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後醍醐天皇とチーズ

後醍醐天皇はとてもチーズがお好きだったと聞きました。 くだらない質問でごめんなさい、 後醍醐天皇は、チーズパーティー的な事はしなかったのでしょうか? 1333年の建武の新政とかのあたりに、とかいうのを なんかから聞いたことがあるのですが 根拠というか、信憑性が薄くて…。 わかるかたよろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20256/40157)
回答No.1

701年に制定された大宝律令では官制の乳の戸という一定数の酪農家が都の近くに設けられ、三宮に毎日 三升一合五勺を 供御し、余りは煮詰めて濃縮した、今日でいう練乳のような『酥』と呼ばれる乳製品もつくられるようになり『酥』は精製され、現在のチーズかバター近い『醍醐』に加工されました。 平安時代には、この貢酥の制度が盛んになり醍醐天皇の927年に定められた法典 【延喜式】典薬寮の部には『諸国貢酥の番次』といって関東から九州にいたる諸国を六地区に分け、納める年、数量が決められていて、諸国から貢ぎ物として献上されます。 しかし、古代から平安期にかけては、牛乳や乳製品を口にしていたのは主に貴族でした。 貢酥の制度は、平安時代の終わりごろ戦乱が多くなって、朝廷の勢力が弱くなるにつれて、すたれてしまいます。 官牧は荘園になり、牛は、武士に必要な軍馬の生産に変わっていきました。 保元・平治の乱のあった1150年代には酥は用いられなくなり、後醍醐天皇が貢酥の儀の復興を図られましたが、建武の中興の失敗、天皇の政権失墜とともに1334年ころ記録からも消えてしまいました☆

merika73
質問者

お礼

なるほど、貢物だったんですね。 じゃあパーティー的なことはしてないのかな・・・?

その他の回答 (3)

回答No.4

 醍醐味というのは、相当昔に天上のヨーグルトの味をいうといわれました。何かの本で。  十年ほどまえから、ヒンドゥの聖典バガヴァッド・ギータ(マハバーラタの一部)で勉強していますが、その十章五節第28聖句には  Among weapons, I am the thunderbolt;of bovines, I am kamadhuk, the celestial cow that fulfills all desires. I am Kandarpa, the personified creative consciousness, the cause of childbirths; and I am Vasukin among serpents.という文言があります(ここでIといって我の事は、最高神、ブラフマのこと)。(以下は拙訳)  数多の武器の中にては 雷の光と音  牛族の中にては 全ての願いを叶える天界の乳牛(その乳からの製品は人間の天界への道となる。それは行法による)  蛇族の中にては 個別化にいく創造意識 子を産む起因意識(繁殖意欲)  蛇族の中にては クンダリニ(尾てい骨の末端にあるとぐろをまいている力)      以上ご参考までに。

回答No.3

 いわゆる醍醐味という語源ともなっているのですね。 

merika73
質問者

お礼

はい、そうなんですよねー、 どんなものだったんでしょうかね^^

  • potejin
  • ベストアンサー率18% (2/11)
回答No.2

聞いたことありますよ。パーティーをしたかどうかはわかりませんが・・・。 詳しいことは、他の人が書かれていますが、なんでもめちゃめちゃ美味しいものだったとききました。 一体どんな味だったんでしょうね・・・。興味あります(^^)

merika73
質問者

お礼

そうなんですか、 食べてみたいものです^-^

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