男性社会だからです。
コケティッシュ・娼婦・早熟な少女・聖母
全て男性が女性に望むものの一部分を増幅させたイメージです。
マスコミも芸術も全て男性主導ですから、そうなるのです。
たまに女性作家が活躍しても、しょせん男性社会の枠組みの中での活躍ですから、その女性作家も意識的無意識的にそうしたイメージの生産者にならざるを得ないわけです。
お書きになっている
「女はきれいで男は汚い」
それこそがまさに男性社会の価値観ですね。
本来「きれい」というのは「好き」と限りなく同義語なのです。
誰でも好きなものがきれいに見えるのです。
男性に性的魅力を感じる普通の女性ならば、女性より男性を美しいと感じるはずです。(少なくとも私はそうです。)
にもかかわらず、女性の中にも「女の方が美しい」などと言ってはばからない人がいますが、彼女たちは男性社会の価値観に毒されたかわいそうな女性たちなのですよ。
それだけ男性社会は根が深いのですね。
ただ、男性に対する理想のイメージの類型化が見られる世界もありますよ。
ハーレクインロマンスのような、女性をターゲットにした恋愛小説や、少女マンガ、女性マンガなどの世界には見られます。
冷たいエリートと周囲には思われているけど私には一途な男。
田舎もので粗野だけど私を大事にしてくれる心優しい男。
お金持ちの息子でとてもカッコよくていろんな女と遊びまくっているけど私にだけは本気な男。
全て「私を愛している」というのがセットになるのが、男性社会が生み出した女性の類型とは違う部分です。
これは、男性と女性の生物学的な役目を考えれば納得がいくところです。
男性は極端な話ただ子種を撒き散らせばいいだけの話ですが、
女性はその中から生存に有利な男の子種を選び出して子どもを産んでその男の協力の下育てなければならないのですから。
男は自分のそばにいてくれなければ困るわけです。
それゆえ「私を愛している」というのが類型の必須条件になるわけですね。
というわけです。
お礼
そういう一面もあるのでしょうが 現代は少なくとも、女性が自己表現しても 法的な束縛は無いわけでその中でも 男性が女性に期待するほど 男性に対する類型が生まれないのは何故だろう と思ってしまいます。 ハーレクインとか一部の少女漫画は 類型と言えなくもないかもしれないですね。