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その他の回答 (8)

  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.8

結局 >場合もあるでしょう とか >be going toは常にあらかじめ考えられた意図を表し、「意図+計画」になることが多い。 なのに >あらかじめ考えられた意図かどうか明らかでない場合には、be going toでもwillでもよい。 がでるように、確固たるものではないのです。 確固たるものとは、訳としてです。 意志の中には堅い決意と、ただ意識にあがったものがあります。 後者のだた意識にあがったものも(辞書などは)意志に含めるから、willも意志になるのです。 繰り返しますが、訳はどちらでもいいのです。 ポイントはあなたが最初に気づいたこと。 つまり、確固たる意志、堅い意志を意志ととらえてわかる場合、結局あなたの(質問者さんの)理解は(willとgoing toの違いは)まちがっていないのです。 実際willとgoing to は英文では違う場面で使われ、相互互換の語ではないのですから(まったくないという意味でも、訳がかさならないという意味でもない)。 あなたの理解が、これらを混同しないポイントなのです。

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  • Agee
  • ベストアンサー率42% (414/964)
回答No.7

ANo.1 & ANo.3 です。 混乱させてしまったそうで申し訳ありません。 Oxford University Pressの'A Practical English Grammar'の日本語版『実例英文法』に「be going toと意図のwillの比較」という説明がありますので、それを引用します。 「多くの場合、be going toとwillのどちらを使ってもいいが、両者には相違点もあり、そのためにはどちらか一方しか使えない場合がある。 be going toは常にあらかじめ考えられた意図を表し、「意図+計画」になることが多い。willは意図のみを表し、この意図は(必ずというわけではないが)あらかじめ考えられたものではない。従って、準備行動が既に行なわれている場合にはbe going toを使わなければならない。 あらかじめ考えられた意図かどうか明らかでない場合には、be going toでもwillでもよい。 固い決心を表すにはwillがよい。 be going toはかなり近い未来について使われるが、willはごく近い未来にも遠い未来にも使われる。 ・予測を表すbe going toと推測のwillの違い willは何かが起るだろうと思ったり、信じたり希望したり、憶測したり心配したりすることを表すのにごく普通に使われる。したがって、willとbe going toとはかなり共通性があり、どちらを使ってもよい場合がある。両者の相違点は、 be going toには何かが起りそうな徴候があるという含みがある。話者がある徴候に気づき『きっと…するだろう」と確信的な予測をするのがbe going to。willは話者が何かが起ると考えたり信じたりすることをそのまま述べているという含みがある」 >I'll kill him. で言うと、まさに「なんとしてでもヤル!」というニュアンス >のwillなので、これをbe going toと言うべきだとは思いません。 "I'll kill him."は上の説明の「固い決心」に入る場合もあるでしょう。しかし、映画『12人の怒れる男』の中の"I'll kill you!"という激昂した男の台詞のように、「固い決心」ではなく「(お前を)殺してやる!」と発作的に云われる場合もあります。この表現も一概に括れるわけではありません。

ton-san
質問者

お礼

何度もありがとうございます。 わたし自身もいろんな文法書で上記のような知識を得た上での今回の疑問でした。 しかし,和訳自体は詳しくないので(結果的に柔軟ではなかったと反省)今回はみなさんのご意見が勉強になりました。 ありがとうございました。

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  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.6

ちなみに I'll get a Nobel Prize. (いつか)ノーベル賞をとってやるんだ。 決して 「何としても」という訳はここには私はつけません。 なぜならそしてノーベル賞もやはり、その話者のコントロールの外にみえる言い方だからです。 am going to がコントロール内にあるということではありません。 この言い方が、話者の決心、もしくは第三者が他者(he/sheなど)の決心をしっていることを表しています。 このため結果がどうであれ、「確固たる意志」はやはりこちらのほうです。 繰り返しますが、訳は柔軟でどちらでもいいのです。 あなたのwillとgoing toの違いの理解が、それで間違っていないということです。

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  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.5

でも I'll kill him. よりも I kill him. や I'm gonna kill him. のどちらのグループほうが、「殺す!」「殺してやるんだ」→「なんとしてでもヤル!」に近いでしょうか。 訳は柔軟で良いのです。 あなたの解釈は、going to とwillの違いをおぼろげでも理解しているので、その感覚を忘れないことです。 さて、ほんとに(家族が止めても、警察がとめても) I'll kill him. とあなたは使いますか? ここがポイントです。 (I'll kill him.がドラマや映画や小説で使われる場面がイメージに残っているとわかります)

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  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.4

>"I'll get a Nobel Prize."と云おうが"I'm going to get a Nobel Prize."と云おうが、 #3の方が大変興味のある例文を提示されました。 これに明確な意味の違いが出ています。 ● "I'll get a Nobel Prize." 何としてもノーベル賞を獲ってやるんだ。  普通、科学者はこんなことは考えません。 しかし、私たちの国の近くには、国を挙げてノーベル化学賞やノーベル医学賞を獲りたいと思っている人たちがいます。 ですから、平気で《クローン技術》の開発に成功したなどと誤った情報を流すのです。  《何としてでも獲ってやる。》には、たとえ不正をしてでも獲ってみせるという断固たる意思が介在しています。 ● "I'm going to get a Nobel Prize."/自分の論文が国際的に認められ、自分の名前が候補に上るようになって、数年が経ちました。 毎年、発表の日にはマスコミがどっと押し寄せて来ます。 でも毎年スカタンばかり。 でも今年はちょっと様子が違って、、、。   今年は有力らしい。 後は決定の電話を待つばかり。 リリーンと電話のベルがなって。 待ちに待った通知が来た。 これが"I'm going to get a Nobel Prize."です。  

ton-san
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自分とほぼ同意見ですので気持ち的に後押ししていただけました。

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  • Agee
  • ベストアンサー率42% (414/964)
回答No.3

ANo.1です。 御質問の趣旨は「『~つもりである』という未来への意思を含んでいる場合は"be going to"を使うべきなので、単に"will"(あるいは過去の場合の"would"で表現されている文は『~つもりである』と訳すべきではない」ということと考えます。 私の回答の趣旨は「"be going to"を使わない場合でも「~つもりである」と訳すべき場合もある」というものでした。 実は私自身、「~というつもりですか?」と聞くべき場合に"will"を使って先生(native English speaker)から直されたことがあります。ですから、二つの使い分けはよく承知しており、御質問の内容にも「いいポイントをついておられる」と感心した次第です。 しかし、しかしです。乱暴な例文ですが"I'll kill him!"(奴を殺す!)と云う時、「それは間違いで、あなたは"I'm going to kill him."と云うべきだ」などと注意したら、先ずこっちが殺されると思いません?"I'll kill him!"には意思(つもり)が含まれており、発作的に云われたのでなく冷酷非情な人間が口にした場合、既に段取りさえ考えられている場合があってもおかしくありません。 私が云いたいのは、"will"だからどう、"be going to"だからどうと考えるのではなく、前後関係や話者の立場・個性に応じて訳せばいいのであって、辞書や教材の「訳」にこだわる必要はないということです。 >I'll get a MBA.「私はMBAをとるつもりです」ともありました。 >Ageeさんにとっては、これもOKということですね? そういうことです。「来週の会議」は必ずあるでしょうが、"I'll get a Nobel Prize."と云おうが"I'm going to get a Nobel Prize."と云おうが、それが実現するかどうかは定かでなく、当人の「つもり」であるのは同じだと思うからです。

ton-san
質問者

お礼

再度お返事ありがとうございます。 質問の趣旨とそのご回答は的を得ており、「"be going to"を使わない場合でも「~つもりである」と訳すべき場合もある」というご意見自体は理解し、納得致しました。ありがとうございます。 しかしいただいた例文で、 I'll kill him. で言うと、まさに「なんとしてでもヤル!」というニュアンスのwillなので、これをbe going toと言うべきだとは思いません。 この例文とそのあとのI'll get a Nobel Prize. / I'm going to get a Nobel Prize.は同じ土俵でしょうか。 理解が悪いならすみません、少し混乱しました。

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  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.2

He said he would take the exam. という文章を見たとき直訳すると(私は) 「彼はその試験を受けるであろう言った」 と読めるので、決定的な確固たる意志とは異なります。 willが使われる文章では、その描かれる未来の時点の出来事が起こることは未確定だったり、確約や現実化の保障はないことが多いです。 これは時制が1つ過去にもどるwouldで仮定法などで使われることでも、矛盾していません。 ただ、willの用法の一部に「意志未来」という訳がついているため、その意志と、あなたがおっしゃる意志が異なることは(理解している人を除いて)つたわりません。 名詞でみるとおもしろいことがわかります。 死のうとしている人/死んだ人が、なにか遺書を残して It was his father's will. それは彼の父親の「いし」であった といったとき、それは意志でしょうか。いいえ「遺志」であり、死後のことについてお父さんは確約も確認もできないので、ここでも未確定であることに触れています。 疑問はその訳が意訳されているからだけだと思います。 「彼はその試験を受けるであろう言った」 では、日本語としてもこなれないので、 「彼はその試験を受けるつもりだと言った」 でかえるでしょう。 あなたの理解は間違っていません。

ton-san
質問者

お礼

わかりやすい例をありがとうございます。 わたしもやはり >「彼はその試験を受けるであろう言った」 のほうがすっきりしますが日本語としてどうかという問題だったのですね。 「~つもり」は意訳ととればよかったのですね。 間違いではないと。 ありがとうございました。

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  • Agee
  • ベストアンサー率42% (414/964)
回答No.1

英語の単語と日本語が必ずしも一対一で対応するわけではありません。辞書の定義や文例の訳も同じです。一つの英単語が様々な意味を持つ場合でも全てを辞書に書き切れるものではなく、文の流れに沿って学習者が適切な訳(語)を考え出さなければならないこともあります。言葉というものは流動的なものであって、暗号解読のようにピシャッと解読表(ここでは辞書)と一致しないことは、よくあることです。 ちなみに"I will take the exam."はどう訳されますか?「私は試験を受けるだろう」ですか?試験というものは自分の意志で受けるものです。学校で強制されるから自分の意思ではない…と主張する方もおられるでしょうが、試験の日にずる休みことも出来るのですから、受けるのは自分の意思です。「私はいずれ二十歳になるだろう」というのとは違います。二十歳には意思がなくてもなってしまいます。 つまり、"I will take the exam."は「私は試験を受ける(つもりだ)」ということを表しています。 結論として、言葉というものは各自のセンスでread、writeするものなので、六法全書のように全てが文字になっていないとおかしいなどと考えず、もっとゆとりを持って取り組むことです。

ton-san
質問者

お礼

ありがとうございます。 >ちなみに"I will take the exam."はどう訳されますか? この場合はHe saidとあるので、 「彼はその試験を受けると言った」 ではダメなのでしょうか。 We'll meet them at the meeting next week.「私たちは来週の会議で彼らに会います」の感じで。 この文でも「~だろう」でなくても十分未来の意味は含んでとれるのではないか、「~つもり」?と思った次第です。 すみません、例文も悪かったです。 もとは、would take an examではなく、would get a MBAでした。 He saidのない、I'll get a MBA.「私はMBAをとるつもりです」ともありました。 Ageeさんにとっては、これもOKということですね? 辞書の例文が語の訳とイコールではないのはおっしゃる通りです。 機械的にはいきませんよね。少し気にしすぎました。 参考になりました。

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