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人生ってなんなのでしょうか?

人生ってなんなのでしょうか? 悩んで、楽しんで、辛くて、面白くて… 辛いことの方が多い。もちろん楽しいことも多い。 今私は新たな悩みがある。悩みを解決すると、また新たな悩みが生まれる。 辛いと思い、時々泣いてしまいます。 悩みを解決したっていうのに、また悩む。悩んでいない時期なんてなかった。 勉強だって、やってなんの得になる?と考えることがあります。 人生のためというけど、何? 人間いつかは死ぬのに、勉強なんて必要ないと思うことがある。 社会が成り立たなくなるっていう理由だと思うけど。 楽しいことがあると、辛いことがある さっきも言ったけど、人生は辛いことのほうが多い気がします。 失礼かもしれないけど、友達関係で悩んでない人が結構いるので、羨ましいと思います。 「悩んでない人と見える人も悩んでいる」と、聞いたことがありますが、私のクラスには本当に友達関係で悩んでない人がいるんです。 人生エンジョイしていていいな、と思う。 友達関係って疲れるし、辛いし、嫉妬が多い。はぁ、なんか疲れたーっていうことが多いです 人生って、辛いことの方が多い気がしませんか?

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  • heyboy
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回答No.5

人生40年近く生きている者です。 自分は勉強はこのように考えています 自分が取り込む物ではなくて 現在の世の中基準とかもしくは未来へ継承するべき物 うまくは言えませんが辞書を最初から最後全部を理解はしなくても どこに何を書いてあるかは把握しておくべきでしょう。 ま、世の中の「勉強」は他の意味も含んでいますがね。 それと思うのですが 友達と言える人とどこまで話しをしておられますか? 確かにこんな人生論に話しに花がさくとは思えませんが 「人生って何だと思う?」とか言ってみては? まあ、友達関係で悩んでいない人はいませんよ 人にはそれぞれの考え方で乗り越えているだけで すべて丸く収まっているわけでないし あえてそれを話題にしてお友達とお話ししてみたらいかがでしょうか? たとえそれが自分にとっては馬鹿な事だとか 自分なんかが話しをしてもと思い込まないで 思い切って話しをされると思いますけどね。

noname#191593
質問者

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  • ekopon
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回答No.8

あなた、もしかしてお釈迦様の生まれ変わりですか? そう、お釈迦様は「この世は苦しみに満ちている」と気づき、 修行の道にはいられました。 「所詮、人生ないものねだり」と言った人もいます。 私は「死ぬまでの思い出づくり」と思うことにしています。

noname#191593
質問者

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回答No.7

物質に「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 (あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする) 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人は無意識(死)による幸・不幸0の状態から、認識の発達に応じて充足量の増大(認識の深まりによる精神的豊かさ×認識的社会性の発達による物質的豊かさ)を目指して生きているのであり、大事なのは意志の充足=社会生命的自覚化=愛による自律的社会行動です(お金をもらうためにイヤイヤ働くのではなく)。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。 (「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)

noname#191593
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回答ありがとうございました。

  • tomban
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回答No.6

>人生って、辛いことの方が多い気がしませんか? 確かにそのとおりだけど、それこそ「気の持ちよう」ですよ。 勉強なんでやる?ということだけど、勉強は「自分のため」にやるもんです。 勉強は「強いて勉める」と書きます。 なんで「強いて」なのか、なんで「勉める」のか…「あの人」流に言えば 「どうしてやるの?…あなたのためでしょ!?」というところですね。 逆に言えば、そういう「意識」が自分に生まれないと、勉強は難しいものです。 自分が必要だと思うから、勉強はできる。 勉強することが、自分のためになるではない。 いくら好きでも、知識を詰め込んでいくためには、どうしても勉強し、自分を追い詰めていくという作業がいるのです。 つまり「勉強」は、どんな人であれ、大変だってこと。 大変だから辛いってことです。 社会っていうのは、個人個人が幸せに暮らすために機能しているものです。 もちろん、今でも国同士の戦争があるように、全ての人が幸せになれる社会なんて存在しません。 しかし、どのような国であれ、意識の高低はあるにせよ、個人が幸せに暮らせるように、と「頑張って」いるのは確かです。 そうでなければ、その国そのものが滅びますからね。 個人の幸せは、個人だけで成り立たないっていうのは、あなたにもわかるはずです。 つまり、あなたも誰かに対して幸せを提供しているということです。 意識はしていないにせよ、そうなのです。 損だ得だ、という話ではないというのは、理解していただければと思います。 無論、運不運というものはありますし、世渡りが上手い下手というのもあります。 ただいずれにせよ「羨ましい」から生まれる幸せはないのです。 理不尽に感じられることは多数ありますが、幸せは純粋に「なりたい」という気持ちこそが大事であり、そのためにどう動くかを考えられた人が、より幸せに近づけるのだと思います。 羨望の中からは、幸せは生まれません。 自分が行動する先に、幸せの姿は見えるものだと思います。 人生つらいことは多いです。 ただ、辛いことが多いのと、幸せでないのとは「全く違う」ということは、断言しておきます。 型通りの幸せを追わないでください。 あなたには、あなたにしか無い「幸せのかたち」というのがあるのですから。

noname#191593
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回答ありがとうございました。

noname#246720
noname#246720
回答No.4

>私のクラスには本当に友達関係で悩んでない人がいるんです。 では、別の事で悩んでいるかもしれないです。 質問者さんは多分、学生さんですよね。 私も学生の頃は、「あの人は何の悩みもなさそうで羨ましい」と思う人はいました。 でも… 社会人になってから色々聞いてみると、実は当時から色々大変だったようです。 悩んでいないのではなく、「悩みを表に出さないのが上手い」っていう人は本当にいます。 人生って何なのか? 私も時々考えるので気持ちはわかります。 でも、これって何だか自分勝手な考えのようなきがしています。 もし、幸せの絶頂にあってもこの問題が頭から離れないようであれば、人間にとっての至上命題であることは確実ですが…しかし、そんな人はあまりいないでしょう。 ほぼ100%の人は、この問題を考える時は「幸せの絶頂ではない時」だと思います。 で、つまるところ今回のご質問文の問いは >人生って、辛いことの方が多い気がしませんか? ですよね。 まあそれは、そうかもしれません。 人って「辛い」感情のほうがよく覚えているらしいですよ。 あと、幸せには慣れてしまうけれど、辛いことには慣れにくいのだとか。 考えようによってはこれは当然で、辛いことにすぐ順応してしまったら死の危険が高まりますから… (痛みを感じないようになったら大けがしてもわからなくなっちゃうし) よかったら、日記をつけてみて下さい。 その日の良いこと、嫌なこと、それをできるだけ毎日、短くてもいいので記録してみて下さい。 後で読み返すと案外色々なことがわかりますよ。

noname#191593
質問者

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回答ありがとうございました。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.3

「生きていく悩み」それが若さの証ですよ。 私は66歳のおじさんですが「人生辛いことの方が多い」もちろんそう思います。 でもね、10回辛いことがあっても1回の楽しさが10回の辛さを消すのです。それで多くの人が生きているのですよ。 楽しいということはそれだけ凄いことなのです。そして人間はその楽しいという凄さを探して生きているのです。恋愛もそうです。趣味も、結婚も、子供も、仕事も、そして友人もそうです。 これから楽しいことをどんどん探してください。 おじさんも、これからもっと探していきます。

noname#191593
質問者

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回答ありがとうございました。

  • snoopy111
  • ベストアンサー率33% (9/27)
回答No.2

悩むということは、成長の証しです。 というのは模範回答過ぎるかな? 遠い昔には大いに悩んだ経験がありますが、今は目的があるので悩む余裕がないというかそれはさて置きとなります。 悩んだころがなつかしいような気もしてきます。 箸が転がっても・・・というのは何を見ても笑うというお年頃の話でしたか、それに似ているところがなくもないような気がしますが・・・ 悩みがないようにみえる人でも、何かしら悩むことはあるはずですし、今は本当にそうでもいずれは人生のなかでぶつかるはずです。 友だち関係って疲れたり辛いことや嫉妬心が生まれたり忙しいものですよね。 そういうときは、現在の自分というものを見つめ、現実を受け入れて無理せずに自然に接することができるといいですね。 何か、目的ができると視界が開けることもあると思います。 最近の本で、「今いるところで咲きなさい」というすばらしいことを書いている方がいます。 名前は忘れましたが、よく売れているようですから本屋さんにきけばわかると思います。

noname#191593
質問者

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  • 150715
  • ベストアンサー率19% (841/4396)
回答No.1

たぶん、あなたは多感なんだね。 私が10代の頃なんて(10代だよね?)、そんな「人生について」なんて考えたこともなかった。だから、友達付き合いも、それなりに深い友人もいたけど、浅く広くだったかなー。いい・悪いじゃなくてね。 辛いことはいっぱいあったよ。結果的に無駄になった勉強だっていっぱいある。 ただ、自分がなりたい仕事に就くためには、どうしたって必要なものもある。 若いうちはまだそれが定まっていないよね?もしかしたら、途中で違う職種になる可能性だって大いにある。だからこそ、どんな職種にも対応できる勉強が必要なんじゃないかなー?って、最近思うようになりましたよ。私は。 友達は、、、今は身近にはいないな。家族はいるけど友達じゃないし^^;

noname#191593
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

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