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仏教信仰者の父からのお告げ お参り
- 仏教信仰者の父からのお告げについて理解ができず、助言を求めています。
- 父がお参りする際、仏様が憑依し喋りだし、摩訶不思議な体験をしているようです。
- 父からのお告げや風景の浮かぶ体験が苦痛であり、自分のペースでお参りすることについて疑問を抱いています。
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質問者が選んだベストアンサー
本来、信心とは自分のペースでやるものです。 そこに何らかの強制が割り込んできたときには要注意です。 壷を買え、集会に参加せよ、礼拝に出よ、お参りせよ、献金せよ、釈伏せよ などという人為的強制は上からではなく人からのものです。 それがたとえ仏様、ご本尊様、神様からの言葉だとして言われたとしても、 イヤなら聞く必要はありません。 わたし達の誰もが、魂の内に神という光を持っている存在です。 ですから本来、 わたし達は教えを請いに、誰かのところに出かけていく必要はないのです。 あなたがおっしゃるように、 内なる神とともに、あなたのペースで祈られればよいと思います。
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仏教には全く関係ありません。 父親が、あなたと仏様とを繋ぐ巫女のような役割になっているから起きる、よくある話です。 父親を、巫女の座から解き放ってあげれば直ぐ終わります。 例えば、父親が《「仏様がお参りにこいってよ」と言ってくる》ならば、「仏様に、言って欲しい。直接僕にお参りに来い、と語りかけて欲しい。」と父親に言い返す必要があります。 仏教の問題でなく、あなたと父親との関係の問題です。 憑依したような話し方をするのも、それによって、周囲の人から注目を浴びるからです。 注目を浴びることが嬉しいのです。 人によって、いろいろな例がありますが、家庭ではそのような行動をしても、職場では一切しない人が多いのです。 「仏様」を口実に使うのは、宗教の問題ではありません。 体力あるものが、暴力によって、弱いものを服従させていることと同じことです。 仏教を信仰している父親に、お告げは暴力と同じ、という考え方を言うことは彼の生き甲斐の琴線に触れますから、直接言ってはいけませんが、あなたはそのように認識している必要があります。 特殊なことではなく、あなたの父親は、弱い人だから、仏様を持ち出すだけなのです。 あなたの父親は、弱いにも拘わらず、あなたと上からの関係でいたいのです。 上からの関係でいたいから、仏様を持ち出すのです。 仏様を介さずとも、強い絆が二人の間にあるような話を積み重ねれば、仏様はいなくなります。
お礼
ありがとうございます。 父とはなんか壁があります。 仏様に全てを委ねてる感じです。 時間をかけて 仲を深める努力をしようと思います。
- ple6
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一言に仏教と言っても様々な宗派があると思います。 念仏を唱える(信仰)を行なうだけで良いとされている宗派もあれば、写経を行ない理解を深めようとする宗派もあるのでは無いでしょうか? 文章からはお父様が嫌いな理由がご質問者さまから理解できない行動を起こすからなのか、仏の名前を借りてお告げなどを強要してくるからなのかわかりませんが、お父様自体は良かれと思ってご質問者様にいろいろ言って来られているように思えます。 さて、本題の自分のペースで手を合わせたりするのはいけないことなのかと言うことに関しての個人的な見解ですが仏様をご自分に置き換えて考えてみられるのも一考かと思われます。 仏様に願い事を行なう事自体、個人的にはおかしな話だとは思いますが、忘れた頃にひょっこりやってきて願い事をしてくる人間に何かをしてあげようとする気になれるのでしょうか? 最初に述べさせていただいたように、宗派によって様々なしきたりはあると思いますが仏様をお参りすると言う事は自分自身の心を磨く行為だと思いますので、ある部分では自分のペースで無理をしないことも大切ですが自分と縁のある方との繋がりを強めていく目的としては完全に自分のペースでお参りさえしていれば良いとも言い切れないと思われます。 こちらもあまり仏教などに詳しいわけではありませんので、ご参考まで。
お礼
ありがとうございます。 父はよかれと思い言ってきますが、 僕にとっては悩みの種ですが 受け流す事も頑張りたいです
お礼
ありがとうございます。 気楽に行こうと思います。