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江戸時代の少年犯罪への罰則

レポートで少年犯罪について調べたのですが、先生に江戸時代はどうだったの?と聞かれました。図書館やインターネットで調べてものっていません。 江戸時代の少年に対する犯罪・非行の処罰は、どのように行われていたのか、どなたかご存知の方教えてください!!明治時代からは旧刑法が適用されていたみたいですが、それも成人に対してのものしか見つかりませんでした。

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  • kantansi
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回答No.4

No.1です。 八百屋お七の件ですが、確かにいろいろ謎が多く虚虚実実諸説入り混じっています。 その中でも実説といわれるものは以下のようです。 宝暦7年(1757年)刊行の「近世江都著聞集」によると、本郷追分の八百屋太郎兵衛の娘お七が14歳の時に、天和元年本郷丸山の本妙寺の火事で焼き出され小石川の菩提寺円乗寺に避難し、寺の小姓・山田左兵衛と恋におちた。 やがて八百屋一家が新宅にもどり、お七が恋に悩んでいると、吉祥寺門番の子で吉三郎という悪者が、お七をだまし、恋文の取次をしては金品を巻き上げていたうちに、ついにお七をそそのかし、寺に放火させた。 さらに、奉行がお七を15歳末満として減刑したところ、火事場泥棒で捕えられた吉三郎がお七を16歳と偽証した為、吉三郎と共にお七は処刑されてしまった。  江戸時代に少年法と言う物は存在していませんが、いずれにしても、15歳未満の場合は、罪一等減じられたのは事実のようです。

syuuthu1
質問者

お礼

そうなんですね。いろいろな説がありますが・・・ わざわざ調べていただいてありがとうございます。この吉三郎という男最悪ですね。 ご回答ありがとうございました!!

その他の回答 (4)

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

そのレポートで是非強調してもらいたいのは、江戸時代の日本の法律の先進性です。 八百屋お七の例でも判るように、江戸時代の初期にすでに、大人としての権利を持たない未成年者や精神障害者の処罪を成人と同じにするのはおかしいという、人権に対する先進性を日本人は認識し、また、それを成文化していたのです。 人権に対して西欧諸国が、日本のこのレベルに到達するのは、日本のそれより100~200年程後になってからです。 それどころか、アメリカでは12才の少年の犯した犯罪を成人と同じとして裁いた例が、ここ2~3年程前のフロリダでありました。 日本では、鎌倉時代の貞永式目という法律の中で、女性への相続権を男性と同じにすると宣言する等、人間の平等に関して西欧よりも数百年も早い時代に実現しております。 貴方のレポートで、先生に、江戸時代の少年犯罪への罰則に関することや、鎌倉時代の女性の相続権等に関して、西欧諸国よりも遥かに進んだ日本の先進性を教えてやって下さい。

syuuthu1
質問者

お礼

そうなんですか!!驚きました。 日本は産業革命はイギリスの100年後ですし、ちゃんと国民に公共の福祉に反しない限りとして権利が認められたのが日本国憲法で初めてだったので、マグナカルタやイギリスの権利章典・ドイツのワイマール憲法より何百年も遅れているので、日本は全てで遅れていると思っていました。 やはり江戸幕府はそういう面でも現代に多くの影響を与えているのですね。しっかりレポートに書いて先生に伝えます!ご回答ありがとうございました!!

  • Dxak
  • ベストアンサー率34% (510/1465)
回答No.3

少年犯罪と言えるかどうか・・・ 「島原の乱」の「天草四郎」が、キリシタン側の指導者として担ぎ出されたのが16歳、いわゆる内乱指導者 島原の乱 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E4%B9%B1 旧少年法でも、16歳だから旧刑法適用 江戸初期だから、乱の最中に死んだことにはなってるけど・・・

syuuthu1
質問者

お礼

天草四郎がその後どうなったかはなかなか書いてないですけど、戦死になってますよね。ほんとのとこはどうなんでしょう。 ご回答ありがとうございました!!

  • Willyt
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回答No.2

 律令制度で元服は数え12歳と決まっており、元服をすればそれは成人と見なされるのが通例でした。源氏物語の主人公も12歳で元服し、大人になっています。ですから江戸時代には少年という概念はなかったのではないかと思われます。町人の場合には物心をついて頃には丁稚奉公に出され、貴重な労働力と見なされていました。ですから少年法のようなものがあるわけはないのです。八百屋お七の件は歌舞伎の上での作り話で、実際には今の心神喪失に当る場合には減刑の余地があったので、これを町奉行が問い糺したところ、正気だったと答えたために処刑を免れられなかったというのが本当のところのようです。これは赤穂浪士達にもこれを適用しようという動きがあったそうです。

syuuthu1
質問者

お礼

今は青年期が延長されて35歳までとかいう説も出てきているようですが、12歳というのは少し速すぎますよね。寿命の違いもありますが・・・ ご回答ありがとうございます!!

  • kantansi
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回答No.1

詳しくは分かりませんが、15歳(当時は数え年ゆえ満年齢だと13歳)以下の者は罪一等を減じられていました。 八百屋お七が16歳になったばかりで付け火で捕まった際、取調べの奉行が哀れみ、お七は15歳だろうと聞いたにも拘らず、彼女は正直に16歳であると主張し、お宮参りの記録まで証拠として提出し、結局15歳ならば逃れられた死罪になったというのは有名な話です。

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