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勘合貿易時の明の考え

勘合貿易時に私の持っている文献によると、滞在費運搬費等は明が出していたとありますがなぜでしょうか? 色々調べたのですが明確な答えにたどり着けず・・・。

みんなの回答

  • hippotis
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.3

>滞在費運搬費等は明が出していたとありますがなぜでしょうか? すでに他の回答者の方々がご指摘されているとおり、あくまでも明側が朝貢形式にこだわったからでしょう。 中国の皇帝にとって四夷(東夷・西戎・南蛮・北狄)の各国から朝貢を受けることは自身の徳を示すことでした。徳が低いと革命の要因になると考えられていましたので、皇帝は多額のコストを払ってでも朝貢を歓迎したそうです。 ちなみに「滞在費、商品運搬費は明側が負担する」ということが正式に規定されたのは、1404年に日明間で結ばれた永楽条約の時です。この条約では、他に「貿易品に関税をかけないこと」「貿易品を寧波で検査し、交易は北京で行うこと」などが決められ、日本側にとってはかなり有利な条件だったみたいですね。

Galison
質問者

お礼

ありがとうございます、真意を理解することが出来ました。

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

日本側の視点で言えば 勘合をもっての貿易なので、勘合貿易ですが、明(=中華帝国)からすると、朝貢となります。 明帝国内の人民等に対して、明の皇帝はこんな海外の異民族にも慕われているのだぞ!と見せびらかすことが目的です。 まぁ 出演料をもらっている俳優であると極端な考えをすればいいわけです。

Galison
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり今とは全く違った社会的思考なので、あれ?と感じる部分が多いですね。

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  • tamamakun
  • ベストアンサー率30% (55/179)
回答No.1

 日本史に詳しいわけではないのですが、質問内容に興味を持ち私も少し検索で調べてみました。  勘合貿易というのはお互いが対等の立場でお互い利益が出ることを目的とした一般的な貿易と違い、明が立場が上であり日本が下。日本が明に対して貢ぎ物を持って行き、それのお返しとして品物を下賜するといったものだったそうです。 明としては威厳を示すためにも貢ぎもの以上の品を下賜する必要があり、その結果日本としては属国となる屈辱を味わったとしても、やめることのできないおいしい「貿易」だったようです。  つまり、この「貿易」で日本が損をすることは宗主国である明のプライドにかけて許されなかった。ので滞在費、運搬費は負担してやって迎えてやる、といった立場をとったのではないのでしょうか?  私も、詳しい方の回答を楽しみに待つとします。

Galison
質問者

お礼

ありがとうございます。 この時代は幕府が、かなりの金欠状態だったのでそういった形でも続けざるを得ない状況だったみたいですね。 興味を持っていただいて感謝します。

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