遺伝的な話しは他の方が言われてるので、メンタルな面の話しをします。
心理的にも近親相姦を描く必要性があるからこそ神話では描かれてます。
といっても僕も100%は解っていません。
ただ、近親相姦は自己愛です。ある種の依存です。なので完璧な人間で、純粋に人の役に立とうと思っている人以外は、全員心の中に近親相姦的要素があるということです。
それは自己愛そのもので、完全な存在(真の自立)からの、崩れの度合いそのものです。
ある意味で、極論ですが、アル中も近親相姦も同じです。
つまり人はネガティブさを埋める行為としてそういうことをします。
その、近親者といっても、人類は皆近親者です。ただ近いか遠いかの差だけです。
なにが理由で結婚できる範囲を3親等4親等と分けてるかというと、確率の問題であって、そこに内容的境界線はありません。つまり2親等でも100親等でも、濃淡の差はあっても、本質の差はありません。
うまく言えませんねー。
つまり人の根源的ネガティブさー克服すべき不完全さと問題点が象徴として現れているとーそれは世間で近親相姦といわれる物だけじゃなく、同じ性質は、完全な物以外には全員当てはまる物だ、という話しです。(近親相姦といわれていない結婚にも近親相姦的要素はあるという話しです)
まだまとめ切れてなくてすみません。僕自身もう少し考えを推し進める必要性を感じてます。
お礼
非常に参考になりました! ありがとうございます!