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生物の進化。

生物が海から陸へと進化したまではまだ頭で理解しやすいのですが、それから空へ飛ぶような生物が現れたというところがどうも頭じゃ理解できません。 人間が考えればもちろん羽をはばたかせればという考えもありますが、とても原始的な生物に考えがあるとも思えませんし。また、クモなどのように道具(糸)を使ったり、アリのように社会を形成したり、そのように進化するまでのなにか仮説のようなものはあるのでしょうか?

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回答No.2

質問者様が飛ぶ生物を想像できないのは、我々人類が飛べないからでしょう。人類が四足歩行のまま進化していたら、おそらく二足歩行する生物のことを理解できなかったでしょう。飛ぶ生物が理解できないもう一つの理由は、我々の体のサイズです。このサイズになった生物から飛ぶという進化は考えられません。 現在見られる空を飛ぶ生物は、かなり大きなものもおりますが、その先祖はもっと小型だったと考えてはどうでしょう? 体が小さければ高いところから落ちても空気の抵抗により地面に落ちる衝撃は小さくなり、死んだりすることはありません(ネコでも高層ビルの上層から落ちても死にません。死んだり大けがをしたりするのは中層ビルから落ちたときです。着地体勢をとる前に地面にたたきつけられることがあるためです)。そんな動物の中ではちょっとでも空気の抵抗があがるように進化することは不思議なことではないでしょう。そのなかで、空気中を移動する能力を高めていけば、飛行する動物が進化するのはむしろ当然のことと思えます。そして、飛行する能力を得た後で体のサイズが大きくなっていったと考えれば納得できるシナリオと思います。 そして、体のサイズの小さい動物は化石に残りにくいものです。ですから、進化の中間の動物の化石が見つからないのも道理、ということです。 ちなみに、最初に空を飛んだ生物は、コケ植物の先祖の胞子でしょう。羽ばたくよりも、風に乗って飛んだ生物が先に登場したのは確実です。 クモの紡績器官や、呼吸器官(書肺、といいます)は足が進化した物と考えられています(証拠:発生の段階で、足を作ることを命じる遺伝子が働いてこれらの器官ができあがるのです)。体の前半部(頭胴部)の足だけで歩行できるので、体の後半部(腹部)の足が不要になり、別の用途に用いられるようになったのです。生物の進化では不要品の使い回しは常套手段です。クモの糸も最初から巣を作るために用いられたのではないでしょう。これは想像ですが、クモの先祖は最初は住処から落っこちないように足の先から粘液を出して体を固定していたのでは。それが粘液から糸を作るようになり、糸で巣を作り、外敵から身を守る物が現れた(ダニの仲間にこのような糸の使い方をするものがいます)。その後、えさ場から脱落したときに糸を使って元の場所に戻れるように進化した物が出てきた。ここまで進むと、糸の使い方は自由自在に進化できます。 社会性昆虫の進化に関しては、進化生態学とか行動生態学、社会生物学という分野でたくさんの研究成果があがっています。基本的な考え方としては、自分の子孫を残すより、妹弟の世話をする方が、自分と同一の遺伝子を次世代に残せる確率が高い、という状況が、社会性を進化させた、ということです。

noname#103681
質問者

お礼

ん~難しいですね。ちょっと無理があるような... もちろん完璧な答えなんてないんでしょうけど。 参考になりました。ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • furupai
  • ベストアンサー率20% (103/494)
回答No.1

あなたも進化論のうさんくささに、とうとう気づいてしまったのですね。 はっきり言います。進化論とは共産主義の眷属であり、人の心から「神」を取り除くための詭弁に他なりません。 そもそも、偶然の積み重ねで遺伝子が変化し高等な生物に進化したなど、少しセンスと洞察力のある人ならウソだとわかります。 クモが糸を出すには、糸を生成するとても複雑なメカニズムと、それを噴射する器官が全く同時に完全なかたちで、遺伝子レベルで現出する必要があります。 なぜなら、なんの役にも立たない中途半端な器官を持つことは、生存していく上でデメリット以外のなにものでもないからです。 「有利な突然変異」が連続して起こり、より高等な生物になる確率は、もう果てしなく無に近いでしょう。 進化論とは、神を否定し、人間とはデラックスなサルであるとして、人間の尊厳を貶め、人類を無知の状態にとどめておくための唯物論者、共産主義者のカルト的策略なのです。 これを機会にhamaguti02さんも「創造論」に触れてみてはいかがでしょうか。

noname#103681
質問者

お礼

『創造論』について詳しく知らないのですが、地球が誕生して生物ができて人間にまで進化する確立はほとんどない。あり得ない、だから『神』が創ったという考えのことでしょうか?時計の部品を全部バラバラに箱に入れてその箱を振り続けて時計が出来上がる確立と同じとかなんとか見たことがある気がしますが。 あり得ないから『神』が創ったんだという考えはあまり好きではありません。あり得ないからという理由だったら、『神』でなくてもなんでもいいからです。 今の私には、突然変異と自然淘汰という考え方の方がまだ納得がいきます。 『創造論』て、キリスト教?ですよね?違っていたらすみません。彼女がキリスト教なので機会があれば聖書など読んでみたいとは思っています。 ありがとうございました。

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