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人生は

大学生男です。 経験を積んだ年配の方にお聞きします。 人生を振り返って(振り返らなくてもいいですけど)人生は「孤独」ですか? 抽象的な質問ですみません。 私が思うこの際の孤独は、物理的に一人ぼっちというわけではありません。ですが、受け止め方は各自にお任せします。理由もあわせてご回答ください。

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noname#153814
noname#153814
回答No.5

定年を過ぎた60代の男です。 座布団に一人で座っています。でも、隣には妻も友達もいます。しかし別の座布団です。・・・という感じかね。 酒を飲もうといえば付き合ってくれます。温泉旅行も呼びかければ集まる友達がいます。 でも、人生の判断は俺がやり、それについての責任は取らなければなりません。 言い方を変えれば(極端になりますが)俺のやったことで一緒に刑務所までは付き合ってくれません。 私はどちらかというと、リーダ的な生き方をしてきた。 山を歩いても、先頭ですから、横には誰もいない。後ろには「ワイワイキャアキャア」と姦しいのがいる。そんな人生です。 無宗教です。 これを孤独と捉えるかどうかですね。

tarori2
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自身で責任を負う人生、が孤独かどうか。参考になる考えです。「自立」が孤独なのか。他人にすがらないこと、期待しないことが孤独なのか。 孤独と捉えることもできる気がします。自己完結しているので。しかし、そういった人には周りに人がいる方も多い気がします。状態としては孤独ではない。

その他の回答 (9)

noname#144293
noname#144293
回答No.10

ANo.3です。お礼文読ませて頂きました。 質問者様が一体「孤独」の何を見出したいのかが理解しかねます。 >この際の孤独は「自分の責任は自分で負う」という考えです。「責任転換しない」とも言えます。 自分の責任は自分で負うのは、大人としての責務であり、至極当然のことです。孤独とは全く関係がありません。では、孤独でなければ責任を負わなくて良く、責任転換しても良いのでしょうか? それならば、会社に属し、上司や同僚もいれば、重大なミスを犯しても、その責任は上司や会社が負ってくれるのでしょうか? あり得ません。社会に出れば全てが自己責任なのです。 確かに孤独は一人ぼっちだけを指す訳ではありません。一人ぼっちでも、心で何かを思い続けたり、何かと心が通じたり繋がっていれば孤独ではないと言えます。重要なのは、心がどうかなのです。前回にもお答えしましたが、孤独を孤独感と捉えると、心で思っていたもの、心が通じていたものがなくなるということです。 この孤独感が増していくと、やがて絶望を覚え、それが絶望感になってしまう。こうなれば、心どころか希望自体が全くなくなるということですから、生きて行けなくなるということなのです。つまり、人は身体だけで生きられる訳ではなく、身体と心が一体となって生きているのです。 従って、人生は決して孤独ではないということです。

tarori2
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自分の存在責任を負って生きることは孤独に生きることと私は考えることができると思います。自己責任を負うことが孤独と関係ないならば、事業に失敗して自殺する人をどう説明しますか。孤独に「なった」から自殺したとも言えますが、もともと自殺するリスクを背負っていた彼は孤独をはらみながら生きていたと思います。 もちろん人生は孤独感を味わわないよう巧くできている部分もあります。ですが「結局最後は自己責任」論も一つの孤独の形ではないか考えついたわけです(それを否定するつもりは全くありません)。 確かに孤独は孤独を感じるから認知されるのですが、自己責任の人生は孤独感→絶望の引き金となりうる、つまりもともと孤独を身にまといながら人は生きていると考えた、と言えばわかりやすかったですね。 孤独を多義的に使い過ぎでした。すみませんでした。 「人生最後に頼れるのは己のみ!」これを孤独と捉えるかどうかの問題でした。

  • miko-desi
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回答No.9

>「自分と観客とがwin-win関係かどうか」ということでしょうか。 自分と観客が同じ感動や感謝を共有出来たらいいな、素晴らしい。 「現状維持や適者生存(効率性)」を目指すための演技と 「突然変異(自立有効性)」が歓迎される演技もあり。 常に不可知なことは起こりえる。 win-win関係は確認をとる必要もなくせるまで 互いの信頼関係や期待させる表現を両者ともに獲得するのは大事なんでしょうね。 >期待しない、期待されない人間は疎外感とは無縁なのでしょうか 私の素性文脈は実にまずい!!(汗) 劣等感克服したいがために、事実プロとなれた人も多いし、 希望的観測ですが開き直って晒しつつ。 期待することは動くためには大事ですよ。 けれど期待されすぎて動けない、辛いという人もいるはず。 疎外感を持たない人は人を不快にさせたりしてない。 いってしまえば、どうでもいい人かもしれない。

tarori2
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 演者としての自意識の問題ですか。孤独は自意識過剰が招くのかもしれないですね。期待されない演者、期待されすぎる演者。どちらも葛藤があります。「気にしない」てのが一番穏やかですがしかしテクニカルです。

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.8

度々誘致されてしまう(精神)年齢14歳女です。 「孤独」はいってみれば「疎外感」です。 役を命じられてないまま人生の舞台?に立たされた自分(役者)と、 それを見ている第三者(観客)との関係成り立つもので、 観客が居なかったり芝居に興味を示してくれてなかったら(意味のない世界) 疎外感が生れます。 人は一人で生きていけないというのは、 本能と経験だけに任せて生きられる動物でいることが出来ないからです。 出来たら幸せかも? 縁者と観客を遠まわしに観察している自分(演劇魂?)が 「孤独」や「共感」を得たりと芝居の評価を下します。 抽象的な回答ですみません。

tarori2
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「自分と観客とがwin-win関係かどうか」ということでしょうか。そうならば他者は不可欠ということになりますね。 他者への期待値。 他者からの期待値。 この間のひずみ具合が疎外感を生む?ならば、期待しない、期待されない人間は疎外感とは無縁なのでしょうか。

回答No.7

 人は皆 顔が違います 指紋も違います    個性も違います 世界で 一つしか 無いのです    それが いいのです その 世界で一つの 個性を    大事にして もっと 自信をもって 他人と比較しないで    貴方の 個性に自信を もって オンリーワン の個性    自信を持って 自分を 生かして 誰にも無い 個性    それで いいのです 世界で一つの 個性を 大事に

tarori2
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 個性への執着は人一倍あるかもしれないです。しかし、「自在」ではないです。まだまだ弱いんですね。

回答No.6

そうですねぇ。 YesかNoかだと、満場一致の答えはないかもしれませんね。 ただどちらの側面もあると思います。ちょっと頑張って説明して見ます。 自分流に例えてみると、「光」を観測する時に、光は「波」だと思って観測すると実際に波になります。 逆に、「粒」だと思って観測すると、実際に粒になります。 つまりどちらも正しいのです。 もうちょっと簡単な例だと、黒と白の縞模様の生地を見る時に、白地に黒の線が入っているとして見ればそう見えるし、逆に、黒地に白の線が入っているとして見れば、これまたそう見えますねぇ。 つまり、自分がどの角度で見るかで答えが変わると思います。 これは、全く同じ環境で同じ経験をしても、自分の見方によって、孤独かそうでないかが決まるのだと思います。 判りやすい例を出すと、宗教に入っていて、常に神様から自分が溺愛されていると信じている人は、周りの人から見たらどんなに悲惨な程に孤独に見えても、本人は孤独ではないようです。

tarori2
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 判りやすい例ですね。 見方によって変わる。確かにそうですね。白黒のどちらも本質。孤独は必ず本質として存在していて観察者によって解釈が変わる、というのが正解でしょうか。

  • magnus4
  • ベストアンサー率32% (65/201)
回答No.4

人間が孤独について考えるのは、助けがほしいときに助けがないときだけではないでしょうか。 そういうときに助けられた経験を持つ人は、人生は孤独ではないと言い、経験のない人は孤独と言う。 自分の感覚では孤独です。 人から助けられた経験などありません。 しかしそれは自分の感覚の話で、実際には自分がまったく気づかないうちに周りが自分をたすけてくれていました。 なので実際には孤独ではありません。 それに気づくには、年季が必要でした。 実際に孤独な人が、年季が入ってそれに気づいたら、さぞかし虚無的になるのではないでしょうか。 自分は幸運でした。

tarori2
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「年季が必要」 私はまだ気付いてないことが多いのかもしれません。 「助け」 人に期待して期待通りに返ってくる。そういう世界は理想的ですが実際そうではない。ということは大半の人は孤独を感じたことでしょう。

noname#144293
noname#144293
回答No.3

40代男性ですので、質問者様から見れば立派な年配者です。 人生、孤独では生きられないでしょう。ですから、答えは「孤独ではない」となりますね。 人間って、少々苦しくても辛くても死なないものです。しかし、「孤独=孤独感」と捉えると、孤独感が増していくに連れて、やがて「絶望感」になってしまいます。 絶望感を覚えると、生きられなくなります。こうなれば悲劇ですね。 ですから、人生を生きるということは、決して孤独ではないということです。

tarori2
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「生きる=孤独ではない」確かに孤独感に苛まされていては絶望してしまうでしょうね。ですが、「絶望」を避けるために孤独を背負いこむことは必要だと考えます。この際の孤独は「自分の責任は自分で負う」という考えです。「責任転換しない」とも言えます。

  • aiueo0427
  • ベストアンサー率33% (200/595)
回答No.2

(年配ではないはず…。) 31歳既婚女性です。 過去を振り返ってみて思うことは、常に「孤独」と隣り合わせな気がします。。 1人ぼっちではないとわかっているのに、何ででしょうかねぇ。。 たぶん…。生き方の理想が高いのかもしれません。 20歳前後の頃は孤独にならないように、充実するように努力していたように思います。 歳を重ねるごとに、孤独であっても、努力しなくなってるのは明らかです。 深く考えると悲しいです。

tarori2
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 孤独を紛らわす努力、とも言えますか。 努力をしなくなったのはなぜでしょう。孤独に鈍感になったわけではないのでしょうか。

  • O-Gon
  • ベストアンサー率22% (1024/4610)
回答No.1

孤独かもですが、孤独って別に一人ぼっちとイコールってわけではないですよ。

tarori2
質問者

お礼

そうですね。例えば好きなことに熱中してるとき、一人でも孤独を感じませんね。

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