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ベルリン空輸時の犠牲者
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/141001 ベルリン空輸という出来事は知っていますが 「空輸作戦時には軍に約70人の犠牲者も出た。」 とは初めて聞きました。詳しくおしえてください。 過密な離着陸で航空事故がおきたのですか。
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Waehrend der 280 000 Fluege verunglueckten 78 Menschen (39 Briten, 31 Amerikaner und acht Deutsche) bei 70 schweren Unfaellen toedlich. 28万回に及ぶ空輸で英国人39人、米国人31人、ドイツ人8人が70の事故(墜落事故も含む)で犠牲になったそうです。http://www.tagesspiegel.de/berlin/Berlin-Blockade-Luftbruecke;art270,2556858
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- k99
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まず申しあげておきますが、飛行機というものは飛べば一定の確率で落ちる代物です。それが今と昔では若干率が変わっているだけですが・・・。 過密にするとそれ自体が事故の引き金ともなりますが、サイコロを振る回数を多くするので通常の事故も当然多くなるわけです。 さて、この空輸作戦では、約280000回の飛行が行われました。この間、航空機10機が事故により喪失しています。 飛行機も輸送機の他に、爆撃機や飛行艇、戦利品の独輸送機すら掻き集めています。ちなみに飛行艇は英軍と民間の物で、耐腐食性があることから塩の輸送に充てられました。 ピークの着陸はほぼ1分に1機の割合、現在の羽田を上回る忙しさです(羽田はジェットの関係で間隔設定がされているような気がするが)。 実際の事故ですが、48年の7/30日(悪天候の金曜日だった)、指揮官の中将が便乗した機体が着陸に失敗し炎上、後続2機も事故を起こしています(死傷数不詳。少なくとも中将は生還した)。また、アパートに輸送機が突っ込むという事故もあるようです。 英軍では9月にアブロ・ヨーク輸送機がエンジン不調のため墜落、搭乗していた5人が死亡。この事故を嚆矢として、英軍は数機の輸送機を喪失し、うち1件は22人を載せたダコタ輸送機がソビエト管理区域に墜落し9人が死亡しています。この中にはドイツ人も含まれていました。
- bossnass
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>過密な離着陸で航空事故がおきたのですか。 はい。 1948年6月末から翌年の9月まで空輸は行われました。 単純計算で、4分に1便の輸送機がテンペルホーフ空港や市街地上空に 飛来したため 当然、輸送機どうしの接触・離着陸時の接触や墜落も多く発生し、 70人の死者と約400人の負傷者が出たそうです。 ただし70人の死者は、すべて英米軍人。 ドイツ人の死者はカウントされておらず10人前後だそうですが 正確な数字は出ていません。 同空港の狭さや当時の航空技術やソ連側の妨害(戦闘機をわざと 近づけて航路の妨害)を考えると意外に少ない損害と言えます。 過密スケジュールのため、 輸送機の中には空港に着陸せず空から荷物を落下させたり、 ソ連支配地に不時着する輸送機もありました。 ドイツ人の多くは、この英米の勇敢な空輸作戦に当時は謝意を示して いますが、その後あまり関心が薄くなったようで 記載のニュースで、テンペルホーフ空港の存続についての住民投票 は投票率がかなり低かったようですね。 ベルリン空輸を立案・指揮したのは、あの悪名高いカーチス・ルメイ というのも皮肉です。 ちなみに、空輸された物資だけではベルリン市民220万人の生活は 維持できず特に燃料が不足して、戦時中でも残っていた緑地の木は 全て切り倒されて暖房用や調理用の薪になってしまったそうです。 そのため、現在のベルリンの木は「樹齢60年」がほとんどだそうです。