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日本人の英語の勉強
以前、家庭教師の元で英語を勉強していた時に聞いたのですが、 日本人は世界で一番英語を勉強し、世界で一番英語ができないと聞きました。英語圏の人も知らないような文法をやったり、知らなくてもいいような英語の知識を勉強したりと… 皆さんどう思いますか? この家庭教師が言っていたことは信憑性はあるのでしょうか?
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アメリカに住んで40年目の終わりに近づきました。 このカテで書き始めて8年目に入りました。 私なりに書いてみますね。 いつも書いていることと同じになりますがまた書きますね。 英語を使える人で、ネイティブであろうと日本人であろうと、文法を大切にしない人はまずいないでしょう。 文法なしでは決められた文章の作りかたができないからですね。 しかし、学校で習っている英文法と呼ばれるもののすべてが英文法と言えるものではないと言う事は確かでしょう。 一般日本語で言えるところを、長くなってしまうから共通した理解を持つために用語と言われるものが出来たわけです。 すべての業界の用語をまったく同じ事です。 その業界で使われている用語を知らなければどうしようもない時がありますね。 名詞、動詞、進行形、完了形の擁護ですね。 これを使わずに英語を教える事はまず不可能に近いものとなってしまうでしょう。 しかし、時にして、使わなくたって「普通に教えられる」と言える用語さえあります。 文型番号なんかはその例ですね。 用語を覚えるために英語の授業を受ける、用語を知っていると英語を知っていると言う錯覚に落ちる、と言う状況を使うってしまったのが今までの英語授業であり、つい最近まで「優等生」として「すごい!」といわれてきたものです。 しかし、これだけ、実際に使われている英語表現が身近に接する事ができるようになると、優等生の英語表現や英文の理解に明らかな間違いがあると言うことが分かる人たちが増えてきたわけです。 そうすると、ちょっと待って、なんで英文をこと細かく用語を使って説明できる人が、英文を逆に理解してしまったり、ネイティブが首をかしげる英語表現をしている事実に疑問を抱くようになったわけですね。 20年前では誰もおかしいと感じないで「すごい」が言えたけど今では「それが英語力???」となってしまっているわけです。 つまり、昔あった英語力と言う評価の意味合いがより現実的なものになってきたと言うことでもあります。 このカテでもそうですが昔なりの参考書の説明を見ると、これは形容詞ですから意味はこうなります、言う説明用法を見る事が出来ます。 なぜ形容詞と言えるなのかを教えようともしません。 でもその用語だらけの説明を読むと「その説明を暗記しよう!」と言う気持ちになってしまうわけです。 文章の意味合い、つまりその英文を造った人が持っている意味合いなんて二の次と言うより3の次なのですね。 だからこそ、英文を見て文法的には説明できてもその文法を応用してネイティブが理解できない文章を作ってしまうわけです。 もし中学一年から英語を使えるように教える事は全国一貫して教えたら、日本は世界一二を争う英語力最低の国にはならないでしょうし、英語を一番勉強していると言うイメージはなくなるはずです。 本屋の半分をも占める英語関係の本の多くはなくなるでしょうし、塾、英会話学校の多くは倒産するでしょう。 しかし、現実的には難しいと言うほかはありません。 しかし、このようなきれいなカテがあるのですから無料で本当の意味での英語力はつくのです。 つかない方がおかしいのです。 なぜ、英語を使える人たちや使える英文法の専門家の方々が、まず中学の文法を身につけてください、と言う理由が分かりますね。 言い換えると日本語の英文法には二つの意味があると言うことなのです。 一つは英語を使えるようになるためには無くてはならない文法、となくても十分上に書いたなくてはならない文法で説明できるにもかかわらず覚えなくてはならない文法ですね。 本当に英語を英語学としての学問を身につけたいのであれば、大学に言ってから英語学科で習えば良いのです。 使える英語を身につけていれば関門は用語・用法名とその意味合いを知るだけなのですから。 そこで一生懸命品詞分けの研究や文型に関して討論すれば良いのです。 6年間も英語を必要の無いところまで入れて、しかもその6年間で600時間しなくなった授業時間で教える事のチャレンジがあるわけです。 英語を使える実力を付けたいか(最低チャンピオンから抜け出したいか)それとも、日本語の文法用語・用法名を使えるけど英語の理解は中途半端、作る英語も中途半端(最低チャンピオンベルトをまき続けるか)、答えははっきりしていると思います。 ブロークンイングリッシュさえいえない高校卒業生、もっともっと教育委員会に文句を言ってください。 しゃべれないせいの先生、もっともっと現実を見つめてください。 一世代前の英語の先生はそれでよかったのです。 しかし今では、しゃべれないなら、しゃべれるレベルの資格を持たせると言う方向には行かなくALTをお金をかけて雇えば良いとした政府があるのです。 そして、生徒の前でそのALTとコミュニケーションができない事を暴露してしまうのです。 それにもかかわらず、学校ではヒアリングとスピーキングを教える??? 何かおかしいとネイティブは感じるわけです。 感じない方がおかしいです。 英語表現が出来ない人が英語を教える??? 英語を適切に理解できない人が英語を教える事が出来る思いあがっている??? そして、もっとおかしい事に、そのおかしい事を教えていると言うことに気がつかないのはそれだけ英語力が無い、と言うことすら考えないのはなぜ??? この家庭教師の言った事の信憑性ですか? かなり高いと言うしかないでしょう。 日本人が頭が悪いのでは決してありません。 TOEICや英検級数を就職に必要だと言う事はすなわち面接する人たちが英語が出来ないと言うだけなのです。 だからこれらを使うしかないと言うことになってしまうわけです。 面接で英文で試験をし、英語で面接すればいっぺんに志願者のレベルが分かります。 そして、必ず日本でもその日が来ると思います。 次の世代になるでしょうけど。 参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたらどんどん突っ込んでまた書いてくださいね。
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No.6です。 すみません、ちょっと補足です。 >必要なわけではないんだけど、英語できたらいいなー、かっこいいなーと思っている人は多いんでしょうね。 あ、これはこれでいいと思うんですけどね。 私も別に高尚な目的で勉強しているわけではないし。
学校で英語授業があるのに喋れないのはフランス人も同じだと、最近海外旅行カテゴリで読みました。 どの程度勉強しているのかは知りませんが・・・。 >英語圏の人も知らないような文法をやったり、知らなくてもいいような英語の知識を勉強したりと… 知らなくていい部分にこだわったり、文法を覚えるために文法を勉強するのは本末転倒だと思います。 異様に難解な文書を解読するよりは、簡単な文章をたくさん読んだり、会話練習するほうが一般会話的には役立つのかもしれない。 英語圏の大学へ留学したい人なんかはそれじゃ足りないでしょうけれど。 ただ、他の方もおっっしゃっていますが、ネイティブだとかえって文法を知らないかもしれませんよ。 私は日本語の文法がよく分かりません。 でも外国人が日本語を勉強する場合は、文法を習うでしょう。 昔、スペイン語を習っていたとき、南米人(大卒で日本の大学院に留学に来ていたので、インテリと言えましょう)がスペインで出版されたスペイン語の教科書の文法説明を見て、「ああ、こうなってたんだ、へー、知らなかった」と日本語で言っていました。 TOEICは日本人が発案したものなので、日本で人気があるのは仕方ない(?)のでしょう。 勉強する側の意識もどうなのかなーと思ったりします。 「何でも構わないからとにかく何月までに○○○点欲しい」とか「履歴書に書く資格として有利だから」と思ってTOEIC勉強している人は、英語を生きた言語だなんて考えてないんじゃないでしょうか。 別に実際に使えなくてもいいんでしょう。点さえあれば。 (TOEICが役に立たないと言っているわけでなくて、使い方や意識次第だと思うので) 英語の勉強と言っても、どういう方向に勉強するのかというのもあると思います。 方向の違うことをやっていて「あそこにたどり着けない」と言っているのでは、それは違いますしね。。。
- genmai59
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あたっているところもあり、あたっていないところもあり、だと思います。かなり以前から「常識」のように言いふらされていますが、真相は、そう単純なものではないと思います。 日本人は会話練習は学校ではほとんどやっていません。「世界で一番英語を勉強」しているけどできないのではなく、「会話は勉強していない」ので、できないだけです。 でも、不十分とはいえ、自分の専門分野の英語資料はなんとか読める日本人はけっこう多いと思います。英語がペラペラの外国人といっても、実際に調べてみると、自分が必要な範囲内でブロークンな会話で意思疎通ができる程度で、文章は読めないというケースが多いと思います。現在、外国人介護職が老人ホームでお年寄りと会話して世話をするのに問題はないけれど、業務日誌を読み書きできないといったことが、問題になっています。 日本では、少し前までは外国人と話す機会はほとんどなかったわけですが、英語資料を読む必要があるビジネスマンや技術者は、必死で英語資料を読んでいたわけです。 けっきょくはどちらも必要にせまられて必要な能力を伸ばしたわけで、会話力だけを見て、英語ができる、できないを判断するのはおかしいと思います。 それから、英語圏の人も知らない文法をやるのがおかしいという説は、逆におかしな話だと思います。ネイティブスピーカーは無意識に文法を使いこなしているだけで、文法力がないわけではありません。あなたも日本語を使うのに、文法など意識していないと思いますが、絶対に「私、話す、日本語」とは言わないと思います。 外国人が外国語を習得するには、ネイティブとは違ったアプローチが必要で、基本的な文法は学ぶ必要があります。主語とはどういうもので、動詞とはどういうもので、それをどの順番に並べたらどういう意味になるかという勉強は、外国人として英語を学ぶには、必要なことです。 ただ、問題は、応用力をつけるための手段にすぎないものを、目的と勘違いしてしまっている人が多いことでしょう。それは、教育システムの問題というよりも、教師と生徒のレベルの問題かもしれません。
- duosonic
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信憑性があるというか、もうそのままじゃないですかね。少なくとも僕はこのQ&Aでは、「英語の質問」と「日本流ハードコア英文法の質問」を分けて考えるようにしています。文法が分かるフリ?をしながらも、「英語=コミュニケーション」であることを念頭に柔軟に対処するように心がけています。 先行の方々ご指摘の通り、学卒の米国人であろうが科学者であろうが、「SVOC」と言われて何のことか理解できる人はほとんどいません。「S stands for subject, you know "I" or "You". Then V is verb ...」と説明してやって、初めて分かってくれるかな?という程度です。本当です。ましてや「Is this sentence 4th or 5th sentence pattern?」なんて聞いた日には、「What pattern ? What are you talking about?」と言われます。 要するに、彼らは「そういう英語教育は一切受けていない ⇒ 必要ないと判断されているから ⇒ もっとコミュニケーション自体に重きを置いている」ということですよね。 でも、どうしても分からないことを例文にして「英語でこういう風に言う?」と質問すると、「う~ん、言えないことはないと思う。でも一般通常ではそうではなくて、こんな風に言うかな」という答が返ってきます。それがまた全問正解なのですよ。まあ彼らの思考回路自体も英語なのですから合っていて当たり前と言えばそれまでですが、反対に「だったら「日本流ハードコア英文法」って何のために学校で教えられているんだろう?」とは思わせますね。 「日本流ハードコア英文法」を長年勉強すれば、入学試験用に読み書きには強くなるでしょう。しかし本来の姿である「英語=国際的コミュニケーションのツール」という観点からは掛け離れているワケで、そういう人が英語圏の人の前に放り出されても対等に渡り合えるかというと、まず無理でしょうね。そういう意味で「世界で一番英語ができない」とはその通りだと言わざるを得ませんよね。 例えばネイティブが、 ・"Oh no, I just realized I left my wallet at home!" 、、、と言ったら、とっさに、 ・"No problem. Here is \10000. You can pay me back tomorrow." 、、、と言うべきところ、「日本流ハードコア英文法」の人は「げっ、何でネイティブの人が had leftって言わないんだろう? おかしいなぁ、realize の後の動詞は過去完了でなくて単純過去でも良いという例外があるのかな? それとも時制の一致なのかな? 参考書見た方が良いのかなぁ」と、その晩は眠れなくなってしまうのでしょう。「英語=コミュニケーションが何よりも大事」という観点からすると、「だってそれ、そこまで考える必要あんの?」という話ですよね。 だからって基本のところはバッチリ押さえておかないと、応用した考え方ができなくなってしまいますから、語彙や文法を疎かにして良いと言っているのではありません。でも偏重し過ぎるのは「本当の意味での日本の国際化」にはつながらないだろうなぁと憂慮はしてはいます。一言で表現すると、「「活きた英語」とは何なのか?」ということなのでしょう。 ご参考まで。
どういう基準で勉強の量を比較するかによるので、一概には言えないと 思いますが、感覚的には間違っていないように思います。 語学はスポーツと同じという考え方があります。いくらテニスの本を 読んで理論を理解できても、練習や実践を積まないと、実際にテニスが できないように、語学も、ただ単語や文法を勉強するだけでは、実際に コミュニケーションすることはできません。 そういう意味で、日本の多くの「英語学習者」は、練習や実践の量が 極端に少なく、理論の勉強にばかり時間を費やしているということだと 思います。別の見方をすれば、十分に理論はわかっているので、非常に 潜在的な能力は高いと言えるかも知れませんね。
- natumikang
- ベストアンサー率16% (43/268)
主語は「日本人と韓国人とは」でしょう。 TOEIC神話も両二者です。 文法や読み書きに重点を置いてしまうのは結局は話し、聞けないからです。歴史的なものもありますが実際のところそうでしょう。 リスニングに泣かされるでしょう。 英語とどれだけ発音がかけ離れているかというものでは、 世界のビリが日本とベトナム、ビリ2が韓国です。もちろん目糞鼻糞。 だんとつビリ3です。 面白いことに日本は発音コンプレックスがありますが、 ベトナム人と韓国人はそういうのがありません。お笑いぐさです。 しかしベトナムの語順はSVO式で欧米に似ています(特にフランス語などのラテン系の言葉の語順に似ています)。 で、韓国の英語学習熱は日本以上です。 (古来より宗主国様の語を熱心に土下座して学ぶのが当国の伝統です) 日本の本屋のTOEICコーナーでは韓国人著者がいっぱいいるという日本にも波及する異常さです。 そういう日本と韓国ですが、学校ではまさに会話非重視に偏重せざるをえません。教師こぞってできませんから笑。 例えばこの家庭教師も英語会話が実際できないでしょう。 オランダではありえないことです。 で今両政府は会話重視にしようとしたいのですが無理でしょう。教師ができないのですから。なら読み書きで勉強具合をたしかめるしかないのはこれからも続くでしょう。アメリカでスペイン語がメジャー言語になる数十年後までね。
- sanori
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こんにちは。 「一番」は、もしかしたら大袈裟かもしれませんが、定性的には合っていると思います。 文法については、たとえば、 かつて私の友人であったネイティブ(留学生)に、私が、 「日本では、文の形を、SVとかSVOとかSVOCと教えるんだよ」 ということを言ったら、彼は、 「ソレ、何デスカ?」 というわけです。 そこで私が、 「Sはsubject、Vはverb。」 と言うと、 「アー、ワカリマシタ。ダケド、Cッテ何デスカ?」 と返してくるわけです。 そして私が、辞書で complement の見出しの部分を彼に指し示すと、 「日本ノ英語ノ教エ方、オカシーデス。」 ちなみに、彼は優秀な人物ですよ。 日本と英語では、基本的な相違点が色々あります。 たとえば、述語(動詞)と目的語との位置関係が異なる、という極めて大きな相違点があります。 この点、英語以外のヨーロッパの言語、あるいは、中国語のほうが、英語に近いと言えるでしょう。 しかし、だからと言って、先に文法ありきの覚え方をすると、 「なぜ、私が考えたこの英文ではいけないの。学校でならった文法的には合っているはずでしょ。」 となってしまうわけです。 文法とは、世の中で使われている文の中から法則性を見つけて体系化したものに過ぎません。 文法を、考え方を簡単にするための便利ツールとして捉えるのには、私は賛成です。 しかし、いかつい名称の文法用語を先に覚えて、その次に、実際使われる文を学ぶという逆の手順を踏むのは、私は「不幸な」ことだと思っています。 次に、 「世界で一番英語を勉強している」については、 英会話教室に通って、尋常でない額(と私は思っています)の授業料を払うことを不思議に思わない、というのは、ある意味「一番勉強している」ということなのかもしれませんね。