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同じ無宗教でも・・・
日本は、一般的には無宗教と言われています。 その他にも、中国も無宗教の国だと聞きました。 中国の無宗教とは、日本のものとはまた違うのでしょうか?
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こんにちは。 以前も申し上げた通り、日本を「無」宗教の国と言うのは多分に無理があるように思います。 恐らくそのように言われる方は「宗教」というもののスタンダードが一神教なのでしょう。 ああいうものでなければ「宗教」とは呼べないのだと。 つまり「西洋文化(しかもやや時代がかったもの)」という眼鏡越しに日本を見ているのでそういうことになるのだと思います。 宗教を専門にしている人はそんなことないでしょうが、存外そういう人は学者などにも多いです。 何でも西洋流の見方で捉える・・まあ、歴史的な経緯からすると多少仕方ない面もあるかとは思いますが。 そういう人のタチが悪いところは自分が何も信じていないということをもとにそれが日本人の普遍的な考え方だと決め付けて、それをまた教える相手に押し付けたりすることでしょう。 個人として何を信じようが信じまいが自由ですが、他人のそれは尊重せねばなりませんし押し付けもいけません。 それはさておき、もし「無宗教」という定義が成り立つとしても日本と中国ではやはり違うでしょう。 共産主義というものは神の否定の上に成り立っているところがあります(だからこそキリスト教国などから目の敵にされたりもする訳ですが)。 ですから基本的に宗教というものを認める訳にはいきません。 「国」としてそうしているところが日本と一番違うところです。 しかしこれは飽くまで「建前」というような部分もあり、今よりずっと厳しかった時代でも大っぴらであるかどうかは別にして神仏を拝んでいる人は沢山いました。 今でも建前としてはそういうものは無かったりいけなかったりということになっているのでしょうが実態はそうでは無い訳で、これは「人工的に無宗教の国を作ろうとしたがやはり無理だった」ということにもなるのではないかと思います。 ソ連などもそうですよね。 結局人々の心からその生活に根ざした素朴な信仰心を奪い去ることは出来ませんでした。 何しろ昨日今日出来たものではありませんから、いくら力でもって捨てさせようとしたところで無理があるというものです。 共産主義というものもずっと機能し続けることが出来ればそれはそれで新しい「信仰対象」になったのかもしれませんが、その年月を耐えることは簡単ではないということでしょう。 日本は「国」として宗教に口出しするのは基本的に極力避けていますよね。 実態はともかく建前上はまずそういう違いがあるという訳です。
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- teinen
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>日本は、一般的には無宗教と言われています。 誰が言っているのですか? 諸外国からは,日本は一般的には仏教国であると言われていますし,実態は儒教の方が浸透しています。(習慣や習俗が儒教に依拠していることを意識しない程にまで儒教が浸透していると宗教学者は言っています。) また,神様・仏様などに寛容な国ですので,多宗教国とも言えます。 私自身は曹洞宗の寺院の檀家ですが,他の宗派の寺院もお参りしますし,神社にも参拝します。 各宗教宗派が文化庁に提出した資料によりますと,それぞれの信者数の総合計が日本の人口の数倍になります。私自身,氏神様の神社の氏子としてカウントされ,菩提寺の檀家としてカウントされ,ボランティア活動の援助をしてくださり,そのお礼としてお参りさせていただいているお寺の信徒としてもカウントされていますので,私1人で3人分にカウントされています。他にも年に1~2回行事案内を送ってくださるお寺(他宗派)の信徒としてもカウントされているかも知れません。 中国は,「宗教はアヘンである」と中国共産党が主張し,あらゆる宗教を否定していましたので,無宗教の国と言われていますが,改革解放政策により,仏教・儒教・道教・キリスト教などの信者が増加しています。実態は無宗教国ではありません。 No.2の回答者がおっしゃっているとおり,外国で「私は無宗教です。」なんて言ったら「やばい奴」というレッテルを貼られます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 日本人は仏教や神道の影響を受けているというのは聞いていました。 でも、それを宗教だと認識せずに無宗教と言ってしまう人が多いような気がして、 それで『一般的には無宗教』と使わせて頂きました。 語弊があったのなら、申し訳ございません。 私自身、一昔前は自分も日本も無宗教だと思っていましたが、 最近になって実は多宗教な国なんだなと分かってきました。 中国の無宗教は、共産党などが関係してくるようですね。 それでも、儒教や道教は根底にあるみたいですね。
- AC-130V
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中国の場合そもそも共産主義自体が宗教を否定してますのでそういった関係でそう言われているのではないでしょうか? 日本に関しては無宗教というよりは無意識宗教である、と私は思っています。 家に仏壇があり、葬式ではお経をあげてもらい、受験では神頼みし、車にお守りをつけ、立ち小便が多い所に小さな鳥居をつけたら全く無くなりと日本人が宗教を意識している行動は多々あります。 なのに日本人が無宗教と言うのはつまるところ欧米にあるような「何か特定のある宗教や神を贔屓にしているわけではない」という事につきると思います。 余談ですが欧米でもし上のようなつもりで無宗教と言うと大変危険です、欧米では無宗教=何か別にやばい考えを持ってる人、と認識されてしまうからです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 共産主義は宗教を否定しているのですか。 日本人の言う無宗教と、共産主義の無宗教の違いが何となく分かって来た気もします。 欧米で無宗教と言うと危険だっていうのは知っていました。 私には、どうも無宗教=危険という考え方のほうが難しいですね(^^;)
- cabin504
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個人的な憶測ですが・・・。 もし、貴方のおっしゃる通りなら 日本の無宗教は、宗教に関心がない。 中国には、宗教そのものがない。 ではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 宗教がないのと、宗教に関心がないのとではまた違ってきますね。 中国の宗教は元は何だったか気になります。
お礼
mapato様、いつもご回答ありがとうございます。 とても参考になります。 日本をあえて無宗教と言ったのは、NO3の方のお礼欄で申し上げたとおりです。 共産主義は神の否定の上に成り立っているんですね。 では、キリスト教圏出身のマルクスもそうだったのかなと思うと不思議な気持になります。 中国は国として無宗教とし、日本は宗教を口出しするのは避ける・・・ 「国」として、そうしているのなら規模も違いますよね。