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自害と寺
身分の高い武士(大名など)が寺に入って自害(切腹)した場合についての疑問です。 1・実際に現在でも切腹した部屋が残っている寺社はありますか? 寺側にすれば不浄の場となっているので、解体などして処分して現存していないのではないかと思いますがどうなのでしょうか。 2・大名などの場合、代々の菩提寺は別にあると思われますが、この場合は切腹した寺社に弔われるのでしょうか。
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1、に関しては、むしろ逆だと思います。 不浄だからこそ、供養して成仏させてあげなくてはならないわけで、それをするのがお寺の役目だと思います。 関ヶ原の合戦の前哨戦とも言える伏見城の攻防戦で、鳥居元忠以下300人が自害した血のしみついた廊下を、わざわざ運んできて京都の5箇所のお寺の天井板として再使用してあるくらいですから・・・。 私は、その中の養源院というお寺の血天井を見ましたが、鳥居さんの顔や手足がどうのような状態であったかわかるくらいにくっきりと血の跡が残っています。 また、お寺の説明では、「足で踏むなどもったいないので天井にあげた」との事・・・武士の死の中で自刃は最も名誉のある死ですから、不浄という考えは、もともと無かったのかも知れません。 2、に関しては、正確に統計をとったわけではないので、あくまで私的な印象ですが、お寺で自害した場合はそのお寺に、別の場所で自害したなら近くのお寺に・・・討死の場合も亡くなった場所の近くのお寺にお墓がある事が多いように思いますが・・・
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話が脱線してしまいますが、 日本は自殺を禁止する宗教や文化がなかったので、昔のキリスト教のような「自殺したら教会で葬式もあげてもらえないし、墓地にも埋めてもらえない」のような忌み嫌う感じはなかっただろうと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E8%85%B9 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA#.E6.96.87.E5.8C.96.E7.9A.84.E3.81.AA.E5.8F.96.E6.89.B1.E3.81.84
お礼
脱線歓迎であります。切腹と斬首の微妙な時代差、自殺とキリスト教は興味深い話です。前回答者様お礼の中にも出しましたが、その点、寺社での自害(この場合敢えて自害)は理にかなったものであることが良く分かりました。 回答ありがとうございました。
- kanako2005
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死を穢れと考えるのは神道の考え方なので、お寺では不浄なので解体するということはしないんじゃないでしょうか。 供養のためということはあるかもしれませんが。 2についてはケースバイケースだったようです。 戦国時代には裏切りなどの疑いで切腹を命じられた人の首を、主君のいる場所まで運び、首実検のあと、切腹した人の家臣が自領に葬ろうと持ち帰る途中で腐りだしたので仕方なくそこで葬った。 切腹した寺に葬ったが、後に菩提寺に移した。 などの例もあります。 (どちらも実際に読んだのですが、誰だったかまでは覚えてないのですみません)
お礼
>切腹した寺に葬ったが、後に菩提寺に移した なるほどありえますね。土葬主体の時代だったのでそうしたのでしょうか。不浄の場との考えは前出回答者様ご指摘どおり、逆でしたね。 供養の観点からしたら寺での自害はすぐ葬ってもらえるので逆に有効なのでしょうね。 回答ありがとうございました。
- tanuki4u
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お礼
安養寺ですね。神戸信孝自刃の間も、自刃の短刃も、血染めの軸もあるとありますが、血染めの軸の軸とは「掛け軸」のことでしょうか。それに向かって投げつけたのでしょうか?それとも柱か何かでしょうか。(そこだけ疑問です) その場で供養されたこととのことで、一例ではありますが、良く分かりました。辞世の句は有名ですね。 回答およびURLありがとうございました。
お礼
確かにおっしゃるとおりです。伏見城の例では伏見城は寺社ではないので、養源院などにご供養しているとのことですね。血天井はTVで見たことがあるぐらいです。実際にご覧になったとのことですが、生々しさが伝わってきます。 武士の死は名誉。考えればその通りです。 2については回答者NO1様の例があてはまりますね。 貴重な体験談と回答ありがとうございました。