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大燈国師の遺偈?

 白隠禅師様の書として伝わる、  汝等諸人来此山中 為道聚首莫為衣食 無有肩不着無有口  不食只須十二時中 向無理会之処究来 究去光陰如矢慎莫  雑用心勉旃々々  応宗等禅人之需  沙羅老衲八十三歳書  は、大燈国師(宗峰妙超大師)様の遺偈であると、認識しておいてよろしいでしょうか。どうかお教え下さい。    「肩あって着ずということなし 口あってくらわずということない」と倉田百三(阿部次郎さんだったかな)さんだったか、作品の巻頭に引用され、(法蔵)とい注記していたかのように、記憶していまして、http://iriz.hanazono.ac.jp/hakuin/rekihaku/index.htmlを捜して、どうも私の記憶が違うようだと思ってきたものですので、どうかお教えくださるようお願い申しあげます。

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回答No.1

大燈国師の遺偈といわれるものは、 截断仏祖、吹毛常磨。 機輪転処、虚空咬牙。  仏祖を截断して、吹毛常に磨す。  機輪転ずる処、虚空、牙を咬む。 です。 挙げておられるURLを見ましたが、この白隠禅師の書は、大燈国師の「示衆」となっています。 「示衆」とは、師家(禅宗のお師匠さん)が、弟子に説法することを言います。大燈国師が、通常の説法(学校の授業みたいなもの)をされた時の言葉が語録などに残っていますので、そのうちの一つを白隠禅師が書にしたためたものでしょう。 大燈国師の言葉であることは確かなのでしょうが、挙げられている白隠禅師の書は「偈」の体裁をなしていませんし、大燈国師の遺偈は、私が上記に挙げたものといわれていますので、「遺偈」ではありません。

krya1998
質問者

お礼

 早速に有難う御座いました。まだ判りませんが、凄まじい字が連なっている感じです。禅宗のご修行の生半可ではないことの現われをまた、感じなければ為りません。

krya1998
質問者

補足

 身、寛くなり締り、暖かくして冷気に満たされております。  ご紹介の大燈国師の遺偈には、初見参なものでして、ありがたい。  無論、意味も全く未理解です。  正しいことが判り、人生の楽しみです。  有難う御座いました。

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  • cabin504
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回答No.2

興禅大燈国師遺戒です。 修行者の道しるべとして 書かれたものです。 臨済禅のお経本には必ず書かれていますよ。

krya1998
質問者

お礼

 早速に有難う御座います。  大燈国師(宗峰妙超大師)様のお言葉として理解・認識できたことを喜び、釈尊の修行中のお名前、中国と日本の法藏様のことは今は措くことにします。  多分愛と認識の出発だったと存じますが、その中に引用されていて、法藏という注があり、格好いいなと思っておりました。58年前高一。  58年ぶりに、記憶を正すことが出来て嬉しく存じております。

krya1998
質問者

補足

 有難う御座います。  歴史で糧を拾っているものでも、この道の修行のものでもなく、単に、生まれてきている人間として惹かれただけです。  ですから、遺偈ではなく、講義録や遺戒であっても私にはいいことで、自分の旅路の出会いです。

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