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人生はマルコフ性を持ちますか?
人生はマルコフ性を持つといえるのでしょうか? たとえば昨日まで状態に関係なく、現在の状態によりこれからの状態が決まるといえますか? ※物凄く曖昧なことを言っている気がします。「状態」などの解釈は回答者様にお任せします。
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素人が続けます。記号論における恣意性というのは物質の変化と1たい1のかたちで対応していないように思います。うまく表現できないというか私がよく理解していないからですが、一応物質の属している世界の時間が一方向とすれば、精神活動は逆向きにも動けます。つまり物質の時間から自由になっていると思います。このことは過去に支配されないということにもなるのではないでしょうか。しかし精神活動のほとんどがいわゆる因果関係がつけれるものでなければそのひとの理解体系が支離滅裂になってしまいますから、普通の人には精神活動も過去とつながりがあると思うのが当然だろうと思います。これは精神活動の内容についてですが精神活動そのものは物質的過去に支配されていないと思うのですが…。
まったくの素人が再び書きますが、人生というのは価値観のようなもので決まります。この価値観が変われば人生も全く別のものになってしまいます。長く続いている戦争が終わったとたん価値観が変わります。この変わり方には連続性がありません。人を殺すことに努力していた人がそれをやめなければならなくなればそれまでの人生はは何だったかと悩むはずです。
- Ama430
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マルコフ性とは、確率を計算するときに、「過去のことは考えなくていい」という状態を示す用語ですね。 たとえば、それほど大きくない容器の水面に花粉を落とすと、十分時間がたってしまえば、花粉は容器の水面の全部にほぼ一様に散らばってしまいます。 このとき、花粉の現在の位置と動く方向・速さがわかれば、1秒後の花粉の位置も特定できます。 しかし、確率論における立場は「1秒後も花粉は容器の水面の全部にほぼ一様に散らばっている。」という答えで、これなら、ひとつひとつの花粉の動きを特定する必要はなく、過去の状態の情報は必要ありません。 このような事例では、最初の何分間かを無視するならば、近似的にマルコフ性を持つといえるのでしょう。 世界には(人生には)、そういう事例もある、というだけで、人生のすべてが過去と無関係なわけではありません。 >無限時間においてはこれまで努力を怠ってきた者と、努力をしてきた者がいて、前者も現在から努力をすることにより後者と違わぬ結果が得られる 「努力」が無限に可能であるという前提で、「無限に時間があるならば、いつスタートしてもだんだんと努力は積み重なるので時間が経過するほど努力の結果は差が0に近づく」ということではないでしょうか。
補足
マルコフ性をもつ事例もあるが、人生のすべてが過去と無関係なわけではない。ということですが、過去と密接に関係しているということの例が知りたいです。今現在の状態で時間を一時的に止めて、過去の状態を消す。そして時間を進める。それでも何事もなかったかのように人生は進む気がするのです。時間を止めたときの過去の記憶だけはその時のまま保存されるとすれば過去の状態が消えたとしても未来に影響がないように思います。ちょっと自分でも混乱してきました、良く分からない説明ですみません>< あと、時間が無限でも最初に先行していた者と追いかけるものが両方努力しているので順位は変わらないような気がするのです。努力量が固定か変動的かによっても変わるとは思いますが
kaitara1ですが、人生というとほかの生物が肉体として生存しているのとは違って精神活動が問題になっていると思ったわけです。肉体的健康などは過去の不摂生の結果病気になるというような連続性があると思います。しかしこれは人生とは言わないようにも思います。精神活動も肉体の状態によって支配されている部分はあると思いますが、やはり精神活動が独立して生じているということが基本ではないでしょうか。それと同時に精神活動は、肉体の活動に比較してはるかに不連続性(広い意味での恣意性)が強いのではないかと思います。
- rukuku
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はじめまして 個人的な意見です。 「昨日まで」があるから「現在」の状態があり、「現在」の状態によって「これから」が決まると思っています。 「昨日まで」は「現在」の状態の原因ではありますが、仮に1秒前に世界が誕生したのだとしても全く矛盾は感じないと思います。
補足
現在が昨日までの状態を含んでいる(原因として)、仮に一秒前に世界が誕生したとしても、一秒前にできた世界は昔からあった私たちのこの世界の過去と同じ過去の状態を含んでるから、どちらの世界も同じものといえるということでしょうか? マルコフ性に関連して、 無限時間においてはこれまで努力を怠ってきた者と、努力をしてきた者がいて、前者も現在から努力をすることにより後者と違わぬ結果が得られる・・・などという話を聞いたことがあるのですが、これは正しいのでしょうか?その理由もお願いします。 一般的に、有限時間のこの人生では早くから努力している人には遅くになってから努力を始めた人はかなわないのでしょうか。
ずれているかもしれませんが、広く人間の精神活動について言えば記号論で言う恣意性によって人生は支配されているのではないでしょうか。人生を肉体の健康状態とは無関係と考えればさらに記号論的な恣意性によって決定されていると思います。
補足
回答ありがとうございます。 「精神活動」、「恣意性」とは?無知を恥じ早速ググッてみました。 「精神活動」 その人の才能、物事の考え方、身体能力や性格など、その人固有の事柄に関わることすべて 「恣意性」 「りんご」の名前がりんごであるのは必然じゃない、偶然(apple、アップルでもいい)=言語は恣意的 この用法で正しいでしょうか。 肉体の健康状態と人生を無関係とすれば、精神活動については偶然で人生は支配される ということでしょうか。なぜそう思うのですか?
補足
なるほど・・、精神活動の恣意性、その例が価値観の変化ということでこれの変化により過去の人生について悩んだりするわけですね。人生(精神活動)を左右する価値観の変化は過去に影響されないってことですよね。だからマルコフ性を持つと。 価値観の変化は過去に影響されないと言えるかですが、私自身では人に接することで価値観が変わることがあります。どの人に接するかは一見確率的かのように思えますが、どの組織を選択したから、どの人に出会えたというのは過去の選択の影響を受けていると思うのですが。分かりにくくてすみません・・