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自分への負ルール

僕は自分自身にルールをきめてしまいます。 ルールというのは自分にとってマイナスなルールを作ってしまうことです。例えば好きな食べ物をたべたら不幸になるとか、・・・・などなど。根拠のないことなんです。好きなものをたべたら不幸になるわけじゃないのになった気分になってしまうのです。僕はとても信心深いので信じてしまうのです。 これじゃだめだとおもいプラスにかんがえました。好きな食べ物をたべたら幸福になると・・・・しかし、うまくいきませんでした。 自分としての見解は何かを犠牲にしなくてはいいことは起きないと。 わかりやすく言うと自分を追い込んでこそ幸福はおとずれる。犠牲なしには幸福はえられない。と言うことです。 最近自分ルールがきびしくなってきて困っています。 無意識にルールを作ってしまうのです。

みんなの回答

回答No.4

もう一つの方の質問で回答したように、それは信心深いのではなく、強迫観念の一種だと思われます。あなたの症状とは違いますが、サッカー選手のデビッド・ベッカムも強迫性障害だそうです。 日常生活にも困るようなら、心療内科、精神科、神経科などを受診することをお勧めします。 強迫性障害(OCD)に関するウェブサイトのURLを貼っておきますので、参考にしてください。

参考URL:
http://www.ocd-net.jp/index.html
回答No.3

まわりに愛情を分かち合える人はいますか?

noname#117439
noname#117439
回答No.2

これは心の仕組みの問題で哲学よりむしろ心理学のほうが有用な回答が集まります。 ただし現実的過ぎる処方箋は信仰心をとがめてしまいます。 自らの本心と裏腹な心の動きにどう対処すかの問題です。 欲望を抑制する手法としてはユニークですが効率的です。 哲学として論議するためにはもう少し自らを見つめなおしてからでしょう。

回答No.1

自分ルールは自分の理性を保つ上でとても重要なものだと思うのであって悪いわけではないと思います。 むしろ自分の欲を制限するために自らを律しているその姿勢はとても望ましいと思います。 自分ルールで自分を律していることが、ある種の幸福状態に近い状態になってきている、ということはありませんか? 自分に厳しくしているのに、それに耐えている自分はきっと幸福なのだろう、と。 まあ、わたしは、ですけど。 自分にとって何が幸福なのか、ということを根本的に考えることが、解決への一歩ではないでしょうか。 参考にもならないような意見でごめんなさい。

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