ご質問が天皇個人ではなく朝廷のことであれば、そして正統性でなく、正当性ということであれば、発祥から幕藩体制終了までは存続してきたからです。明治維新からは新しい政体の権力機構が、朝廷の存続を必要としたからです。
大日本帝国憲法制定以後は、その規定によります。
無論欽定憲法ですから、制定権と改正権は一定の手続きでの天皇大権の範囲であることはいうまでもありません。
現行憲法では象徴としての規定の中での位置として、国民の合意があるということになっています。
わが国有史以来、表向きの最高権力者でありながら、天皇が権力を行使したことは限られた年数であることは、他のご回答の通りです。
天皇が祭祀や、権威付与の範囲でその役割を果たしてきたことに夜と存じます。
例外を除き、ほとんどの権力者は天皇に代わることや、天皇を廃止することなどは考える必要はなかったことによります。
御所は平地であるばかりではなく、防備や戦闘のための構造などにはまったくなっていないのも、このことを示しています。
60安保前後、東京教育大の先生であった美濃部亮吉さん、都知事にもなったようですが、そのお父さんの達吉さんは東大の憲法学の先生で、貴族院議員でしたが機関説を発表して、批判と弾圧にあいます。
当時上層部の常識であった、神ではなく、神として統治の機関にしておこうという、密教的了解を、論理化して顕教的に発表したからです。
その理論そのものは最上のちょいとわかる人は、誰でもあたりまで巣が、それを国民の当り前、そして神ではない、ということにしては、まことに危険思想であったという事情です。
今は、憲法規定やいろんな勢力のなか、そのたいろんな事情で、神ではなくても、存続しております。それは昔と同じで政治権力ではないからです。
そして、日本国の指導者は天皇のご成長については、たいへんご賢明で、理想的な日本人のモデルとしてのお人柄、その役割をお果たしになられることの範囲を守っておいでだからです。
無論、日本国民の、徹底的民主主義思想を完遂させたい、という思想のかたがたもおられますが、そのかたがたの意見以外のものも多い、ということでしょう。
いろいろ批判があっても、
お礼
日本とネパールの違いはよく理解できました。 ありがとうございました。 しかし、日本の天皇が規定されるにいたった正統な理由と 国民の理解はどこから来ているのでしょうか?