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死後の世界

人生に大変疲れました。 限界かもしれません。 生きるという事は45年生きてきて分かりましたが、死後の世界はどうなのでしょうか。 極楽でしょうか。 それとも今のような地獄なのでしょうか。 もしご存知の方がいらしたら、教えて下さい。

みんなの回答

  • bouhan_kun
  • ベストアンサー率19% (1032/5208)
回答No.11

生きることは、どうせ長くってもあと50年ぐらいでは? でも、(輪廻があるとしても)死んだらどれぐらいかかるかは、確証がないのでわかりません。ひょっとしたらもっと長い期間苦しい目にあうかも。 だったら、今の人生を少しでも好転させるために尽力したほうが、とりあえず幸せになる確率は高いと思いますが。

回答No.10

何もない無の世界で 消滅するだけだったらいいですね 地獄も極楽もひょっとしたら あるかもね 私は極楽に行きたいので 一生懸命にがんばります 地獄があったら ガンバッテ下さいね

  • origy
  • ベストアンサー率32% (83/258)
回答No.9

お釈迦さまもこう言っています??? 「あの世というものは無い。だからこの世をしっかりと生きなさい。そのために私の説法を聞きなさい」だったかな?? 死んで生き返った人は歴史上皆無なので、ご存知の人がいたら詐欺師です。 45歳ならまだやり直せますよ。何もかも家族も捨てて、別の人生に賭けてみるのもありです。死を考えるよりましです。ホームレスで生きるのも救いになるかもしれません。しがらみを捨てられますからね。 でもどうせ人は必ず死ぬんだし、あわてなくとも、ちゃんと「その日」は来ますよ。永遠の安らぎが続く「無の時間」が・・。まあ人間の生物的限界は200歳らしいので45歳なんてまだ未熟者なんですね。

参考URL:
http://www1.odn.ne.jp/~ceq16010/hp/top.htm
  • Ring53jp
  • ベストアンサー率38% (339/871)
回答No.8

無の世界なんてありませんよ。 ただ単に消滅するだけです。

  • tent-m8
  • ベストアンサー率19% (724/3663)
回答No.7

私の個人的な考えですが・・・ 「自殺」に限って言えば、命を粗末にするような人は、天国には行けないと思います。

noname#76141
noname#76141
回答No.6

 肉体と魂の関係は、ちょうどテレビと電気電波、または缶詰とその空気、とよく似ていて、テレビや缶詰は「物体」ですから老朽化し廃品になりますが、中身の電気電波や空気は「物体」ではありませんので焼却されるわけはなく、物体と離別して存続します。  その際に、例えば缶詰のフタを開けた場合、中の気体が空気より重ければ上昇し、逆なら下沈するけどそれらは目には見えないように、魂も目には見えないだけで、あの世へ行くとその比重・波長に応じて階層等が分かれます。  すなわち、憎しみや苦しみを過度に抱えていれば沈殿し、また善なる心に傾いていればその程度に応じた善人ばかりの世界へ行くことになります。  つまり同じ心の状態の人達と一緒になるわけで、親切な人は親切な人と一緒になりますし、自分勝手な人は自分勝手な人と一緒になるわけです。(心の状態が変化すれば変化に応じた世界へ行けますが、それほど容易なことでもありません。)  なお、心が苦しくて自殺したところで、心だけになったら心の苦しみは苦しいままですし、それどころかむしろ心が苦しみのみに占領されて通常は生前の10倍位苦しむようになるとのことです。  ですので、ともかく自殺だけはしない範囲で、できるだけ心の安定がはかれるようにして行くことが大事です。  以上が死後の世界の概要です。  次に質問文の他の箇所へコメントします。  人生に疲れて限界かもしれない、とのことですね。  例えば病人なども肉体の限界を超えたために肉体が休息を必要としている場合であることは多いですし、病気になれば通常療養最優先となります。ですので、病気前であっても、既に限界を予感しておられる状態であるなら、思い切って何らかの休息充電を最優先とするようにされるべきでは、と思えます。例えば無理をしていることがあればそれを減らしてみるとかするべきでしょう。他者は案外無責任なことも結構ありますので、自分に確かな限界予感があるのでしたら、最終的には自分で自分の優先事項をとるべきだと思います。なぜなら病気等になってからでは結局もっとよくないわけですから。  それと、併せて、過去他者からお世話になったことや親切にしてもらったことや窮地を救ってもらったこと、またうれしかったことや幸せだったこと、等を思い出し、その感情を再度しみじみと味わってみられるといいのではと思います。そこからエネルギーが再び湧いてくることもあるかもしれません。  また、天国へ行くキーワードは色々ありますが、「感謝」できる心があれば、それが全てとは言えないかもしれませんが、かなり大きなポイントの一つであることは確かです。  

  • belong
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.5

私個人の意見では極楽でもなければ地獄でもない、本当の無なのではないかと思います。 でも真実は誰にもわかりません。だからこそ人生とは素晴らしい物だと言う事ができるのではないでしょうか。死後の世界がどうなっているのかわかってしまったら、それはすなわち人が生きることにどのような意味、目的があるのか明確にわかってしまうことになると思います。例えば死後の世界が極楽だったとしてそれが前もってわかってしまったら、人は生きることに真剣になれません。死後の世界がなんなのかわからないからこそ人は生きることに自由に意味を付加することができます。 おせっかいかもしれませんが文章を読んで質問者さんのことがとても心配になりました。私には事情がわかりませんが、質問者さんが健康で穏やかに、楽しく生きられることを願っています。

noname#140971
noname#140971
回答No.4

Q、もしご存知の方がいらしたら、教えて下さい。 A、敢えて、論理的に推測すれば、この世と同じ。 仮に、「こうだ」と言う回答があっても、それはこの世に生きる者の想像。 決して、「こうだった」という回答ではありません。 で、わざわざ、試しに死んで見るなんて回答者もいあにでしょう。 仮に、そういう奇特な回答者がいても、回答するのは不可能だと推察します。 しかし、こういう指摘だけでは削除対象。 で、回答らしきものを書きます。 例えば、人間関係とかでA社を退職しB社に転職した場合は、そこは天国か地獄か? 例えば、ヘッドハンティングで請われてB社に転職した場合、そこは天国か地獄か? 「前者は地獄で後者は天国」との推測が成立します。 ですから、「この世でハッピーならばあの世でもハッピー」という推測が成立します。 まあ、この世をどのように生きるかを決める最終的な要素はそれぞれの性格。 で、あの世でどのように過ごすのかを決める最終的な要素はそれぞれの性格。 このように考えるのが筋だと思います。

  • snowplus
  • ベストアンサー率22% (354/1606)
回答No.3

輪廻転生説をとれば人間はまた人間として生まれ変わります とするとまた同じ地球人かもしれませんね

noname#152554
noname#152554
回答No.2

一度死んで、あの世(極楽or地獄?)を見て、生き返って来た人に聞いてみるしかないでしょうネ。 たぶん、「いない」のでは無いでしょうか?

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