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アフォーダンスについて
<アフォーダンスについて質問です。> 私達、人間が使用している言語(記号)も、行動を促すことをアフォードしていると言っていいのでしょうか?PCの電源アイコンを見ると、押せば電源がつくとか・・・ アフォーダンスは環境全てについて回るものと認識しているのですが、その「環境」とは、言語や記号も含まれるのでしょうか? 「ボタンを押してください」と丸い円の下に書いてある時、言語が丸い円を押すことをアフォードしているのでしょうか? ある隙間がある時、体の細い人には通れることをアフォードし、太い人には通れないことをアフォードしている。 こととの違いがわかりません。 環境とは、言語も含めてもよいのでしょうか? よろしくお願いします。
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kitara1ですが、言語世界が作る環境を想定すればほとんどギブソンの提唱するアフォーダンスと同じことが見出せるようにも思います。ある言葉や記号に対してどういう行動をとるかは個人個人で大きく異なりますが、こういう場合でも知識体系などが共有されていれば、その言葉が発するアフォーダンスはモノ(物体)が与えるものと本質的に変わらない性質を持っているのではないでしょうか。
- stealdream
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アフォーダンスは「行動の可能性」ですから「文字を読む」という行動はアフォードしていると思います。ただ「言語に従って行動する」のは記号論に基づいた行動ですのでアフォーダンスとは違うと思います。 つまりPCの電源アイコンは「押す」ことが出来ますが「押してください」という文字は何らかの解釈をしないと行動を促しはしません。このように最初に行動が来るのが直接知覚(アフォーダンス)の特徴かなと思います。 また「押してください」という文字で行動が促されるのは 「押してくださいという文字が書いてあるところはその部分を押すのだ」という社会的規範 に基づいています。アフォーダンスはそうした規範などとは関係のない「行動の可能性」ですので、言語とは直接関係はありません。この点で記号論と大きく異なっていますね。 ちなみにギブソン(アフォーダンスの提唱者)は言語に関してはほとんど語っておりません。
ボタンを押してくださいという言葉が意味があるのは日本語がわかる人に限ると思います。また丸い円は実は恣意性によってたまたま丸い円なのであって□であってもかまわないのだと思います。隙間の場合にはこのような恣意性はないと思うのですが・・・
まったくの素人ですが、言葉を道具と考えてみた時に、道具がなかった時に意味がなかった対象に意味が出てくるということはないでしょうか。
- orrorin
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ちゃんとギブソンを語れる先生に学んだわけではなく、書籍からの半端な知識ですが…。 アフォーダンスとは環境の事物に対して生物が関わるときに、その関係性のことを指すものと理解しています。 そうすると、狭義の意味では言語や記号はアフォーダンスを持たないのではないでしょうか。 なぜなら、これらは具体的に存在する事物ではないからです。 ただ事物ということをもっと広義に考えてよいのであれば、「言語は意味の伝達をアフォードする」というのは十分に成立するように思えます。 この辺はもっと詳しい方にフォローをお願いしたいところです。 言語そのもののことは置いておいたとしても、例に挙げられているケースでは、アフォーダンスが成立しているといってよいかと思います。 この場合は「人」と「言語の書かれたもの」について考えればよいからです。 ただし、アフォードしているのは「丸い円を押すこと」ではなく、「『ボタンを押してください』というメッセージの伝達」です。 押すことをアフォードするのは押せるものだけです。 記号(当然言語も含みます)についても同様で、例えば道路標識などを考えていただければよいと思います。 標識は人間には意味の伝達をアフォードしますが、鳥には関係がなく、一方そこに休息所としてのアフォーダンスを見出せるのは鳥だけです。
お礼
orrorinさん 回答ありがとうございます。 少し光が見えてきた気がします!!