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石垣りんさんの「挨拶」について

石垣りんさんの「挨拶」についてですが、 詩の中の内容なのですが、 なぜ油断という言葉を使ったのでしょうか? 油断という言葉はある意味不適切だと思います。 お答えできる方はお願いいたします!!

みんなの回答

回答No.4

確かに、災害や戦争被害は誰にも予想できるものではありません。 そういった意味では、油断という言い方は、あまりにも理不尽であると考えられます。 しかし、石垣りんさんが表現したかったのは、「いつ被害がくるか予期できなかった」油断ではないと思われます。 今平和であることが当然だと思っていること、 当たり前に、変わらず明日はやってくるということ、 安全が保証されていることを信じて疑わないこと に警鐘を鳴らしているのだと思います。 そして、原爆被害にあわれた人は 現在の私たちと同じように、ただ明日が来ることを疑わず、 まさかあんな一瞬におびただしい数の人が命を落とすとは、夢にも思わずにいたのです。 この「油断」という言葉は、「予想しろ」という意味でなく、 いつ何時命を落とすかもしれないことを決して忘れてはならない、 どんなに平和に見えても死といつでも隣り合わせだということを強調するためだと思います。 つまり、原爆被害に遭われた方に対する心無い言葉というより、 平和ボケした現代人に「原爆被害者だってまさか自分がこんな目に遭うなんて」と思って亡くなったのだと、 それを忘れて、安堵しきって生活していることを指して「油断」と言っているのだと思われます。

  • tu-ta
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回答No.3

どうして「油断」なのかとothataさんが考えた。 「油断」はある意味不適切だという違和感。 そして、質問しようと思った。 そのようにothataさんが行動せざるをえなかったという事実の中に石垣りんさんがこの言葉を選んだ意味があったと言えるかもしれません。 現実にはいまでもものすごい量の核兵器が廃棄されることなく、現実にいつでも使える状態で保管されています。 核兵器をなくそうという国家間の約束は無視されたままです。日本という国家も米国の核に依拠していると言えるかもしれません。 そんな中でも、人間は暮らしていくしかないのです。 そう、そんな中でも、毎日、小さなことで笑ったり泣いたりしながら暮らしているのです。45年8月6日の広島にもその日常はあったのです。 人間をとりまく核兵器の危険な状況と、日常の緊張感が「油断」という表現から読み取れるのではないかとぼくは思います。 ともあれ、othataさんいであれ、誰にであれ、その言葉がいったいなんなんだと思わせる、そこに言葉のチカラがあるのかなと思うのです。

参考URL:
http://tu-ta.at.webry.info/200803/article_20.html
noname#72977
noname#72977
回答No.2

「油断」という言葉は、この詩のセールスポイントです。 油断はどちらかといえば非難されてもよい行為です。 でも、一般市民は原爆を注意しようとしても全く不可能です。 だから「油断」という言葉を使うのは、市民に対して酷です。 不適切な言葉です。 嫌な不協和音を効果的に使った音楽があります。 「油断」にはそれと同じような効果があります。 (作者には一般市民を非難しようとする意図がないことは明らかですが) 最後の「油断」のところで読者はガーンとショックを受け、考えさせられます。

  • makosei
  • ベストアンサー率21% (193/898)
回答No.1

不適切とは思いませんが、なぜ不適切だと? 今、ご質問者は被爆するかもしれないと恐れていますか。 私はもしかしたら、かの国から核ミサイルが飛んでくるかもしれないと、心の片隅では少しばかり恐れています。しかし、いつもびくびくしていては生活が成り立ちません。 あの時、だれもがまさか自分が被爆すると予想しなかったでしょう。ある意味まさに「油断していた」のです。

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