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こんな事、ありませんか??

何処にでもある日常で、本当に良くある事だと思うのですが、 このような事は御座いませんか? 現実ばかりでなく、漫画や物語、ドラマ、映画のシーン等でも構いませんので良くありますよね? まあ聞いて下さいませ。 1.「自慢ではないが」と言ってから始める話は、自慢話である。 2.「笑わせるな。」と言っている人の顔は、大抵の場合、笑っていない。 3.物を食べていて舌を嚙んだなら、直後にもう一度同じ所を嚙んでしまう。 4.「無理するな。」と言う方が、却って無理をさせている。 5.やたら人に「男のくせに。」「女のくせに。」だの何だの言っている人は、まるで自分の事を棚に上げている。特に「男のくせに。」と言われている方は、十分男らしいのではないか。誰でも羽目を外したい時位あるだろう。 (100%男らしくなる事も女らしくなる事も無理なのではないか。努力している人間の揚げ足を取るのはいい加減にして欲しいな。人の事を叱咤激励するのも結構な事だが、自分の事を棚に上げてまで言うのはどうかと思う。失敗は誰にでもあるし、軽薄でデリカシーの無い人に、真面目で思慮深い人の気持ちなど解らないだろう。) 6.全ての解決は、新たな問題を生む。 7.性格だけ良い男と、性格だけ良い女は、悪い異性から利用されやすい傾向にある。だから大概、損ではないか。 8.思慮深過ぎると、視野が狭く、視野が広過ぎると思慮が浅い。 9.文武両道の人は、素直でないか、芸術センスが劣る。 10.文武両方とも不得手な人は、周囲にいる誰よりも性格が優しいか、絵が上手い。 11.自分で自分の事をか弱い乙女とか称する者ほど、か弱い乙女ではない。 12.「他の人間なら、もうとっくに怒っているぞ!!」と言う人間が、最も怒っている。 所謂、「マーフィーの法則」的に書き綴ってみた事ですが、如何でしょうか?

みんなの回答

  • pinkmin9
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.4

言葉の変遷もありますよ。古語「おかし」「好き者」とかね。 言葉は時と共に変わって行きます。 同じ言葉でも相手によって情報の捉え方が随分異なったりもします。 「ハードボイルド」と言われる小説を読むと、それは結構解ると思います。 その辺の「意味」として言葉は聞かないと、会話は成り立たなくなくなるでしょう。 また、怒って批判や、けんかしてるのはまだ良いですよ。 笑いながら人を殴ったり、ケンカしてるのは、「危ない人」だからね。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.3

もう一度書かせて頂きます。 もしこの世の中がストレートに分る世の中だったら、きっと大変退屈でつまらない世の中か、あるいはとても危険な世の中になっているような気がします。ものには裏があると言うのが貴方の挙げた例が送っているメッセージでしょう。裏があれば裏の裏があり、そうすれば、裏の裏の裏があり、、、と、途轍もなく複雑で多様で面白い世界が目の前に開けて来ます。私達は驚く事から新しい事を教わったり、新しい世界を見付けたりしますからね。 私は、皆の言っているのとは反対のところに、より深くまたより真実に近いものがあると言う事を思い知らされることを繰り返し経験して参りました。そちらの場合の方がそうでなかったより多いように思います。多分そういう経験をする事を年の功と言うのでしょう。貴方の挙げた例に限りなく幾らでも他の例を付け足せる、創造的で面白い世の中に住んでいた幸運に、我々は何れだけ感謝しても感謝し切れないと思います。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

貴方の質問の趣旨からずれますが、予想外な回答はもしかしたら新しい世界の発見に繋がるかも知れませんので、頓珍漢な事を書きますがお許し下さい。 2番の、「笑わせるな」に付いてのコメントです。 「笑い」と言うもの は、どちらかと言うと楽しいものと受け取られる傾向もありますが、それとは完全に逆な場合もあり得ます。 三百五十年ほど前の日本の借銀の證文に、万が一返済滞るに於いては、「人中にて御笑ひ下さるべく候」と書いた物があったとうことは、有名になっているそうです。 従って、自分の事を他人に「笑わせるな」という要求、あるいは、私がそれを聞いて嘲笑の余り私を「笑わせるな」と言う要求はとても深刻な要求と考えることもできます。 日本人の笑いに付いて、かなり詳しい分析が柳田國男の「笑い本願」でなされています。その中で、 「日本人はどちらかと言うと、良く笑う民族である。上方あたりの人間は懇意な者の為には笑ひ、見馴れぬ人に対しては笑わぬだけの差別を立てて居るが、関東以北では無邪気な者ほど無差別に笑って居る。小泉八雲さんの『日本人の微笑』は有名なる文章である。いつもにこにこして居ることを愛嬌と言ひ、心のやさしい兆候と目して居る以外に、怒った時でも憎んだ時でも、少し笑いすぎるかと思うほど我々はよく笑う。高笑や空笑は社交の一様式をなして居る。宴会などは何でもかでも、必ず笑を以て終始することになって居る。つまり善意にこれを解説するならば、日本人は笑の価値を知って居る国民なのである。」 話が脱線して申訳ありませんでした。

noname#50219
noname#50219
回答No.1

12番はそうでもないと思います。そう言う場合は、目が悲しい。

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