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個人の時代の到来とともに、共同性を支える伝統的社会がもはや失われてしまった現代。

個人の時代の到来とともに、共同性を支える伝統的社会がもはや失われてしまった現代。 という内容の話をよく耳にしますが、何故伝統的社会を崩壊させて自由を与え、個人主義を機能させていく必要性があるんでしょうか? 何か身近な例をあげると共に、参考文献なども教えて頂けると大変助かります。宜しくおねがいします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • migimonza
  • ベストアンサー率26% (44/166)
回答No.1

耳学問なので、参考文献は、ありませんが、聞いたことを述べます。 一つ目は、伝統的社会を崩壊させて自由を与え、個人主義を機能させていくのは、 必要性でなく、産業技術の進歩の必然性から、伝統的社会が崩壊し自由もたらし、個人主義を機能してきた、面があることです。 二つ目は、日本に対する欧米人の偏見から、大東亜戦争敗北の機会に 日本を徹底的に骨抜きにし、二度と欧米に対抗する力をもてないようするため、 厳しい言論統制の下、伝統社会を壊す教育を行い、それが独立回復後も 進歩的文化人を中心に継続されて居るためです。 したがって、敢えて必要性と言うなら、日本の力を軟弱ににするためだと思います。

ibunogi
質問者

お礼

migimonzaさん 回答ありがとうございます。 米国はそんな事を考えてるんですね。。。 僕、アメリカ映画好きなので知らず知らずのうちに価値観を刷り込まれてる かもしれないです。。

その他の回答 (3)

回答No.4

>何故伝統的社会を崩壊させて自由を与え、個人主義を機能させていく必要性があるんでしょうか? 個人主義を機能させていることが伝統的社会を崩壊させる原因とはなっていないでしょうし、伝統的社会を崩壊させる原因は他にあるべきと私は思います。 たとえば箱根細工の例はどうでしょう。私は秋葉原の駅前の露天商の方が箱根細工を売っているのを見たことがありますが、その説明を聞いてびっくりしました。「箱根細工を作れるのは、今やたった9人になってしまっています。この職人さんも高齢化していて、この技術は絶滅寸前です。手作りの箱根細工が買えるのは今がチャンスです。ロボットが作る箱根細工なんて意味が無いでしょう。今が絶対お買い得です。」みたいな感じです。(正確な売り口上を覚えていないので、説得力に欠けていることはお許しください。ここに書いたことは私の記憶にある要点です。) 工場生産による大量生産、大量消費の時代によって伝統社会が失われてしまう好例でしょう。しかし手作りという心のぬくもり、職人さんの「優れわざ」はいつの時代でも心を打つものです。今や時代の最先端を行く秋葉原で箱根細工を売る露天商に、日本の伝統社会のしたたかさを私は感じました。 よって私は「日本人は伝統を守ることについて、とてもしたたかである」という考えです。したたかでない伝統社会は、どこかおかしくて、衰退の道を歩むでしょう。 「個人主義など西洋人が考えたおかしな価値観である」と質問者さんはお考えでしょう。しかし私は「日本人の価値観は、西洋人の考える狭い意味の個人主義、資本主義、自由主義という価値観を平気でけちらすパワーがあって、これが日本人の一種のアイデンテティなのです」という考えの持ち主です。この日本人のアイデンテティは個人主義、資本主義、自由主義を何も否定していませんから、西洋人から賞賛されこそすれ、否定される言われはないでしょう。 大相撲も伝統的社会の好例でしょう。NHKの放映料と文科省の補助金でやっと息をついていて、絶滅種の鳥類トキと同じでしょう。しかしハワイ出身の力士、最近はモンゴル出身、はたまたヨーロッパ出身の力士(私はこの力士の大ファンです)などで、政府自民党・農協・大手ゼネコン・大手金融機関など既得権益者・抵抗勢力が真っ青となるような「横綱のグローバル化」を実現しています。「政治経済がグローバル化しているなら大相撲もグローバル化して何が悪い」という大相撲関係者に私は大拍手を送りたいです。 私は伝統社会の崩壊を個人主義や、自由主義、資本主義経済のせいにしてはいけないと思います。本当に守るべき伝統社会なら、個人主義や、自由主義、資本主義経済のせいにせず、日本人、最終的には質問者や私が守ってゆきましょう。

ibunogi
質問者

お礼

moonliver_2005さん 回答ありがとうございます。 おっしゃるように本当に守るべき価値があるものは自分達で守っていかなければいけないんですね。自分で決断せずただまわりに同調していくだけでは何も言う資格はないんだと痛感しました。箱根細工、相撲。目に見える形と共にそれを育んできた環境にも目を向けていきたいです。

  • mmm001
  • ベストアンサー率9% (6/66)
回答No.3

まず・・・ 個人は共同体の中にあって 初めて《個人》でありえるという立場であること・・ からいうと・・・ 本来は個人と共同体は共生できるはず、せざるをえない、すべき存在のはずで それを 両者が相克関係にあるという前提をとるところに 論理の飛躍があるのではないでしょうか 個人性を無視した均等化された個人単位で成立した共同性など 非常に対応性の低い、 適応能力の小さな共同体が出来ると思います むしろ、、、生き生きとして有意義な(本当に意味のある個性)(A)個人の活性化が 出来ているか否かが問題の焦点ではないでしょうか? Aとそうでない個人性との違いは・・・ 具体例としてファッションに当てはめると・・・ Aは・・ 各地域、各民族語とその住まう自然により与えられた環境と共生する為の 衣食住と人間にだけ許されてる宗教文化が育まれてきていますが そこに・・・ 人類からこその煩悩である征服欲のままに振舞う武力民族(自分の自然環境が厳しく、育てるより、奪うことを良しとした民族)や 彼らの武力を利用し、 人間が得意とすることばによる理論上での世界征服・・・資本主義哲学を使って、 人々がこつこつ作り上げたものを 掻っ攫うシステムを作ろうとする民族が考え出した《個人》と《共同体》の定義が 二元論でAの定義と正反対の位置づけをし低照るように思えます・・ つまり・・ 資本主義を広めるときには、 《個性》発揮と持ち上げてはいるが、 実態、ファッション、流行の中で 個性はその作り上げたデザイナーの個性を 身にまとう没個性へ一歩進んでるということ・・ それ以上に、 本来の内面の個性を 外面の個性を強調することで 外面が奇抜になればなるほど、 内面でのマニュアル化一律化は進められてるように思えます 自然界が与えた動物のうち シートンにより研究が踏み込まれた狼を見てると・・ 私たちには狼の個々の違いは分かりにくいですが (怪我や毛色など以外) 同じように見えてるにもかかわらず、 彼らに人格?狼格?にはとても大きな違いがあり、 同じ狼の中でも個性性の強い動物だといえるように思えます 他方、虫はあまり個性性の感じられない・・つまり・・少々退屈な生物に感じるのですが・・ 人類は、 狼よりも本来、数百倍も個性性があるはずの生き物に生まれついてるはずではないでしょうか・・ だから・・ 10ヶ月のお腹にいても 生まれた時点では未熟児状態で 歩くどころか、 自分から母親に抱きつくことも出来ない状態で 母親に強く依存して約、1年間過ごすわけです 1年たっても危険から逃げるほど早くは走れませんし、 危険からは親の庇護の下で回避します 生物として未完成の状態が強く残った状態でこの世に生まれてくることの意味・・ これこそが個性の起源に思えます?? このように個性とは 最初から独自にできるものは実はまがい物で、 命の危険と愛情の代償の元で 育まれるのが本来の《個性》、健全なる《個性の発揮》に思えます・・ マネーで売買できるものに個性を見つけることは 本来は間違った方向に思えます・・ 伝統という言葉の定義も同じで 伝統は古い文化だという概念自体、まちがったレッテル貼りではないでしょうか むしろ・・ 伝統とは 地球との共生をするときの要点、コツがこめられた社会哲学や文化ではないでしょうか・・

ibunogi
質問者

お礼

mmm001さん 回答ありがとうございます。 個人の活性化が出来ているか否か?とありますが、個性を重んじているわりに発言がイキイキしている方を見る機会は少ないように思います。 日本における個性の尊重は、何がおこっても責任転嫁させないためにあるのかな?? そんな気がしました。

回答No.2

基本的にわれわれ先進国における現代の政治制度や法制度は、原則として個人対国家という構図の下、いかにして後者を押さえ込むか、前者を自由にするかという特定の価値観に基づいて構築されています。 これは、権利論の発達とか市民革命とかさまざまなものが複雑に絡み合った結果生じた状態です。 たとえば、憲法でいえば立憲主義という理念がその価値観の根源になっております。 ですから、個人主義を機能させる必要があるから個人主義を推し進めていっているわけではなく、個人主義は旧体制を克服しようとした近現代の社会体制に内包される価値ベクトルであるから、必然的に個人主義的になってしまうんですな。 長くいうときりがありませんので、文献をご自分でお読みになるのがいいかと。以下、ご参考として。出版社、出版年は省きます。難しい場合は、文献に載っている引用文献をさかのぼることをお勧めします。 日本人によるもの 阪本昌成「リベラリズム/デモクラシー」 井上達夫「他者への自由」 長谷部恭男「比較不能な価値の迷路」 樋口陽一「近代国民国家の憲法構造」 大沢秀介「アメリカの政治と憲法」 外国文献の邦訳 M・オークショット「政治における合理主義」 J・ロック「市民政府論」 J・マディスンほか「ザ・フェデラリスト」等

ibunogi
質問者

お礼

sskk1943さん 回答ありがとうございます。 文献参考に勉強したいとおもいます!

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