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助詞の「が」と「は」

テキスト「げんき」の14課33ページに、第三者の欲望を予測する例文で「京子さんはクラシックのCDが欲しくないでしょう」という例文が出ています. これは、私は、「京子さんはクラシックのCDは欲しくないでしょう」でないとおかしいと思いますが、どうおもわれますか。色々な文型の辞典や文法の教科書をみましたが、最初のような例文はどこにも出ていません。 よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • tatsuoh
  • ベストアンサー率33% (5/15)
回答No.5

【は】は、いろいろなものの中から、取り出す働きがあります。取り残されたものが意識されると、取りだしたものと取り残されものとが対比されることになります。「朝青龍は強いね」というと、取り残されたものが気になります。「今日はよくやっているね」と言われたら、嫌われていると思わなければいけません。 【が】は、主語を表しますから、そのことを言うだけです。「ぼくがやる」といへば、ぼくがやるのですが、「ぼくはやる」といえば、「Aはやらないけれど」というニュアンスがあります。言葉は状況を映すものですから、「ぼくがやる」と言えば、やりたい者が周りにいることが考えられます。 したがって、【クラッシックのCDが】といえば、クラッシックのCDだけが、問題ですが、【クラッシックのCDは】といえば、クラッシックのCDだけでなく、ジャズやロックも問題にしています。 ただ、推量の表現ならば、「京子さんはクラシックのCDは欲しくないのでしょう」というのが普通ですね。言葉はどのような状況を映しているかと考えないと、可否は判断できません。

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その他の回答 (5)

noname#55158
noname#55158
回答No.6

> 「CDが欲しいでしょう」という肯定文の時の助詞の「が」は正しいと > 思いますが、否定文の時も「が」を使って大丈夫でしょうか。「CDは > 欲しくないでしょう」のように、「は」を使った方が自然のような気 > がするのです。 肯定か否定かよりは、対比すべきものの有無が使い分けの決め手になると思います ( ^^ 【例1】 「褒美にきび団子をやろう」 「きび団子【は】要りません(それより金をください)」 この場合はきび団子とお金を対比しているので、「は」でないとそのニュアンスが伝わりません。 【例2】 「こんな荒れた海で泳ぐなんて、彼は命【が】惜しくないのだろうか?」 この場合は命を何かと対比していないので、否定形でも「が」で通じます。 【例3】 Aさん「Bさんは、クラシックのCD【が】欲しくないの?」 Bさん「クラシックのCD【は】欲しいけど、買うお金がないんです」 Aさんの問いは【例2】と同じです。これはクラシックのCD以外の物が欲しいのかと尋ねているわけではありません。 Bさんの回答は「CDが欲しい」ことと「お金がない」ことを対比して語っているので、肯定文でも「は」を使っています。

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回答No.4

「が」も「は」も助詞として どちらも同じ性質を持っているという説もあります。 専門家でも難しいみたいですよ。 質問文があるとわかりやすいかもしれません。 『京子さんが欲しいのはクラシックのCDでしょうか?』の回答なら「は」を使う方が自然です。 No.2の方の例のように 「は」を使うと「は」の前の言葉を強調し 別の意味を付加する力があります。 京子さんはクラシックのCDは欲しくないでしょう、でもロックのCDは欲しいです。みたいな感じです。 「が」を使うと京子さんは、欲しがってないという欲望、彼女の気持ちを強調したいのです。 欲望を予測するなら「が」であっていませんか? 回答文は正しい使い方だと思いますよ。

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  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.3

お邪魔します。 どちらも正しいですが、 質問者様が指摘されている通り、「は」のほうが自然です。 助詞は助詞でも、「が」は格助詞、「は」は副助詞という分類がされています。 これらについては、2年ほど前に私が投稿した文章がありますので、 それから抜粋したものを下記に示します。 本題と直接関係ない部分が多々ありますが、ご参考になりましたら。 ------------------------------------------- 「が」と「は」には明確な違いがあります。 文法用語では、 「が」=格助詞   → 単に主語vs述語 といった関係だけを表します。 「は」=副助詞  → これは一種の強調であって、そのことに限定されることを表します。 --- 「僕は国語が嫌い。  そして、僕は数学が嫌い。  そして、僕は英語が嫌い。」 ここで、全ての「は」を「が」に戻してみると、 これらの性質を持つ人間が、「僕」しかいないかのように聞こえます。 たしかに、 「父は、この本を買ってくれました」 と 「父が、この本を買ってくれました」 の1つの文同士の比較だけで考えますと、あまり違いが分かりにくいかもしれないですが、 上記の「僕は」の例のように書くと、どうなるでしょうか? 「父は優しくしてくれました。  そして、父は色々なことを教えてくれました。  そして、父はこの本を買ってくれました。」 さて、 「この本を買ってくれる」という部分は、一見、「一つの行為」に限定して書かれているように思えますけれども、実は、そうではありません。 「(本を買い与えるという行為をしてくれるような)性質」を表しています。 よって、 「父は、この本を買ってくれました。」 という文は、実は、 「父は、この本を買ってくれるような性質の持ち主だ。」 の略です。 (「性質の持ち主だ」の部分のバリエーションは、色々ありますが。) そして、「買ってくれる」という行為が、この本に関しては過去のことなので、「買ってくれた」に補正しているだけのことです。 父 ⊆ この本を買ってくれるような性質の持ち主 これは、 おそらく皆さんも、頭の中でそう考えながら、話したり書いたりしているはずだと思います。 ですから、依然として、「は」は「が」(格助詞)とは明確な違いがある「副助詞」なのです。 -------------- 「私はスケートはできない」 これは、 A「私(は/が)スケート(は/を)できない」 B「私(は/が)スケート(は/が)できない」 という2通りに考えることができ、いずれも、上述した私の「法則」に当てはまります。 (文末を「できない人だ」に代えれば良いです。) なぜ、 わざわざA(スケートを)とB(スケートが)とに分類したかと言いますと、 この「スケート」という名詞は、サ行変格活用の動詞になる名詞(MS-IME の単語登録で言えば「サ変名詞」)であるか否かが、明確になっていないからです。 これは、下記の比較で分かると思います。 「私は英語はできない。」 「騒音があると、私は集中はできない。」 正解は、前者がB、後者がAです。 つまり、厳密に言えば、 A「私は、スケートをできない」 B「私は、スケートができない」 としたとき、 Aの「スケート」とBの「スケート」は、(極端に言えば)同音同字異義語です。 しかしながら、サ変名詞であるか否かについては、日本人の脳みその中では明確に仕切られているわけではなく、現代語でも、両者の混同が見られます。

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  • sun_
  • ベストアンサー率37% (51/136)
回答No.2

ちょっと例文を変えさせていただくと 例えば 『京子さんはごはんが欲しくないでしょう』 なら、何か気分でも悪くて食べられない状態を想像しますよね。 『京子さんはごはんは欲しくないでしょう』 なら、ではパンなら食べられそう。と 別の予測ができると思います。 「は」を使うとその言葉を強調し 別の意味もあるかのように予測してしまうので 受け取り方が違ってきます。 対象をクラシックのCDだけに置くために 『が』を使っているのだと思います。

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  • suunan
  • ベストアンサー率14% (224/1569)
回答No.1

「CD〔が〕欲しくないでしょう」 の〔が〕は〔を〕と同じ働きです。 これは、比較的に新しく定着した新しい助詞です。 定着したから正しいとなります。 「僕は山が登りたい」 「私はあなたが好きです」 どれも正しい。 所有格の〔の〕は古語では〔が〕であり、 或る時期に現代語に移行し定着したのと同類です。

runmei
質問者

お礼

早速の回答、ありがとうございます。

runmei
質問者

補足

「CDが欲しいでしょう」という肯定文の時の助詞の「が」は正しいと思いますが、否定文の時も「が」を使って大丈夫でしょうか。「CDは欲しくないでしょう」のように、「は」を使った方が自然のような気がするのです。

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