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社会主義国
モンゴルについての本を読んでいたら、「モンゴル高原はこれまで社会主義圏に属していたため、フィールドワークを自由に行うことができなかった」とありました。なぜ社会主義圏に属しているとフィールドワークを自由に行うことができないのでしょうか? 基本的なことかもしれませんが、誰か教えてください!!
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- Mulumba
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社会主義圏に属していたモンゴルでもソ連人の学者は自由にフィールドワークを行えたのではないのですか?!要するに社会主義国ではフィールドワークができないということではなく。敵対している資本主義国の人間にはフィールドワークはさせなかったというだけのことでしょう。 さらに自由に行うことができなかったと言う意味ですが、自由に好きな場所で調査できないと言う意味の他に、調査旅行自体が自由にホテルなどを選べず、馬鹿高い料金を吹っかけられるという意味も入っているのではないでしょうか。 社会主義時代のモンゴルでは西側の旅行者からはできるだけ西側通貨を搾り取るという国家使命があったのでしょう。日本人がモンゴル国内を安く旅行することは不可能でした。実際フィールドワークともなると車をチャーターしたり相当な出費を強いられることになるでしょうから、経済的な足枷が加わり、その意味でも自由に行うことはできなかったでしょう。 私も1986年、社会主義時代に鉄道でソ連からモンゴルに入りましたが、一緒の車両に乗っていたソ連の軍人たちは皆格安のホテルに泊まったのに、日本人の私は市内で最高級のホテルにしか泊めてもらえませんでした。 現在では、モンゴルは社会主義圏ではありませんし、日本人でも経済的なホテルに泊まることはできますが、実際フィールドワークをするとなると車のチャーターなどは必須で金はかかりますし、ウランバートルから外へ出るには建前上は一応許可証にスタンプを押して貰わなければならないはずです。(旅行者の場合、事実上は許可証が無くても平気だが、フィールドワークともなると正規の手続きを踏んでおかないと問題でしょう)結局何だかんだで金はかかるし、手続きは面倒くさいし、以前よりはましになったというだけで、自由に行えない状況には違いは無いのでしょうか。ただ以前とは異なりフィールドワークも多数ある民間の旅行会社にお膳立てを頼むことができるので、選択の幅が広がったことは間違いないです。 結局のところモンゴルの国自体がフィールドワークを自由に行いにくい国であったということと、東西が対立していたから、日本人がフィールドワークを自由に行うことができなかったということで、社会主義圏だから民族学調査には不熱心であったということは全くないと思います。
- kawakawa
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中国もかつてはそうでしたが,外国人が自由に行動できる解放区と,外出も写真撮影も禁じられている未解放区とに分かれていました。というよりも,以前は大半の地域が未解放区であったのです。 これは,軍事上の機密ということも理由の一つでした。 また,解放区は特に裕福な選ばれた地域だけであり,貧しい未解放区は国策上,外国人に見せるわけにはいかないということも大きな理由だったのですネ。 社会主義国の場合,貧富の差を海外に知られることは,社会主義経済そのものが成功していないことを示すこととなることから,避けたいと考えたのですヨ。 実際に20年程前までは中国でもモンゴルでもベトナムでもフィールドワークは非常に制限の多いものでした。 未解放区に行く際には特別の通行許可証を発行してもらい,そこここにある検問所でチェックを受けたものです。 以上kawakawaでした
大抵の社会(共産)主義国もしくは独裁国家(共産党など一党独裁の体制を取ります)の場合、 国民に外部からの情報が伝わる事(また国内の情報が伝わる事)を極端に嫌います、 社会主義のため国民の私欲を抑えないと国家が成り立たず(滅私の精神でないと社会主義は成り立たず、人間が欲を基本として動くという根本を理解しておらず、完全な性善説に基づいているので破綻しました)、 外国はモット自由で豊かな暮らしをしている事が判ると国家体制の維持が出来なくなるので、 外国人の移動に制限を設けます、 例えば北朝鮮だと常に案内人が付き、 一般の国民との接触はさせないようにしているそうです(ヤラセの一般家庭へのインタビューとかはさせるようです)。
- sirokuro
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こんにちは。 単純に、土地が国のものだから(民間のものではない為、自由に開発できなかった)という解釈で良いのではないでしょうか。 と思いました。