ケルト民族の子孫のCWニコルさんは今も健在ですか?
CWニコルさんは、ケルト民族の子孫です。
羊を放牧するローマ軍が英国に上陸して、放牧のため森林をことごとく伐採したと言っています。
オーストラリアで日本軍に父を殺されたCWニコルさんは、恨みをもって日本にやってきたのですが、
あまりの森林の豊かさに感動して、
白神山地に住み着きました。
クイズダービーでおなじみだった学習院の篠沢教授は、ケルト専門家・フランスの研究者です。
ハリーポッターの魔法使いは、ケルト人の間では、民間治療薬(薬草)の伝承者でもありました。
篠沢教授は「ケルトのイメージ」はフランス文明の基層になっている…と述べており、実に興味深い。
http://yaplog.jp/wagaai/archive/15
篠沢教授は、ケルト民族のシンボルが描かれたペンダント、マフラー、ショルダーバッグを身につけ登場!
これらのグッズがどこで売られているかというと、フランス北西部に位置するブルターニュ半島。
実は、フランス人の先祖は全員ケルト民族なのです。
紀元前1世紀、ケルト人が住んでいたブルターニュを、ローマのジュリアス・シーザー(フランス語でJules César)が征服しました。と同時に、人々はケルト語を捨て、ローマ人のラテン語を話すようになりました。それがフランス語の始まり。ブルターニュ地方は、フランス語の発祥の地なのですね。
ケルト人は、ローマ人侵略以前にすでにブルターニュ半島に住んでいたと言われています。
アングロ・サクソン人がヨーロッパの至るところに建国していった5世紀頃、西ローマ帝国を滅亡させ、
更にイギリスの島々に続々と入って行き、ケルト人をウェールズやスコットランドに追い詰めていき、自分たちはロンドンなどの平野部を支配していきました。
行き場を失ったケルト人は、船でブルターニュへ渡り移住してきます。(※ブルターニュの地名の由来は、イギリスのグレート・ブリテンに対する“小ブリテン”なのです)
ローマに征服されて数百年経ち、ケルト人でもラテン語を話すようになった時代でしたが、このブルターニュ地方にはケルト語のままだったのです。
そんな時代背景があった5世紀フランスを舞台にした本作。当時のフランス(※ガリア地方。ギリシャ語では現在でもフランスのことを「ガリア」と呼んでいるそうです。)
フランスに住んでいたケルト人は、今のフランス地域が「ガリア」と呼ばれていたことから、ガリア人と呼ばれるようになった。
しばらくの間平和に暮らしていたはずなのだが、紀元前2世紀以降からローマ帝国がちょっかいを出し始め、紀元前58年のシーザーのガリア遠征により、ついに征服されてしまった。その時のシーザーの記録集は「ガリア戦記」という。
森林破壊の・・・・・・ローマ人が
大挙移住し、帝国支配が続く。
その間、ゲルマン族やフン族などの侵入が幾度となくあったが。
ローマ帝国時代の建築物は、今でも南フランスに多く見られるようです。
お礼
ありがとうございます。ちょうど現在1巻を読んでいるので、まだまだ先になりそう・・。多分カエサルの巻かな?図書館で読んでみます。 なるほど、そこまでの政策をやったんですね。今のドイツにあたる ゲルマニアはそれが出来なかったという点で、今のフランスと ドイツの差を生むことになったんでしょうね。