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日航機御巣鷹山墜落事件の真相と遺族の活動
- 日航機の御巣鷹山墜落事件は500名以上の犠牲者を出した大惨事であり、遺族の方々は現在も真相究明と補償・説明交渉を求める活動を行っています。
- 社会的・収入的に高い層の人が多数犠牲となったため、政府や航空会社は遺族の要求に応じざるを得なかったが、遺族の行動にはエゴチックな要素も含まれていると指摘されています。
- また、航空機の運賃については、当時と現在の差異については不明です。
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1~2はその通りだと思います。 芸能人など著名人が多く含まれていたことでも有名ですし、当時の国内移動は新幹線や特急列車が主流でした。 しかし3~4は間違い。 航空事故についての補償は集団訴訟になるので一人あたりの負担は微々たるものですし、 どこの国の事故でも必ず大規模な訴訟により航空会社を動かすことになります。 そして、航空事故は国際間の問題も絡んでくるので政府も動かないわけにはいきません。 日本の航空機が危険だと認識されてしまえば、外国との航空協定も結びにくくなってしまいますし、 それは民間移動だけではなく輸出入にも大きな影響を及ぼすことになります。 ですから、仮に乗客が庶民だけだったとしても、結果は変わらなかったと思われます。
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- tpg0
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日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落したのは、1985年8月12日の夕刻でした。 この年は、地元で「つくば科学博(Expo'85)」が開催されてました。 既に、お盆休みに入ってましたので、家族連れで5度目の博覧会見学に出掛けた帰りに車のラジオニュースで日航ジャンボ機が行方不明になった事を知りました。 万博会場から自宅に帰宅した頃に、群馬県御巣鷹山に墜落した事を知りました。 乗客の中に、地元出身の歌手「坂本九」さんが含まれてるのを知りショックを受けました。 事故機は、以前に尻餅着陸を起こして圧力隔壁を修理した機体で、羽田を離陸後、圧力隔壁が破れて尾翼が取れてしまい操縦困難になったと記憶してます。 1、当時の航空運賃は、既に庶民的な運賃で特に社会的地位が高くなくても気軽に利用出来ました。 2、犠牲者の遺族が社会的地位が高い人が多いとは初耳で、出張やお盆帰省の一般的な乗客が多かったと記憶してます。 3、犠牲者が多かったので、一部の遺族は高額補償を求める声があったと思われますが、事故原因究明が先決で補償問題はニュースになりませんでした。 4、事故原因は、ボーイング社の修理ミスと言われてますが、ボーイング社は修理ミスを認めようとしなかった印象が残ってます。 遺族にエゴ的な行動があったと言うのも初耳で、一部の遺族に限られたものではないでしょうか。 この事故を教訓に、機体の金属疲労等の検査は強化されたようですが、遺族に社会的地位が高い人が多かったからとは思いません。 単に犠牲者が多かったからと思います。 当時の航空運賃と現在の航空運賃の違いは、羽田空港⇔伊丹空港間は2万円程度で殆んど変わっていないと思います。 因みに、当時35歳だった私の月給は50万円(残業含・税込)前後で比較的高給でしたが、高所得=インテリとは夢にも思ってません。
お礼
いやあ、50万ももらっていれば、十分高額所得だと思いますよ、物価を考慮した現在から見ましても。 話の本題ではありませんが、航空運賃に関しては、多分そんな感じでしょう、庶民でも使おうと思えば使えましたが、でも安くはない、高いなあ、できるなら安い新幹線や長距離バスを使うか、といった幹事なのでしょうか。 その他にもいろいろお書きいただきありがとうございます、参考にさせていただきます。
>あながちハズレではないと思うのですが、個人的にはなんとなくナットクのいかない意見です。皆様はどう思われますか。 私も△?です。ただ、あなたと違って共感するところはあります。 このような派手な大事故でなく、ひっそりとした小事故で殺された人は気の毒だなあ。・・・という気持ちです。 >あとこの事件がおきた当時って、航空機の運賃は現在とどの位違ったのでしょうか、ご存知の方教えてください 庶民の乗り物ではなかったです。チョッと上のレベルの人の乗り物。
お礼
>このような派手な大事故でなく、ひっそりとした小事故で殺された人は気の毒だなあ。・・・という気持ちです。 同感です、優しいですね。 >庶民の乗り物ではなかったです。チョッと上のレベルの人の乗り物。 やはりそんな感じでしょうか。ムリして乗れないことはないですが、必要ならやはり、安い新幹線や長距離バスを使う、そんな感じだったのでしょうかねぇ。 お答えいただきありがとうございます、参考にさせていただきます。
まずその論の大前提になっている「1」に疑問を感じますね。 お客のうち仕事で使っていた人は、サラリーマンにしろ自営業者にしろお金の出所は経費であるわけで、その人自身の所得は関係しないでしょう。 それから何にせよ東京~大阪線というのは当時も今もドル箱路線であり、それだけいろいろな人が使う路線だということになります。そしてあの事故があった日は、いわゆる旧盆期間中ですから尚更じゃないでしょうか。 これが観光需要の大きい路線であれば、或いは客層は平均以上の所得がある客層にある程度の偏りはあったかも知れませんが、こと東京~大阪線に関しては、如何でしょうか。 ただしごく数値的なことを言えば、航空便利用客の所得というのは全国民の平均よりやや高めでしょう。なぜなら所得分布の最下層の方に属している人たちは、そもそも航空戦を利用するということがない(できない)わけで、ここらが統計的には除外されてしまうからです。要するに大前提である「1」はこの程度=全国民の平均所得よりは高いという程度のものであるような気がしますね。 なお当時の新幹線の東京~新大阪の運賃料金合計は1万2600円(普通車指定席利用の場合)です。航空運賃(正規運賃)のおよそ半分程度だったと思われます。ただし墜落事故当時、東海道新幹線に「のぞみ」はまだ設定されておらず「ひかり」の所要時間は3時間程度であり、ここに航空便の圧倒的なアドバンテージがあります。 事故便の出発時刻を考えると、そのアドバンテージは「普通の人」を利用させるに充分だったであろうなと思えるわけです。同時刻に新幹線に乗ったなら、大阪に着くのは21時過ぎ、対して航空便は19時半前だったはずですからね。
お礼
当時の航空料金に関してお書きいただきありがとうございます。参考にさせていただきます、ありがとうございます。いろいろ私も調べてみましたが、やはり運賃に関しては、ムリして乗れないことはないですが、やはり使うなら安い新幹線、長距離バス、これが当時の感じでしょうか。
- iwashi01
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インテリチックで資力もあって、事故原因を追究できる遺族が、他の遺族(社会的・資力的に低い遺族)が事故原因を追究できずにいたからといって、事故原因の追究を制限されるとすれば、それはおかしな話だと思います。 遺族が、自分の能力と資力をつぎ込んで、その結果、航空会社や政府を動かすことができたとすれば、別にエゴチックだとか非難されるいわれもないと思います。 でももし、社会的・資力的に低い遺族と、社会的・資力的に高い遺族が、同じように事故原因を追究したとして、社会的・資力的に高い遺族の言い分だけが、その社会的影響力を考慮されて通ったとすれば、社会的・資力的に低い遺族は気の毒だなあと思います。 その手のことがあったんでしょうか?よく知りませんが。
お礼
私もよく知らずに、そのような傾向があったのかどうか知りたくて投稿しました。お答えいただきありがとうございます、参考にさせていただきます。本当の所、私もこのような傾向があったとは思いにくいのですが。
お礼
1,2はやはり私もそうではないかと思いますし、また航空協定の件、お書きいただきありがとうございます、参考にさせていただきます。