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子供と大人の差異がもっともあること
心理的に、子供と大人の差異が最も広がっていることはなんでしょうか? もちろん個々人さまざまですが、大きくまとめてしまって、総体として考えるとして、どういうことがいえるか、大人になったその人間はどういう価値を持っているのかという感じです。 私個人的には、大人と子供のもっとも大きな差異は、「人間がよくわかってくる」というところにあるのではないかと。子供には、それらを要求される駆け引き交渉はできませんよね。学力ならそこそこ同程度のものが獲得できる気もしますが、この「人間的」な認識の醸成には、まさに「醸成」されるしかないものなんじゃないかと考えますが、どうなんでしょうか?
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「欲望」に勝てる「理性」が、身についていること。 「他者への思いやり」などの、「人間力」が、身についていること。 が、「大人の条件」かと思うのですが・・・。 やはり、「経験」や「他者とのふれあい」による「心の醸成」が、必要であると考えます。 今の、「記憶力だけを競う教育体制」では、「大人」は作れないような気がします。 「醸成」させるのは、私たち「大人」の役目のはずなのですが・・・ 人を育てられない「おこちゃま大人」が、増えてしまった気がします。
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- ucok
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#2ですがお礼を拝見しました。そうですね。特に#2欄の回答と矛盾はしていないと思います。余談ですが、ここは議論の場ではないので、お礼欄の使い方に注意しないと、せいかくのご質問が削除されかねません。
- harepanda
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子供のほうが先入観にとらわれず、自由に発想することだと思います。 ますます必要とされる知識レベルが向上し、産業や学問の細分化が進んでいる中では、大人が子供の時と同じように、偏見にとらわれず公平に物事を判断することは難しくなっていきます。 哲学者のヘーゲルは、だいたい、こんなことを言っています。 「理性的なもの、それは現実に有効なものであり、現実に有効なもの、それは理性的なものである。あらゆる哲学は、(偏見に)とらわれない意識と同じで、この確信から出発する」。 ひらったくいうと、「理論と現実は必ず一致する。理論と現実は違うなどという人は、偏見にとらわれているだけだ」。 私の生きていくうえでのモットーのひとつです。残念ながら、マルクス主義者がこの文章の意味を、思いっきり勘違いしており、「へーゲルは現実の誤った国家を理想視した保守反動だ」という誤解をばらまいてしまったのですが。
お礼
発想する大人も子供もいるし、発想しないのもまた然りだと思いますね。年齢によるものではないのでは。確かに、偏見というものからは自由かもしれませんが、発想となるとまた話は違う。
「心理学的に」ということでしたら、ピアジェの発達理論の中であげられている「保存の概念」の有無と、「抽象的思考」の可能不可能だと思います。 ピアジェの理論は、心理をやる上で一番はじめに習う初歩的な理論ですが、「子どもと大人は根本的に世界の認知の仕方が生物として違う」ということを教えてくれるおもしろい理論だと思います。 もうご存知かもしれませんし、私の拙い説明で誤解を生むと申し訳ないので、詳しい説明は控えさせていただきますが…(ご存知でないなら「ピアジェ」や「発達心理学」で調べていただければすぐに詳しい資料があると思います。とくに初歩的な「発達心理学」の本は、大人と子どもの違いを、いろんな理論の立場から説明してあるのでわかりやすいと思います)。 参考になれば幸いです☆
お礼
よくわかりません。解説していただかないと。
- nisekant
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回答ではありません かなり怒りを覚えたので……大人は人間を分かっていません。
お礼
子供も大人をわかっていません。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
子供のほうが総じて直観力に優れていると思います。大人より思春期、思春期より幼児、幼児より赤ちゃんのほうが、感覚だけで物事を敏感に感じ取る傾向があると思います。例えば、赤ちゃんがワケもなく泣いていると、実は周囲の人の不安を感じ取っていたりするし、中高生が教師や親の誠実さを感じ取る力もすごいです。動物的とでもいいましょうか。 一方で、大人になればなるほど、いわゆる空気を読めるようになってくると思います。それまでは直感にしたがって泣いたり叫んだりしていたのを、「ここは叫ぶところではないな」とか「泣くとマズイ自体になりそうだな」というのが経験からもわかってくるし、感覚的にも研ぎ澄まされてきて、それと同時に自分をコントロールできるようになるので、理性ある行動に結びついていくのだと思います。 「人間がよくわかってくる」というのも否定しません。それまでは勘だけで人を判断していたのが、経験や理性から判断できるようになります。ただ、一方でそれは「偏見」と紙一重にもなってきます。つまり、自分の経験値に驕ってしまい、相手の表面だけを見て、本質を見ようとしなくなるのです。中高年に近づけば近づくほど「偏見」は強くなりがちですよね。なので、今度は、大人として意識的に、自分の偏見をコントロールしていく必要が出てきます。面白いことに、老人の域に達すると、偏見が消えていく人が私の周りでは多いです。赤ちゃん返りなのか、それとも社会的責任が減る分、身構えなくて済むようになるのか??
お礼
そうでしょうか?そんなに大人の直感は鈍りますか。直感と多忙はまた違うのではないでしょうか。誠実を感じ取る力、それはいつの年代にもあるような気がします。その処理量が多くなってしまうので、反応時間がかかってしまうだけではないでしょうかね。空気を読むということと、直感に優れるということは、かなり連動していると思いますね。もちろんほめられたことじゃないです(付和雷同は特に) 老人になると、処理量が少なくなっていくから、あるいは、処理するのに用いる選択肢を少なくしていくから素直になれるように見えるだけではないでしょうか?
お礼
そうですね。やはり、茨の道とか鍛錬とか、通過しないでなんとなく大きく老けちまったやつが多いんでしょうね。