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津田三蔵と山口大隊長の死
大津事件の犯人、津田三蔵が夏に北海道の獄で病死し、八甲田山遭難の責任者山口大隊長が収容先の病院で、凍傷にかかった手でピストル自殺ができたのはどうしてなのでしょうか。
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noname#58790
回答No.1
野営する猿臂(エンピ)、炭などを喪失した為、 中隊は円陣を組んで夜を明かしました。 中央は中隊長。 外が2等兵。 下士官の死亡率に比較して仕官の生存率は極めて高いので非難を浴びました。 仕官はラシャ布の軍服で、兵士は小倉の軍服の上に外套を2枚着ました。軍靴も手袋も違う物です。 山口大隊長は倒れ、兵士2名の補助で行軍を続けました。 兵士なら既に死んでいます。 また、蘇生(手の摩擦以下)など、軍医と共に行動しています。 凍傷も、軽度であったと思います。 通常の兵士は、指が凍傷になった時点でズボンのボタンを外す事が出来ずに放尿して死期を早めています。 指が動く人に頼めなくなった(指が動く人がいなくなった)時点で終わりです。 幹部と言え、小隊長(小隊と行動)など、中隊本部、大体本部以外の仕官の死亡が多いです。
お礼
たいへん過酷な状況です。 兵士というものは、どういう死に方でも受け入れなければならないかという限界点のような話だったという感想を持ちました。そして、この歴史は、そういうものを超えてしまった、なにか語るにも耐えないものであった、その遺族の想い、何より本人たちの想いが重い。