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鉄砲鍛冶の国友善兵衛について
鉄砲鍛冶で有名な国友善兵衛。 彼の前身は何鍛冶なんでしょうか? 刀鍛冶?鎧鍛冶?鉄砲以外で刀や鎧の名作はあるのでしょうか? 存じておられる方、教えてください。 よろしくお願い致します。
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国友の鉄砲師は職務上から代々 「国友」 姓を名乗る事になっており、 本姓は別であったとされています。ご存知かも知れませんが、後代での 著名な鉄砲師である国友一貫斎(国友藤兵衛)、本性は 「辻村」 でした。 国友一貫斎の場合、正しくはフルネームで書くと国友藤兵衛重恭です。 「国友藤兵衛」 の名は継いで名乗るもので、国友藤兵衛家の9代目。 「一貫斎」 とは号(称号)であって、自分自身で名付けたものです。 これに当てはめるとするならば、『国友善兵衛』 には本性が別にあり、 国友善兵衛家として受け継がれた名前である可能性も、否めません。 尚、銃にも銘はきちんと入れられており、例えば件の国友藤兵衛家が銃に 銘を入れる際に用いたのは 『国友藤兵衛能當』。この 『国友藤兵衛』 の後に 付く 『能當』 とは名前などではなく、「能(よ)く当たる」 の意味として名付け られたものです。 いわゆるところでブランド名、キャッチフレーズですね。 この 『能當』 は国友藤兵衛家の独自のもので、他の国友の銃工たちは 通例として 『重當(弾が 「重ねて当たる」 の意味)』 を用いていたそうです。 『国友善兵衛』 が銘を入れていたとしたら、『国友善兵衛重當』 という形に なるかと思います。
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- wazaogi
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『国友鉄砲記』 によれば、国友善兵衛の前身は刀工とされています。 ただ国友筒の最初の製作者・銃工として有名な一方、刀工としての善兵衛は、 その名で銘を切った日本刀などは残しておらず、伝えられていないようです。 おそらく刀工として自身の銘刀を残す前に銃工として確立してしまったため、 日本刀に銘を残すことなく、そういった形になったものと思われます。 国友鍛冶については、あまりにも鉄砲生産地として有名となってしまっているため、 インターネットなどの簡単に検索できる範囲で公開されている文献等は、ほとんどの 場合で鉄砲鍛冶発祥からの歴史しか記されていない事が多く、鉄砲鍛冶以前の 刀鍛冶集団としての国友は実際の資料・文献等で調べた方がよさそうです。
お礼
早速の回答、感謝いたします。 もうひとつ伺いたいのですが、刀工は資料を見ると○兵衛や○衛門といった俗名の下に村正といった名が付いていますが、国友善兵衛の善兵衛は本名なのでしょうか? 資料には善兵衛しかないので本名だと思うのですが、存じていたらお手数ですが教えてください。よろしくお願い致します。
お礼
なるほど。大変勉強になりました。 趣味・芸術アートのカテゴリーに甲冑師の質問も掲載してるので、お時間があったらご覧になってください。 お忙しい中、本当に有難うございました。