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天武帝が持ち込んだ鬼道とは?

 『少年陰陽師』から遡ること200年前の平安初期を舞台に全5巻という短すぎるお話だった『篁破幻草子』(全5巻)の完結巻で「天武帝が鬼道を倭(日本)に持ち込んだ」とあり、『少年陰陽師 動画之書』の巻末に収録されていた文庫未収録短編集の中の1つ「鬼夜来」で“嵯峨の帝は陰陽師が大嫌いだった”と死後も冥官を勤める篁が言っていましたが、「鬼道」とは「陰陽道」のことですか?  因みに、天武の帝は篁の前世です。闇に呑み込まれた部分が悪鬼・朱焔となり、閻羅王(閻魔大王)が人界を救うために天武の魂を割って無事だった部分が転生して小野篁として生を受けたという設定です。

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回答No.2

「鬼道」についてということで,中国から渡来してきた道教の考え方です。 中国では,幽霊,妖怪などのよくわからないものを「鬼」と書きます。 道教の最終目的は,天地と一体になり不老長生に至る(昇仙:仙人になる)することなので,鬼道は仙術の中の召鬼法にあたると思われます。 この召鬼法とは,陰陽道でいうところの式神ですかね。 陰陽道は中国から渡来した仙術思想が基盤になっています。 仙術は体系別にすると,8系統あり風水や召鬼法,五行遁術などがありその全てをひっくるめて一人で使えるようにしたのが陰陽術です。 陰陽五行を取り込んだ証拠に,陰陽寮の家紋は星型です。 これは,陰陽五行の考えのひとつの五行相生相克を表す図形です。 つまり,鬼道とは陰陽道になる前の仙術のひとつの系統です。 同じものですかと言われれば違うとも違わないとも言える微妙なところですね。 参考URLは,ネットで見つけた物ですが,参考までに。

参考URL:
http://www.ops.dti.ne.jp/~taoistyi/senjyutu.htm
rosetta
質問者

お礼

ありがとうございました。

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  • DieMeute
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回答No.1

その小説での解釈は知りませんが、史実で言うと「鬼道」と「陰陽道」は別物です。 「鬼道」は邪馬台国の卑弥呼が用いていたと魏志倭人伝にあります。 この卑弥呼が生きていた時代は西暦175年から248年くらいだと言われています。 この鬼道の正体については諸説あり、はっきりしません。 元広島大学の教授、重松明久氏によれば、三国志時代の五斗米道の張魯 が鬼道によって民を導いたとあり、五斗米道は道教のの流れをくむものなので、鬼道は道教であるという説を主張しています。 しかし、慶応大学教授の謝銘仁氏は、中国における鬼道とは怪しげな呪術を指した言葉であり道教の事ではないと主張しています。 既にお亡くなりなった東大名誉教授で歴史学者の井上光貞氏は、鬼道はシャーマニズムだという説を主張していました。 江戸時代の学者、本居宣長は原始的な神道であると述べています。 「陰陽道」の方は、5世紀から6世紀(西暦401年から600年)に伝来したと言われています。 その陰陽道を大々的に活用し「陰陽寮」を創設したのが天武帝(西暦631年生まれ、686年死亡)です。天武帝自身も陰陽道を用いていたと言われます。 「鬼道」も「陰陽道」も、天武帝が日本に持ち込んだものではありません。天武帝が生まれる前から日本にありました。 「鬼道」と「陰陽道」が同じという説はあまり聞いた事がありませんが、ただ「鬼道」の正体がはっきりとは、わからないので、絶対的には否定できません。 結城光流さんがどういう意図を持って書いたのか、どのような説を参考にして書いたのか、聞いてみたいところではあります。

rosetta
質問者

お礼

ありがとうございました。

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