『理論』の反対語について
反対語辞典では『理論』の反対語は『実践』だそうですが、これはどういう意図から決められているのでしょうか?
いっけんあってる気がするんですけど、ちょっとおかしくないですか?適当にたてた仮説をためしに何度も実践して、もしくは何度も実践してたてた仮説がたまたまうまくいったから理論ってものが確立されるんじゃないでしょうか?なんだかまるで、頭で考えたことが実践したら逆の結果になりますよとでもいわんばかりの問題だなって思ってしまい、ドツボにはまってしまいました。
理論ってのは人が、実践もふまえて長い時間と苦労をかけて練り上げていくものでしょう?そりゃあ、人の頭だから、完璧に実践と合うとは思わないけれど、学校で習うほとんどの理論は合ってるって信じる価値があると思うんです、人の苦労をねぎらう気持ちがあるなら。
そして、あくまで信じた上で自分の考えを加えていくのが、数多くの理論のおかげであるこの豊かな時代に生きることの、責任っていうものだと思います。
反対語っていうのは長いに対して短いとか、その言葉のもついろんな要素の一箇所だけがひっくりかえったものをいうんじゃないでしょうか?この場合は日本語であること、長さの表現であること、形容詞であることなどはまったく同じで、それが値として大きいか小さいかだけが逆になってるから、長いと短いは反対語なんだと思います。その点、理論と実践では次元が違うというか…。
と、勝手に怒りを覚えてしまい、この問題を間違えた記憶があります。どこが、どう反対なのでしょうか?
お礼
・早速の返答、有り難う御座います。 そうですね。 年齢も40近くなると、頭が固くなりつつあり、すぐに 浮かんできません。(元々かも知れませんが) これで、文章作成が進みます。