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一度、体を壊しても酒とかタバコや過食を止めない人と自殺する人では、命を軽んじているのはどちらでしょうか。

こんばんは。 他者の人生を尊重するのはもちろん、自分の命(与えられた生命?)も大切にしなければいけませんが。 (どうしてそうなのかは、ホントにそうなのかは、ここでは語り合わないこととします。) 体を悪くしても、止めないもの。 ・酒 ・タバコ ・運動不足 ・過食 これらが長期になり、死因ともなることがあります。 私が思うに、このような人は、好きでそう嗜んできた人のように思えます。家族の心配よりも自分の嗜好を優先している。。そんな風に思えます。 また、別に、、 自殺に踏み切った理由 ・経済的な生活苦 ・孤独感 ・いじめ等によるストレス ・過度の責任感によるストレス 私が思うに、このような人は、明日を信じていたのではないかと思います。もしくは、毎日を責任もって生きてきた。 (なんとなく日々を過ごしていた人より。) 信じていた分、挫折も大きかったのかも。 でも、がんばりが足りなかったのは、自殺した人。 そうされているような気がします。 命を軽んじているのは、どちらでしょうか。 ※ ほんわか湧いた疑問です。(あくまでホンワカとです。) ※ できれば、質問文に矛盾や違和感を感じても、強く返さないでください。 ※ 質問に対する直接の回答でなくても、感じたことでもお聞かせいただければ幸いです。 よろしくおねがいします。

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noname#100196
noname#100196
回答No.5

 遊んで死ぬことと真面目に死ぬことのどちらも、究極的には「死に対して、どういった覚悟をもつか」ということの違いだと思います。つまり、遊んで死んでも、真面目に死んでも、どちらも「覚悟」があってそうしたのだろう、ということです。 「酒、本気でやめないと、死ぬよ。」「そんなモロに言うの?」と夢二。会ったことない伸二に同情的。そしたら伸二がぼくの顔見て言ったよ。「いいよ、先生。死んでもいいもん。俺、死ぬの、怖くないもん。」笑ってそう言った。「笑って?」と夢二。伸二、死ぬ事、ずっと昔から、どこかで覚悟してたんだ。覚悟して、働いていたんだと思う。(死ぬのは、こわい? 徳永進 著 P93)  そしてまた、日本人の「死」とは本当に「死」んでしまうことだけではないと思います。日本人にとっての「死」は、一見相反するようであっても、共通した土台(覚悟)を持っていればそれを「死」と呼びます。つまり、多様な死があるのです。 殺すという言葉はいろんなメタファーをもっているんですね。いろんなレベルの、死の状況を含意している。西洋における死のイメージ、殺すという言葉が持っているイメージと比べて、日本のほうがはるかに多義的で豊富だと思うし、柔軟な考え方をしていると思いますよ。 (日本人の「死」はどこにいったのか 山折哲雄・島田裕巳 著 P108)  まじめな理由の死ならいい、不真面目な理由の死は駄目、ということではなく、しっかりとした「覚悟」があればよい死なのです。これは同時に、日本人にとって「覚悟」が「死」と密接にかかわっていることを意味します。例えば、実際には死んでおらず生きていても、何らかのことを行わないと誓った場合に「○○は死んだよ…(たとえば、「以前の俺」とか)」といいますよね。なかなか聞く機会はありませんが。もっとポピュラーなところですと、「死ぬほどがんばる」という言葉でしょうか。  日本人にとっては、覚悟がある所に「死」がある。なので、しっかりとした覚悟さえあれば遊んで死ぬことと真面目に死ぬことのどちらか一方が命を軽んじているとは言えないと、私は思います。

noname#77999
質問者

お礼

深いお答えですね。 (ちなみに参考になったボタンを押したのは私ではありません。) 回答者さまのお答えの意味を正確に捉えたかどうか自信はありませんが、 1つの考え方として新鮮かつ勉強になりました。 質問文中で使った「軽んじている」という言葉の選択も悩みましたが、 概ね私の疑問を読み取っていただいたようで嬉しいです。 ありがとうございました。

その他の回答 (4)

回答No.4

では感じたことを。。。 タバコにしろ、お酒にしろ、拒食・過食にしても「何でそこまで?」と思うことは確かにあります。 お酒がないと眠れない。タバコがないとイライラする。 フラストレーションなんだろうなって。その解消。 私は「寂しい人なのかな?」と思ってしまいます。 人には欲望がありますよね。お金、人、物、愛情、名声、仕事…。上手くいかないとき、人は何かに寄りかかりたくなるのかもしれません。 寄りかかるものがない(思いつかない)、寄りかかれない人が自殺してしまうのかもしれません。 それか寄りかかりすぎて、もうこれでは無理だと感じた人…。 命を軽じんている…私には比べられませんが、嗜好に走る人の方が何かにすがりついてでも生きていこうとしてるようには見えます。 死んでしまうのは私にとっては「セコい」んです。 本当に生きたいと思う人は自分の嗜好が死を招くと感じた時、やめれるかもしれません。 しかし「別に好きなことして死んでもいいや」と嗜好をやめれない人はある意味「死んでもいい」と思ってることになりますね。。難しいです。 でもそれでも生きている限りは考えが変わる可能性が残りますよね。 私の感じたことです。 ぼんやりとした回答ですみません。

noname#77999
質問者

お礼

こんばんは。ありがとうございます。 回答お寄せいただき嬉しいです。 ご回答を読んでいるうちにこんなことを思い出しました。 前に入院したことがあるのですが、 別の患者さんが、その日の初診の結果、入院が相当だと言われたようです。 その患者さんは、腹も大きく出たおじさんでした。 とにかく、今日はこのまま帰りたい。もうどうでもいいから、とにかく病院から出たい様子でした。 もしかしたら、仕事が詰まっていたかもしれませんが、体を根本から治すことをお座なりにしているように見えました。 確かに健康に気をつけて生きた場合と好きな事をすきなだけして活きた場合で、何年寿命に開きがあるのでしょう。 もしくは、無いかもしれません。

  • Lupinus2
  • ベストアンサー率26% (1802/6710)
回答No.3

私の友人も自殺しました。 真面目な性格でした。 私の半分くらいでも不真面目であったら、死ぬことは無かったでしょう。 酒や遊びに逃げることができれば、死ぬことは無かったでしょう。 身体を壊しても、生きてさえいればそれでいいです。 次に友人の葬式に行くのは、腰が曲がってからにしたいものです。

noname#77999
質問者

お礼

こんばんは。 そうですね。あとで知って、「おまえマジメ過ぎんだよ。」とその人に怒鳴りたい気もします。 でも、その人なりにギリギリまでがんばったんでしょうね。 不健康なことで溺れるなどしていないように思えますが。。 いずれにしても。知ってる人が去るのは、やっぱり、寂しいですよね。 ありがとうございます。

回答No.2

いい加減なひとは、酒、タバコやめません。 まじめな奴ほど、自殺します。 いい加減な奴ほど、軽んじます。 また、人のことなど、真剣に考えません。 自己保身で、人を追い込みますし、スト-カ-もしますし、いい加減なことしか言いません。 だから、人が嫌いです。 また、まじめだから、重く感じ、究極に考えると思います。

noname#77999
質問者

お礼

こんばんは。 真面目だから究極に考える。 そうですよね。愚直? そうかもしれませんね。不器用にも深く考えたんでしょうね。 周囲や他者へのことも考えたんでしょうね。 ロックスターなど、自殺しても美化されるのに、 一般人は命を粗末にとか、周囲は何故気付かなかったのか など、扱いが違いすぎます。 ありがとうございます。

  • Lupinus2
  • ベストアンサー率26% (1802/6710)
回答No.1

タバコを止めた人を追跡調査したら、 タバコが原因の疾患にかかる率は下がったのですが、アルコールによる疾患が増え、トータルでの死亡率は変わらなかったというデータもあるそうです。 ストレス解消がタバコから酒に変わったのでしょう。 嗜好品がストレス解消になっているのは、紛れも無い事実です。 悩みや苦しみを酒で紛らわせて毎日を生きているのかもしれません。 その結果、病気になっても、生きている間に多くのことができるでしょう。 死なないよう、自分を押しつぶされないよう必死に生きているとは思えませんか? 自殺したら、もう何もできません。 私は、最近ようやく酒を減らすことができるようになりました。 最も飲んでいたのは失業中です。 今日は美味しい焼酎でものんじゃおっかな~

noname#77999
質問者

お礼

こんばんはー。回答ありがとうございます。 ストレスの解消も大変ですよね。 それわかります。 でも、普通の家庭そうに見えるのですが、体壊すレベルまできても、続ける人もいます。 私は、自殺した人を知ってますが、真面目なやつでした。 社会での頑張りが足りなかったとは思えないです。。。 今日もおつかれさまでした。どうぞ良いお酒を。

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