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不安に浸りたい欲求
お産の時の苦しみから人間には「不安に浸りたい欲求」があるって本当ですか? 【参考文献】 実はその理由の一つが人間の出生、つまりこの世に生まれてくる時に関係しているということが心理学的な研究からわかってきたのです。 人間が赤ちゃんとしてこの世に生まれてくるとき、誰でも非常な苦痛を味わいながら生まれてきます。 陣痛によって狭い産道を無理矢理押し出され、一歩間違えば押しつぶされて死にかねない状況の中を耐えながら人は生まれてくるのです。 つまり人間はほとんどの場合、人生の一番最初の時点で心に大きな傷を負ってしまうのです。 その結果、本人が望んでいないように思っているにも関わらず、実際は心の奥底に刻まれた傷が、常にわき上がってこようとするようになってしまうのです。 ですから、 「ああ、なんて私は不幸なんだろう」 といったマイナス思考、つまり暗い考え方をしながら、自分が「悲劇のヒロイン」あるいは「悲劇のヒーロー」になっている気分に浸って、ある種の変な満足感を得る、といったことを無意識に求めてしまうわけです。 http://www.purasushikou.com/page2.htm
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- harrywithers
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ちょっと考えて見れば、わかりますが、 > 人間が赤ちゃんとしてこの世に生まれてくるとき、誰でも非常な苦痛を味わいながら生まれてきます。 これは、ウソです、人間は機械の用に、画一的に生み出される訳でもなく ましてや、個人個人の外界の受け取り方、感じ方違います。(だから人間だと思っています。) その為、「誰でも非常な苦痛を味わいながら生まれてくる」とは限らない、 もしかしたら、この苦痛の後には、喜びがあるのではと、 「希望をもって生まれてくる、赤ちゃんも居る」かも知れない。 極端に言えば、そういう論理だって、成立つことになります。 そして、悲劇の人物を演じたがる(=自己憐憫)は、根本原因は、「楽=怠惰」にあります。 「わたしはなんて不幸なんだろー」と泣いていたら、 誰かが助けてくれる、誰かが慰めてくれる、“楽”です、 自分で積極的に動く必要がないのですからネ~ 世界を受け入れて、臨機応変に対応し幸せを続けるためには、努力を続け、 自分を変え続けないと、幸せや他人との良い関係は、築けません。 これは、とても面倒くさいことだし、大変なエネルギーが要ることでもあります。 大抵の人達は無意識ですが、自分を変えたり新しいことを学ぶのは、面倒なことです、 出来れば、エネルギーを使いたくない(使うエネルギーがない場合も・・・)のです。 「私は、悪くない、悪いのはあっち(他人や社会)だ」と自己憐憫に居直れば、 自分を変える努力をしなくて済みますから、“否定的な思考は大変に居心地が良い”のです。 この参照のHPの作者は、否定的な思考の言い訳(合理化)に、 人との誕生過程と心理を画一化して捉えているようにしか、読み取れないですけどね。