こんにちは。
「正しい動機」と「純粋な動機」では解釈が全く異なります。
まず、「純粋な動機」といいますのは、一般的には自分の欲求に従って素直に選択される行動のことを言うのではないかと思います。
我々の行動選択には、
「本能行動(無意識行動)」
「情動行動(無意識行動)」
「理性行動(意識行動)」
この三種類があります。
そして、上記の二つは「無意識行動」であるため、その動機といいますのは全く雑じり気のない純粋なものです。
これは、本能行動や情動行動では未来の結果というものを予測することができないため、いま自分に発生した欲求に従ってそのまま行動が選択されてしまうからです。これに対しまして、「理性行動(計画行動)」では未来の結果というものを予測することができますので、より価値の高い可能性を選択することができます。
例えば、男性が女性に接近するというのは本能行動や情動行動に類する純粋な行為であります。とはいえ、この欲求に従って女性にいきなり抱き付いたりしようものならば間違いなく嫌われますし、下手をすれば110番です。幾らなんでも、これでは意中の女性を物にするという目的を達成することはできませんよね。
これに対しまして、理性行動では未来の結果というものを予測し、より効率の良い行動を選択することができます。ひとつの手段としましては、女性とお付き合いしたいならば、まずそのひとが喜びそうなプレゼントを用意します。
この行動の動機とは、
「その女性とお付き合いをしたい」
ということであり、男性には別に女性にプレゼントをしたいという欲求が発生しているわけではありません。従いましてこの場合、「行動選択の動機は不純」ということになります。
では、ここでデートを承諾させて女性にプレゼントを渡すのと、自分の欲求に従っていきなり襲い掛かるのではどちらが「正しい動機(行動)」でしょうか。
このように、「純粋な動機」と「正しい行動」では意味が全く異なります。そして、因みに法律ではそれが純粋に情動的な犯行であったか計画的な理性行動であったかでは罪の重さがはっきりと変わってしまいます。
これに対しまして、「正しい動機」といいますのは仏教で定義されており、上記とは解釈が全く正反対です。
仏教で「正しい動機」とは「慈悲の動機」を指します。「慈悲」とは食欲や性欲などの煩悩を全て断ち切り、己の迷いを排除することによって全てを受け入れるということです。
ですから、ここでは食欲や性欲によって心が惑わされるのは正しくないとされ、全てが「究極の客観的価値観に基づく理性行動」として選択されなければなりません。
何れにしましても、一般的には上記のように捉えることができるとは思うのですが、きちんと定義するというのは難しいと思います。
「正しい・正しくない」という評価も絶対的なものではありませんよね。自分が得をすれは正しい行動です。ですが、それで他人が損をするならばあなたが正しいとは言ってもらえませんし、社会の道徳観といえども国や時代によって変わるものです。
また、我々の社会では「食欲」に対して発生する動機は仕方がないけれど「性欲」に従った行動というのは一貫して不潔であるといった観念があります。ですが、生物学的には性欲と食欲は同じ性質のものでありますから、どちらが清潔であるかは決められません。
お礼
回答、ありがとうございます。純粋な動機と正しい行動は違う、という認識が理解できない部分があったのかもしれません。