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私に付随するもの
私の『車』 私の『財産』 私の『信念』 私の『恋人』 ・ ・ ・ 全て私に付随するものですが、 この付属品を全て取っ払ったとしたら最後に私だけが残ると思いますか。 想像してみたのですがもしかすると何も残らないのでないですか。
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- bananasand
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たびたびお邪魔します。 低位の私は、唯物論で成立してしまう私で 我思うが故に我有り という私です。この感覚が、私にとって、私が唯一の私であるという盲目的確信であって、エントロピーの増大に反して私へと物事を集中させる根源的性質の原因ですよね。そうでないと確かに生存出来なかった。 ところで、以前バイオリズムというのが流行りましたけど、外部環境の変化に私が影響されるのみならず、いにしえからの流れによって、自覚はしていないが自ら私を変化させていると言うことでしたね。 私は唯一の私だけど私は意識しないうちに私を変化させる機能を持っている・・というのは矛盾していますよね。 思うに、低位の私を形成しているのは、その外側に存在する多くのさらに低位の私たちであって、低位の私自身はその表層でしかないと理解しますね(高位の私からの干渉は別の話として・・)。低位、高位の私たちというのは、いわゆる潜在意識なのでしょうけど、それと対比される顕在意識なんて、実は全体のなかの一つの機能でしかないんでしょうね。 「無意識でやってしまった。」「そのときのことは憶えていない。」なんて、健全な顕在意識とは別の、「我思うが故に我有り」と言ってしまう私がいたということです。やっぱり、健全な顕在意識が存在するときのみに唯一存在すると確信する私なんて、それ以外によって形成され、唯一だと自覚する機能であると言うことでしょうね。 生存ということでいえば、肉食動物から襲われた時に恐怖を感じる主体であって、そうでなければ種を維持し得なかったわけですね。 そんなことから低位の私には、その私がいる限り、その機能が残っているので私にとって、 私の『私は唯一私である』 が残ってしまいますね。 それは悲しいかな実体ではなく幻想にすぎないのですが、私にとってはこれほどまで鮮烈で確実な実体はないという、そういう完成の域に達した機能ですね、私は。
- mijinco
- ベストアンサー率25% (87/346)
あなたの『 』←この中身を全部私が同じにそろえても「あなた」にはなりません。あたりまえですが…。 なぜかというとたくさんの『 』があなたのなかで、ただ寄せ集まったものではなくて、意味を持ってつながったり、あなたの思いとつながったり、からまったり、積み重なったり、効果を及ぼし合ったりしながらまとまっているからです。 人としての意味や大切さはその「まとまり」の中にあると私は思っています。 ですから、いずれ『 』のいくつかが必要でなくなって取り去っても「大切な私」が失われることにはなりません。 けれど、『 』は「大切な私」をつないでいるものですから、強引に捨て去ったら(そんなことできませんが)「大切な私」に影響を及ぼしてしまうと思います。
お礼
そうなんですね。 「まとまり」の中に意味があり、この意味こそが私ならばその触媒或いは宿主ともいえる『 』が無くなってしまったら私は存在できなくなるかもしれないと思えるのです。別な言い方をすると関係の中に私が存在しているのじゃないかしらと。 そう考えると世界は私であり、私が世界を作ったともいえるのではないかな・・・・・
- bananasand
- ベストアンサー率21% (117/533)
>或いは『私』の方が付属品・・・・ まさにそうかもしれません。 沢山の水平的私は、全て私でそれぞれ私であって、隣の私とは水平的に厳密には別人なんでしょうね。この私の処理能力は非常に低レベルだと思いますね。感情、感覚、直感、思考(意思含む)、そして短期記憶と長期記憶、それと時間経過ですが、まず、直感というのが別の私からの干渉、感覚が外部からの信号、感情は細分されますが快不快にしておいて、思考はロジック、あとはメモリーと時間ですね。 で、私に絶対必要なのは、まず時間とメモリーとロジックですね。 これは絶対に残ります。0か1かの記憶とそれを流すロジックとそれが流れるための時間が必要だと言うことですね。これは間違いありません。 これでは、パソコンも都市も経済も私になり得ますが・・これらをどうすると私になるかは、さっぱり解りません。 それと垂直的私です。まさに水平的私を付属品にしてしまう私ですね。 私のレベルとでもいいましょうか・・・低レベルから言うと・・ 例えば、またポテチを買う私ですが、この場合、買うと言う意思を肯定1とすると単なる0と1の非常に低レベルの私がいるわけで、その上にそれを快不快で判断した私がいて、その上に快不快に材料を与えた思考した私、あとは、ポテチの何たるかを認識し理解する私とか、視覚など感覚ある私がいて・・・となるのですが上位になるほどそのレベルでの上述の水平的私が爆発的に増えて行く感覚ですね。私は私の中で一つしかないというのは幻想で、私が私だからそうとしか思えないだけでしょう。そうでないと直感の説明がつかないんですね。顕在意識とか潜在意識とか言いますが、潜在意識に私と呼べる者がいないのではなくて、顕在意識と潜在意識の界面でその都度モードというか私がいる場所というか、ポジションによって入れ替わりが起きていて、記憶がそれを繋いでいるの正解だと思うんですね。だって、直感によって感情と思考が劇的に変化するじゃないですか。劇的でない場合も含めて、これがそのときの私のレベルでの水平的私の多発ですね。 そして、もっと高いレベル(潜在意識では深いレベル)だととても私が許容できる処理能力を超えてしまうと言うことで、だからこそそのレベルに留まっているのでしょうね。あとは別の私に任せざるを得ないのでしょう。 でもその上位、下位の私を想定すると下位の私は、まさに上位の私の付属品になりますね。 今の私でさえ、感情、感覚、直感は下位の私の自動プログラムと化していますよね。 とすると、今の私は、上位の私の付属品かもしれません。 時間とメモリーとロジックの他に必要な根源的要素は何かということと、これらをどう組み合わせると私になるんでしょうかね。 パソコンが自ら 我思うが故に我有り と哲学するプログラムが出来るんでしょうか。 人間的感情とか肉体的苦痛とか快感とか結局パラメータでしかなくて、 それぞれの低位の私だけであればプログラムであっても成立するような気がするんですよね。私がネットワーク上に成立する日が来るかもしれないと思ってます。
お礼
朝起きたときに、昨日の自分と今日の自分が同一人物であると言わせているのは記憶なのだろうなと思います。 それをもっと細かく時分割したものが水平的な私ということでしょうか。 時間とメモリーとロジックが最小部品であったとしても、それがなぜ私を名乗るに至るのかは不思議ですね。 ピントを合わせようとすると逆にぼやけてしまうこの私という存在の不思議さは宇宙のなぞに匹敵しますね。
- bananasand
- ベストアンサー率21% (117/533)
友人にポテチ買ってきてと言われて200円を渡されました。 近くのコンビニで120円のコンソメ味1つにして80円おつりにするか 自転車でスーパーまで行って98円のうすしおとコンソメ計二つで4円のおつりにするかは自由だ~。ポテチ イズ フリーダム ま、それはさておき、 ポテチが好きだから、買ってきたら自分も食べようと思っている私。 ポテチは太るから食べたらいけないと思っている私。 なんで私が買いに行かなきゃならんのと思っている私。 コンビニで済まそうとしてる私。 スーパーまで行こうとしている私。 どれが私、どれも私? さて、ポテチ買いに行ってくるかなぁと思っている私が私なのでしょうけど。 ふっと突然、吉兆のニュースを思い出して、昨日宴会で食べたオードブルはちょっと前に終わった前の宴会の残り物に間違いないと確信している私に吉兆のことを思い出させた別の私がどこにいるのか検討もつきません。 吉兆のことを思い出したのは確かに私ですが、私の意思ではありません。私Aが私Bに思い出させたに違いありません。 私Aは、どうしてもあの干からびたオードブルが気になって仕方ないです。私Bとしては、過去にはこだわりたく無いのですけどね。 私もいっぱいいます。私は金持ちだと思っている私。 私は貧しいと思っている私。私はいっぱいいると思っている私。 私にはいっぱい詰まっていると思っている私。私はカラだと思っている私。 この間は酒に酔っぱらって私Xがまた店で暴れたそうです。彼には、いい加減にしてもらいたいもんです。 あ、ポテチ買いに行かないと・・・・ スーパーはもう閉まってますよね、私Cはコンビニへ行ってきます。
お礼
ふむ、 たくさんの私が私を作っているということですかね。 また、意思を持つ存在こそが私であるということでしょうか。 私のポテチ 私の体 私の意志 私の感情 から『の~』を取っ払っても果たして私だけが残る? 意思さえも付属品かもしれないのに。
補足
或いは『私』の方が付属品・・・・
- precog
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取っ払ってる私が残ります。
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
私という『機能』ですね。 どこにでも存在しえる私はまさに神ですね。