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存在しないものに関しては何を言っても正しい
この間、図書館で借りてきた本のレビューを読んだら *略して図本 「存在しないものに関しては何を言っても正しい」 この推論は誤っていると簡単に証明出来る。 と、図本のレビューに書いてありました。 図本→「存在しないものに関しては何を言っても正しい」と書いてある 図本に関してのレビュー→「存在しない~」に関して「簡単に詭弁(?)だと証明出来る」と書いてある。 で本題なのですが「存在しないものに関しては何を言っても正しい」 を間違いであると、どのように証明するのでしょうか? そのレビューには、具体的な方法が書かれていませんでした。 とても気になるので教えてください
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- masa2211
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論理の話なので、「どちらともいえない」という答は無いものとします。 すなわち、「正しい」「誤り」「わからない」 この3つだけ。 >冒頭で、いきなりこんなとても自明とは思えない推論規則を、証明すらせずに正しいものと決めつけてしまっている >ことから、この人は実際には数学というものが全然わかってないんだなぁ・・・ >(ちなみに、上の推論規則が間違ってることは簡単に証明できます)。 いえね、そう考えないと論理破綻する、という意味で自明なことです。 だから、それ(=存在しないものに関しては何を言っても正しい)で正しいのだけど.... 論理学は、「対偶」という概念があって、 「AならばBである」と「非Bならば非Aである」 は、命題として等しい、というのがあります。 たとえば、 「AならばBである」:消防車にはサイレンがついている。 正しいものとします。 「BならばAである」:サイレンがついている自動車は消防車である:誤り。パトカーかも。 「非Aならば非Bである」:消防車以外の車にはサイレンがついていない:誤り。パトカーにもサイレンがある。 「非Bならば非Aである」:サイレンが無い自動車は消防車ではありえない:正しい。 ですので、論理学上、「AならばBである」と「非Bならば非Aである」は、 同価なのです。(上記4つは、きっちり区別しますよ。) 「存在しないものに関しては何を言っても正しい」 その対偶は 「何か言った場合、間違いがありうるならそれは存在する。」 具体的には、 「100歳以上の猫は(常に)魔力を持つ」(猫は100歳まで生きないことは正しいものとします。) 対偶をとると、 「魔力を持っていない猫は100歳未満である」。:観察上、正しい。 その他: 「BならばAである」:魔力を持つ猫は100歳以上である:100歳未満の猫が魔力を持つかどうかについて、 当初命題では触れていないので100歳の猫で魔力を持っている猫がいても命題は否定されない。 「非Aならば非Bである」:100歳未満の猫には魔力が無い:誤り。当初命題では触れていない。 そういう猫がいても、当初命題が誤りという証明にはならない。 ですので、 「何か言った場合、間違いがありうるならそれは存在する。」なんだけど、間違いとは、 「魔力を持っていない猫で100歳以上」が存在した場合のみ。 当初条件で猫は100歳まで生きないと言った以上、これはありえません。 つまり、 「存在しないものに関しては何を言っても正しい」のが間違い という行為は、 「対偶と命題が等価でない場合がある」 といっているのと同じです。 「対偶と命題が等価でない場合がある」は、論理の根幹をなすもので、これを破壊したら、 論理の根源が破壊されます。 たとえば、 命題 「消防車にはサイレンがついている。」 これが正しいとして、 ダンプカーを見たとしまます。サイレンがくっついていません。 「消防車ではない」ですよね? 何故か? 命題の対偶により、「サイレンが無いから消防車ではない。」 ということから確定。 ※ パトカーや救急車にはサイレンがあるから、命題「消防車にはサイレンがついている。」から パトカーや救急車は消防車であるとも、そうでないとも結論づけることはできない。ここは注意してください。 そして、「対偶と命題が等価でない場合がある」とは、 「サイレンが無いから消防車ではない。」とは限らない。すなわち、 ダンプカーにはサイレンが無い。だからといって消防車ではないとは言い切れない。 こういう論理を認めるということです。 一方、存在しないものに関して、正しいとしょうが、間違っているとしようが、 それ単独では、「どっちでもいい」ことでしょ? なら、論理の整合性の上から、「正しい」として何の問題があるか? ということ。当然、「対偶と命題が等価でない場合がある」のような、 論理学の根幹をゆさぶるような解釈はすべきでないです。 論理学の根幹をゆさぶった結果、何か新しい結果をもたらすならこの限りではないけど、この場合そうではありません。
- stomachman
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おとと。ANo.7、訂正です。 「ジレンマ」は間違い。「背理法」ですね。
- stomachman
- ベストアンサー率57% (1014/1775)
ANo.6への補足は、かのレビューの文章のコピペですかね。回答を上げた直後に過激な補足が付いたんでびっくりしましたが… >いきなりこんなとても自明とは思えない推論規則 「それは推論規則やのおて、論理学の定理。基本的な用語も分からん奴が、何をエラソに噛みついてんねん」と突っ込みたくなるレビューですねえ。 「数学を使わない数学の講義」を読んだ訳ではないけれど、ま、証明を求めるんならそんなタイトルの本は手に取るなよ、ってことでしょうかね。 というわけで、レビューはスカタンと証明抜きで断定。(本がスカタンかどうかは別問題ですが。) ところで、ご質問は、このレビューアが思いついたかもしれないような「証明」のアイデアを教えろ、ということであって、実際、それっぽいアイデアの幾つかが、これまでに回答されています。ですが、いずれにせよこのレビューアの「証明」は破綻する。というのは、 「『Pであるようなxは存在するか?』 という問題を解く際に、あるQについて (1)『PであるようなxはQである。』 (2)『PであるようなxはQでない。』 の両方が証明できれば、『ゆえに、Pであるようなxは存在しない』と結論できる」 という証明方法(「ジレンマ」と呼ばれます)の原理こそが、 「存在しないものに関しては何を言っても正しい」 に他ならないからです。
- stomachman
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おそらく、ですが、 [1] 「図本」の言ってることはこういう事でしょう: A: 「Pであるようなものは存在しない」 Aが事実だとしましょう。そして、 B: 「もしxはPであるならば、xはQである」 と言ったとします。 すると、この発言全体(つまりB)は真である。なぜなら、「もしSならばT」という形の命題は、Sが偽の時には(Tの真偽に関係なく)真である。そしてこの場合、SとTは S: 「xはPである」 T:「xはQである」 である。ところが(Aにより)Pであるようなものは存在しないのだから、Sは偽である。ゆえに、Bは真です。これはTが何であろうが関係ない。 つまり、「Aによって存在しないと分かっているところの、Pあるようなもの(x)について何(T)を言っても、発言の全体(B)は真である」ということになる。これを縮めて言えば、「存在しないものについて何を言っても正しい」ってことです。 [2] これに対しては、以下のような批判が出るんじゃないかな: そんなのズルだ。[1]では「何を言っても正しい」というときの「何を言っても」は発言のうちのTの部分だけを指しているのに、「正しい」は発言全体(B)を指している。 指示する対象を発言全体(B)にしたり、一部分(T)にしたりすり替えているんだから、こりゃ、言葉のアヤ(修辞法)を使った詭弁である。「何を言っても」も「正しい」も同じひとつの対象を指すのでなくては一貫性がない。 ではこの誤魔化しを修正したらどうなるか。まず、発言全体(B)を指して「何を言っても」とは言えない。なぜなら、Bには最初から、「SならばT」というパターンに当て嵌まる発言、という限定が入っているが、しかし、「何を言っても」なんだから、このパターンに当て嵌まらないようなあらゆる発言も含めて考えなくてはならないからである。 だから結局、「存在しないものに関しては何を言っても正しい」というのは 「Aが成り立つときに、「Qである」と言ったとすると、このQが何であってもQは真だ」 という主張を意味するのでなくてはならないことになる。そして、これが間違いなのは明らかだ。 つまり、間違ったことなのに、詭弁で正しそうに見せかけただけなのだ。 [3] この批判に対しては「図本」の側から反論ができます: あのですね。「Qである」がどうしてAで言う所の「存在しないもの」についての発言だと分かるんでしょうか?「存在しないもの」以外についての発言に対してまで「何を言っても正しい」なんてことは、主張しておらんのですが。 [4] あ、そりゃそうだ。批判[2]をちょっと修正しなくてはならない。えと、 A: Pであるようなものは存在しない が成り立つ場合に、 U:「それはQである」 と発言すればよろしい。たとえば、Uの具体例として、 U':「それは存在するものである」 と言えば、それは存在しないのだからU'は偽じゃないか! [5] 「図本」側としては、仰る所の「それ」って何のことだかはっきりして戴きたい。 [6] 「それ」ってのは、Aで言う所の「存在しないもの」のことに決まってるじゃないか。当たり前でしょ。つまり、Aによれば、Pであるようなものxは存在しない。そのxについて、 U:「xはQである」 だとか、 U':「xは存在する」 だとかを言うということだ。 [7] 「図本」としては、そもそも、「何を言っても正しい」ってのは、言ったものの真偽が決まることを前提に話をしているんであって、「言う」ことは命題に限る。「赤い」「冷たさが青ざめる桜」「ポキ星人が好きなたいやきにバルタン星人のあんこドラドラ」というような、真偽の決まらない、つまり命題になってない発言は初めから対象外です。これは当たりまえでしょ。 さて、[6]はUやU'が「何かを言った」ことになっていると主張している訳ですが、じゃあUで言うxって何のことでしょうか。Uは変数xを含む述語(「xは赤い」のようなもの)であって、まだ命題の形にはなっていない。Uだけ言ったのでは「何かを言った」ことにはなってないんです。例えば、 U': 「xは存在するものである」 と言ったとする。でも、Aはxについては何も言っていない。(Aのどこにxなんて出てきますか。)だから、U'で言うxが「存在しないもの」を指していると決まった訳でも何でもない。この発言U'は、xが何を指しているかを決めない限り、真とも偽とも決まらない。ってことは、U'は命題ではなくて述語に過ぎません。なのでこりゃ、「何かを言った」ことになっておらず、議論の対象外です。 では、「存在しないものについて何かを言う」ためにはどうすれば良いかというと、Aが事実であるときに C: 「xとはPであるようなもののことだとする。このとき、xはQである」 と言えばよい。こうすることで、初めて命題としての体裁が整います。つまり、「何かについて言う」ためには、同じ発言の中で、「何か」を指すxがどういう物かを指定する必要がある。 さらに、CとBは同じ事を言っている。日本語としての表現は違いますが、論理的にはCとBは全く同等です。つまり、「存在しないもの」について「何かを言う」ためには、どうしてもBやCの形を取らざるを得ないんです。 そして、([1]に示した通り、)そのような発言(つまり、「存在しないもの」について「何かを言」った発言、すなわち、BやCの形の発言)であれば、どんな発言であっても真になる。 改めて[2]の批判に応えると、「何を言っても」が発言全体(B)ではなく、Tの部分だけを指していると見えてしまうのは、Sの部分は変えようがないからです。発言全体(B)が「存在しないもの」についての命題になるために不可欠なのがSの部分である。AとSに現れるPを変えることはできるけれど、Sを取り去ることは不可能です。なぜなら、Sは、Aで言うところの「存在しないもの」を指して、それをxと呼ぶことに決めるための部分なのだから。従って、存在しないものについてどんなことを言うにしても、自由に変えられるのはTの部分だけであって、(Pを変えたり、あるいは日本語の表現としてのバリエーションはいろいろ作れるにしても、本質的には)Sは変えようがない。 …って話なのではないかと想像します。 なので、多分、レビューの言い分(上記の[偶数番])はスカタンであり、(おそらく、少なくとも図本の扱っている論理学のレベルでは)図本が正しいだろう(説明不足なのかも知れないが)、と考えます。 いや、本当の所は、両方の言い分を読まなきゃ分からんですがね。
- aran62
- ベストアンサー率16% (485/2911)
昔多胡 輝先生があげてあるのがあります。 全知全能の神様にある人が質問しました。 神様の出来ないことは何ですか? 神様が答えられれば、それが出来ないことになる。 答えられなければ、答えられないが出来ないことになるというものです。 これに当てはめると、 存在しないものに関しては・・・存在しないことを証明しなければ、存在しないことにならないになります。 それが証明できれば存在することになります。
お礼
ありがとうございます。 それは・・確か全知全能のパラドックスでしたか・・・ なんかの本で読んだ記憶が・・「神は持てない石を作れるか?」というような 作れるなら、持てないのだから全能ではない 作れないのなら、また全能ではない なんかあやふやなのでそれとは違ってたら申し訳ないです。
- Quattro99
- ベストアンサー率32% (1034/3212)
存在しないものに関して何かを言ったとしてそれが真だとすると、その命題を否定する命題は偽になるはずですが、それは「何を言っても正しい」に反することになるのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 私もそう思ったんですが、どうやら扱う場所というか、微妙に違うようです。
それに言及した図書が見つからないので憶測で 「存在しない」Aについて何を述べても正しい、 すなわち、そのAについてどういう定義・性質を述べても正しい。 ということです。 すなわち存在しないAについて、いかなる定義をしても その定義の「偽」を証明できない場合、 論理学のルールとして「真」と見なすことから来ています。 ですので、#2さんのは単なる自己否定で、 存在しないAについての「定義」を否定する証明にはなってないのです。 たとえば「2007年日本の大統領は存在する」これは偽。内閣制ですから。 しかし「2007年日本の大統領は女性だった」これは偽? いいかえれば、「2007年日本に大統領がいるならば、それは女性」 この文章を否定できるのは、去年日本政治体制が大統領制でその 地位に就いていた人がすべて男性の時に限ります。 これは詭弁・現実の感覚と乖離してるでしょうが、論理学の基本の基本です。 「AならばB」の真理表を教科書で見てください。
お礼
ありがとうございます。 論理学、教科書、どうやら私にはあまり縁のない世界のようですね。 図書ですが、「数学を使わない数学の講義」小室 直樹 (著) です。 場合によっては削除されてしまうのかもしれませんが、一応原文を載せておきました。
- zug
- ベストアンサー率70% (82/116)
ある存在しないものAに対して 「Aは存在する」 と言えばこれは誤り。 これを反例として推論は誤り(証明終) どうでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 確かにそれなら「何を言っても正し~」は誤りに思います。
正しくは、 >何を言っても「正しい」とも「誤り」とも、証明できない。 >なぜなら、『存在しないモノ』だから。 これで、私なら納得出来ますけど・・・。
お礼
それを言いたかったんでしょうかね。
補足
失礼しました、回答ありがとうございます。
お礼
皆さん回答ありがとうございます。 やはり質問してみてよかったです 成る程成る程。教養に乏しい私には一部ついていけない部分がありましたが、輪郭というか 軽くは分かったように思います。 それで、私が読んだ本についてなのですが 「数学を使わない 数学の講義」小室直樹 という本でした。レビューはAMAZONのレビューです。 利用規約等に触れて、リンク部分が削除されたら申し訳ないです。 一応私の稚拙な説明よりも、原文を見て判断して頂いた方が良いかと思いましたので。 と思ったんですが、あまりにも長いので文をコピーして置きました。
補足
「存在しないものについては何を言っても正しい」 冒頭で、いきなりこんなとても自明とは思えない推論規則を、証明すらせずに正しいものと決めつけてしまっていることから、この人は実際には数学というものが全然わかってないんだなぁ・・・というのがこの本を読んだときのわたしの感想です(ちなみに、上の推論規則が間違ってることは簡単に証明できます)。 数学知識についても怪しいところがかなり多く、ろくに下調べもせずに勢いと脊髄反射のみで書いてしまったんじゃ無かろうかという箇所が随所に見え、とてもまともに読む気にはなれませんでした。 どこが間違ってるかをツッこみつつ読むのならおもしろいかもしれませんね。