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生け贄

生け贄についての資料や本を探しています。 いくつかの作品で、村の繁栄を願い少女を生け贄とするというのを見てきました。 あれは本当にあったのかということとかを知りたいです。 また、生け贄を題材にした小説などオススメがありましたら、教えてくれるとうれしい限りです。 発端はひょんなことからLiaさんのkarmaを聞いて興味を持ちました。あまり有名な曲ではありませんが、すばらしい曲だと感じました。

みんなの回答

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.6

No.4です。   先は時間がなく端折りましたので補足します。 1.松江城では盆踊りの中で美声の少女が拉致され、人柱として櫓の下に生き埋めにされた。    天守閣の廻りを息をこらえて三度廻ると、人柱の少女の泣き声が聞こえるという伝説がある。 2.米子城でも築城中、糺(ただす)の杜で盆踊りの最中に、「お久米」という美女が武士団にさらわれ行方不明になった。    人柱にされたとの噂が伝わっている。  「久米城」の別名がついたという。 3.鳥取城でも慶長七年からの大拡張普請の時、「おさご」という絶世の美人の侍女が人柱になったといわれ、二の丸の石垣に「おさごの手水鉢」が残っているといわれる。 4.伊予大洲城では「おひし」という両親のない美女が、人柱として生き埋めにされその願いで「比志の城」というようになったという。 5.豊後大分城も慶長二年からの築城に際し、城の守護神として三歳の牛と十八の処女を人柱にすれば金城鉄壁になるとの言伝えを聞いて、盲目の親をかかえた貧しい「お宮」という十七歳の少女が申し出て、翌年生牛と共に壕底に沈んだという。   豊になったが親は悲しみから3~4年後に死んだという悲しい話である。 本丸の北側城壁の下に、お宮さんの小さな祠がある。 6.美濃大垣城の難工事を見かねた老僧が人柱になり、彼が使っていた杖を形見として天守閣にしまってあるという。 以上は大類 伸氏、鳥羽正雄氏の著書によりました。 7.越前丸岡城では天正三年築城時、二人の子を抱えた寡婦の「お静」が望んで天守の中央に人柱になったという。 この件  毎日グラフ別冊 「戦国・城と女」 楠戸義昭編 第二巻p147に詳しく載っています。 3以降は本人が守り神になる意志で、人柱になったものですが、1と2は無理やりされたもので、こいう事は事実とは思えません。 領主が領民にうらまれる事はしません。 中世の堤、橋の建設時水神を鎮めるための巫女が人柱になった伝説と、少女の行方不明(神隠し)を結び付けて作られた話ではないでしょうか。   当時神隠しはよくある話で、駆け落ちとか事故による行方不明と考えられます。 3以降が事実かどうかは先の答えと同じで、なんとも言いようはありません。 個人名が伝わっておりすべてが作り話とは思えません。

  • poccuru5
  • ベストアンサー率22% (61/276)
回答No.5

何年か前に読んだ研究書ですが、 六車由美の『神、人を喰う ―人身御供の民俗学』という本があります。 いろいろと考えさせられた本で、 個人的には面白かったので、 参考になるかどうかは分かりませんが 一応推薦しておきます。

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.4

日本書紀に茨田(まるたの)堤を作るにあたり、人柱を立てたと書かれています。 中世の伝説で長柄(ながら)橋を架けるにあたり、人柱を立てたとあります。 堤、橋、城の建設にあたり人柱の伝説は多いようです。 古い話は兎も角、比較的新しい城の人柱については、数多い。  例えば 松江城では盆踊り中の、美声の少女が櫓の下に生き埋めにされ、 米子城でも盆踊りの中から「お久米」が人柱にされたという。 大垣城の天守閣には人柱になった老僧の杖があったという。 丸岡城では寡婦が城の中心で人柱にされ、 大分城では18歳の美少女がいき牛とともに外堀の下に沈められた。 大洲城でも両親のない「おひし」という美女が、人柱として埋められ城名を「比志の城」といわれる。 しかしそれでもどの話が事実なのかは分かりません。    数多いので少しは事実があるかなとも思えますが。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.3

 南米のアンデス山脈では、生贄になった少女のミイラが発見されています。 http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_6_f.html http://chiquita.blog17.fc2.com/blog-entry-2724.html  ペルーの海岸部分は、乾燥地帯で水不足が深刻。アンデス山脈に積もった雪が春になって解けて流れてくることで、農業が成り立っていました。  そこで、山の神に生贄をささげて、水が与えられることを感謝し、それが続くこと祈ったようです。

  • Mumin-mama
  • ベストアンサー率45% (1140/2503)
回答No.2

小説については分かりませんが、 >あれは本当にあったのかということとかを知りたいです。 の回答として、 旧約聖書にはアブラハムが神のお告げによって末息子のイサクを生贄にしようとする話があります。手塚治虫、旧約聖書物語にもおそらく出ていると思います。 日本の城の建築にあたり、よく人柱の言い伝えがあります。 http://www4.pf-x.net/~catm/shiro/tyugoku/matsue.htm マヤ文明ではピラミッドの頂上で太陽の神に生贄がささげられました。http://d.hatena.ne.jp/kuriggen/20070621

  • mi-dog
  • ベストアンサー率6% (92/1479)
回答No.1

キリスト ジャンヌダルク