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中世ギルド・ツンフトの種類について
中世でギルドやツンフトを結成した職業にはどのようなものがあったのか、参考になる資料を探しています。 パン屋・靴職人などよく知られているようなものでも、彼らが当時どういった様子で働いていたのかわかると有難いです。 よろしくお願いします
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ANo2で一箇所訂正をお願いします。 ヴュルツブルクのゼンメルシュトラッセですが、市壁の外でなく、中心地からは少し、離れていますが、市壁のそばの市壁の中でした。 ヴュルツブルクも市壁に囲まれた町でしたが、110年ほど前に市壁をどけて公園になりました。 ミュンヘンやウィーンの市壁跡は道路になています。
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- archers
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Mumin-mamaさんがかなり詳細な説明をなさっているので重なるところもあると思いますが、ご了承下さい。 ツンフトは、相互扶助団体であり不安定な時代に同業者で支えあっていくというものでした。もっとも、平等なのはツンフトの組合員だけ、もっと言えばツンフト内の同じ階級、つまり徒弟、職人、親方同士だけでした。ツンフトから認可されていない職人には営業許可さえ下りませんでした。 付けたしですが「骨折が命取り」というのは社会的な意味も持つでしょう。怪我や病気などで職を失えば、あっという間に下層民(これが都市民の多くを占めていたわけですが)に転落する自力救済基本の社会です。これがツンフトに支えられると、援助金が出たり、死亡した場合も未亡人は資金援助や親方株の公認でどうにかやっていけるのです。ちゃんと蝋燭も立ててもらえるから死んでも安心です。ツンフト所有の礼拝所ないし祭壇があるのは普通でしたし、老後・死後の世話もツンフトの義務でした。 「手工業者は職業訓練のためにツンフトの集まった場所に住んで」いましたが、これは当局がそうしろと言ったのではなく自発的にそうなったようです。まず、ツンフトにより労働時間、商品価格が一定だったため競争のしがいがありません。(もちろん職人魂みたいなものはあったかもしれませんが)それに、職業がかなり分化していたため、近隣に前工程、あるいは次の工程になるものがあることはかなり重要だったのです。例えばパン屋なら粉屋や小麦の集積地近くに店を構えるわけです。パリのような大都市でも中世期にはパン屋は3地域にしか分かれていなかったというようなことも聞きます。ともあれ、同業者組合を構成するにも、当局が調査を行うにも、集まっていた方が都合が良かったのです。助けるべき隣人がはるか彼方にいるのでは大変です。 資料としては一般書ですが… 中世ヨーロッパ都市の生活 J・ギース、F・ギース 中世を旅する人々 阿部謹也 (パン屋、肉屋など) 中世の窓から 同上 (鍛冶屋、石工など) どういった様子で働いていたかですが、参照URLにはパン職人に関してのみそうゆう記述がありましたので掲載しておきます。
お礼
粉屋とパン屋がその必要性から近くにあったというお話は、目から鱗が落ちました。競争よりも相互扶助に重きを置いた団体だったということですね。 資料に関しても早速三冊注文しました。 ご回答、ありがとうございました
- Mumin-mama
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>都市(市壁内)で、同業種が固まっているのが想像が付きませんが、徒弟など修行段階に限った話なのでしょうか? 中世の神聖ローマ帝国には国王や領主司祭を中心に市壁で囲まれた都市が40箇所近くありました。その上に皇帝が一人、定住地を持たずにそれらの都市を回っているのですが。都市の例としては、ドイツロマンチック街道の都市が今でも中世の市壁を残しています。 同業者が決められた場所に住むというのは、見習いから退職するまでその場所に住みました。 日本の江戸時代にも、江戸に人形町(人形職人が住んでいた)や神田鍛治町(鍛冶屋、鋳物職人が多く住んでいた。)等と同じです。 ドイツのロマンチック街道の出発点のヴュルツブルクには、ゼンメルシュトラッセ(「朝食に食べる小さなパン通り」と言う意味)と言う道が市壁すぐ外にあります。ここには嘗てパン屋のツンフトがありました。パン屋は火元になりやすかったので、市壁の外に住まわせられました。また、市壁の中にはシュースターガッセという靴屋通りもあり、ここには靴屋のツンフトがありました。 市壁の門は朝に開き夜には閉められました。(大体直径1km以内の都市の周りを市壁で囲み、真ん中には大聖堂と広場がありました。 農民やジプシー等も市壁の外に住んでいました。 ネルトリンゲンの円周は城壁です。 http://www.ak-verkauf.de/product_info.php/products_id/9451 >それともう一点、骨折が命取りというのが社会的な意味合いか、肉体的なものか教えていただけるとありがたいです。 中世では、例えば、滑って転んで骨を折ると、栄養の悪さと医療の未発達で完治せず、ほとんどは死に至ると言われていました。
- Mumin-mama
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13~19世紀の神聖ローマ帝国におけるギルド、ツンフトについて。 ギルド(商人) ツンフト(ツンフト各自が出資して生活共同組合(Coop)のかたちの手工業者) ツンフトは例えばパン職人でしたら、国(市壁で囲まれた国)の決められた場所に集まって住み(軒を連ねて)お互いに技を磨いていました。 中世(5~15世紀)では手工業者は職業訓練のためにツンフトの集まった場所に住んで、そのツンフトに必ず所属しなければなりませんでした。 ギルドとツンフトの意義は ・職人やその後継者の育成 ・作業(営業)時間の設定 ・品質管理、製品管理 ・商品価格の設定 等です。 例えば、13世紀には、農民は自分で収穫した麦を自分で製粉するして売ることは許されていませんでした。必ず、粉引きのツンフトへ持って行かなければなりませんでした。ドイツのフランクフルト空港の西側にあるマインツではすでに11世紀初頭にツンフトがあったそうです。 ツンフトの共同体はもし組合員の誰かが、骨を折ったり(中世では骨を折ることは「命取り」で、職業復帰はまず考えられませんでした。)死亡や火事に見舞われたときなど、お互いに助け合いました。 また、その都市(国)の教会広場で市が開かれる時はツンフトの屋台が立ちました。今でもドイツのほとんどの町のマルクト広場で、同じような光景が見られます。 ギルトとツンフトの主な職業の種類 Bogner (弓職人) Helmschmiede (ヘルメット製造) Leinenweber (織物職人) Messerschmied (鍛冶屋) Nachtwaechter (火の用心、夜警) Nagelschmied (釘職人) Panzerschmied (鎧職人) Steinmetz (石工) unehrliche Uhrmacher (砂時計、日時計職人) Zoellner(収税吏) Kraemer (雑貨業) Schneider(服仕立て屋) Tuchscherer (カーテンやテーブルクロス、シーツ等仕立て屋) Kuerschner (毛皮職人) Weinleute(ワイン職人) Sattler(馬の鞍職人) Maler(壁のフレスコ画職人、ペンキ屋) Unterkaeufer(仲買人) Baecker (パン職人) Mueller (粉引き職人) Wollweber (毛織職人) Hutmacher (帽子職人) Leinwandhaendler(壁布職人=布地の壁紙を作る) Bleicher (鉛職人) Metallhandwerker(鉄製品販売業) Waffenschmiede(武器をつくる鍛冶屋) Scherer(はさみ職人) Bader(床屋) Gerber(なめし皮職人) Weisslederer und Pergamenter(白い皮のなめし職人、パーガメンター《太鼓の皮、本の紙の代用》 Metzger(肉屋) Vieheinkaeufer (食肉用家畜取り扱い業) Schuhmacher(靴屋) Zimmerleuten (大工) Bauhandwerker(建設作業員) Fassbinder (樽職人) Rebleute (ブドウ栽培業) Schiffleuten (船乗り) Fischer(漁師) Seiler (ロープ職人) Karrer (2輪の荷車職人) Traeger( 馬などに引かせる荷車職人) Gaertner (庭師) Oeler(油売り) Goldschmiede (装飾用金職人) Seidenfabrikanten (絹染物業) Geldwechsler(貨幣造幣業) Salzhaendler(塩の商人) 等。このほかにも、レンガ作り、家具職人、ガラス職人、ろうそく職人、鍋職人、瀬戸物職人等や、近代になると、はと時計職人、バイオリンやチェンバロ職人、印刷業、製本業などが挙げられます。
お礼
大変詳細なご回答、ありがとうございます。 内容について質問させていただきたいのですが、 >手工業者は職業訓練のためにツンフトの集まった場所に住んで、そのツンフトに必ず所属しなければなりませんでした。 都市(市壁内)で、同業種が固まっているのが想像が付きませんが、徒弟など修行段階に限った話なのでしょうか? それともう一点、骨折が命取りというのが社会的な意味合いか、肉体的なものか教えていただけるとありがたいです。 回答に質問を重ねて申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
お礼
確かに仰るとおり、同業種が固まっている話はあったようですね。 パン屋が市壁に沿って営業しているというのも理由を聞くと頷けました。 度々のご回答、本当にありがとうございました