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神様って本当にいる!?

私は、なにかと嫌なことがある度に近くの神社に足を運び、おまいりをしてきます。最近感じたのですが、学校をサボったり、お金の無駄遣いなど自分にとってマイナスの行動をすると、後からその分嫌なことが必ず起こることが分かりました。やはり、神様っているもんなのでしょうか?

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  • sheep67
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回答No.6

おおざっぱですみませんが、 いると信じることと、いるかどうか考えることは別です。 考えによって出る結論は、いると仮定すれば旨くいろんなことが説明がつく、だから神様がいるという風に考えることは有意義だ、ということになるんじゃないでしょうか?論理では、これ以上の壁を越えられません。 神様がいると思うと、限りなくいろんなことが上手く行くし説明ができるからとてもいいーというのと、実際にいるのを信じることの間には、紙一重ですが、同時に論理では越えられない溝があります。 つまり神様がいるかどうか疑って考えても、神様はいるのだという結論に限りなく近づきますが、いるということの証明は出てこないです。いるという仮説が成立するということは、多分いないという仮説も成立します。つまり2択になるので、 結局、最後の最後には、信じるか信じないか、という2者択一の問題になります。これは言い換えると、信じる信じないは論理の問題じゃないということです。 ただ論理的に考えることで、この信じるか信じないか、以外の枝葉の問題を振り落とすことができ、それによって純粋にこの2択に集中できます。つまり問題の切り分けができるなーと思います。 ごちゃごちゃした文章ですみません。

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その他の回答 (35)

  • primates
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回答No.26

次の二つの文章から、どちらの考え(神はいるという考えと、いないという考え)も正しい考えだということが分かると思います。 まず、神はいると仮定しましょう。あなたの周りのあらゆるものに目を向けてください。今あなたが何気なく見ているパソコンはどうやって出来たのでしょうか。パソコンを造った人、その人を造ったあらゆる生命、すべては46億年前に形成された宇宙という結果に行き着きます。ではなぜ宇宙は出来たか。それは神という無限の力を持った者が宇宙を造り、生命を生み出したからだという考え方。 もうひとつは神はいないという考えです。私はどちらかといえばこの考え方なのですが。先ほど私は、すべては46億年前に形成された宇宙という結果に行き着くと言いました。しかし、それは単なる偶然で神自身の心によって、編み出されたものではないというのが、神は存在しないという思想です。 どちらの思想にも、正しいと考える人がいることは確かです。私には、どちらかの考えを押し付け、どちらかの考えを消去させる権利はありません。ただ、意見としては神は存在しないと思っています。

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  • taco8ch
  • ベストアンサー率7% (11/146)
回答No.25

実は私もパチンコに無駄なお金をつぎ込むと、 後から決まって、買いたいモノが買えなくなるんです。 いや神様。いますね。これは。

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  • BARUJI
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.24

それは自分の気持ちの持ち方次第でしょう。悪いことをした後、それをマイナスに考えていて、偶然ちょっとした悪いことが起きたり、嫌な事があったりすれば神様が罰を下したというように感じるかもしれません。良いことをして、良いことがあったときも同じようなものです。 まぁ、僕の考えでは自分の心が神様だと思っています。

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回答No.23

世界を解釈するのはわれわれの欲求である。われわれの衝動であり、それらの賛否である。どの衝動も一種の支配欲であり、どれもがその遠近法をもっており、己の遠近法を他のすべての衝動に規範として押しつけたがっているのである。『権力への意志』ニーチェ じゃー貴方の生き方は簡単だね。マイナスの行動をしなければいいのでしょう?マイナスの行動をしなくても、救われない人が大勢いることを証明しなければ、そもそも貴方の指すカミの法則は成立しませんよ。残念でした☆ 幸福の量は決まっているという人もいますが、これも間違い。ただ解釈しているに過ぎないんじゃないかな。

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  • 20132013
  • ベストアンサー率9% (2/22)
回答No.22

良い原因に良い結果が、その逆も、必ずいつかは現れます。 神が創った法則だと信じています☆ 知りたいと感じたその時、宗教書を探してみてください。 幸せに導かれる本に出会えることを祈念して!

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回答No.21

気が付き難いのですが確かに居ます。 貴方の今の意識と対抗している、「意識」を感じませんか?例えば貴方が死ぬのが怖いと、思う時に、永遠なものに憧れが在るかと思います。その時に、貴方に永遠なものを、憧れさせているものが「神様」です。その時に悩みが無ければ、感じにくいかも知れませんが。 例えば、感動している時に、音楽でも、映画を観たときでもいいのですが。その時の気持ちは世界中の人達とのつながりを、感じると思います。良いものを観た時の気持ち。悪いものを観た時の気持ちなどですが。その事は世界共通のものです。人は国を超えて、肌の色を超えて。「魂」の在り方のついては、皆同じものを求めています。 その「感じさせるもの」が「神様です」誰もが持っています。その事に気が付いたのが「お釈迦様です」20世紀に入って、その事は証明されました。1981年の事です。その当時テンカン治療のために「左脳」と「右脳」をつないでいる脳梁を切断するという治療が行われていました。その左右の脳が分離されている「分離脳」を各種の実験をすることによって、得られた結論が有ります。 結論1 左脳に一つの人格が在る、左脳に意識が在る、左脳に意思が在る。 右脳には左脳とは全く異なる人格が在る、意識も、意思も異なっている。 結論2 左脳は誰でもが感じている今の意識である。機能は「言葉」を扱っていて、物事を論理的に組み立ててゆく事、いわゆる「分別」する事が専門の「脳」であるということです。 右脳は言葉を持っていない、論理によらない論理を担当している、いわゆる「直感」「勘」「分別出来ないもの--その中には感情とか芸術の審美眼とか音感とか、早い話が「心を何処にも置かない時に何にでも対応する事」など数え上げたら限が無いほどあります。 それから推論すると 左脳は「有限」の世界を右脳は「無限、永遠」の世界を扱っていることになります。分別できる事は「有限のこと」に属しています。すなわち分別=有限。分別出来ないこと=永遠、と言っても良いからです。 この事を証明するために「禅問答」の話をします。この問題は「左脳」の今の意識、能力では不可能の問題なのです。これは脳の機能の問題なのです。命掛けで取り組む時にだけ答えが用意されています。 この事と、悟りを開く前のお釈迦様と、悩みにもだえている人と、「神経症」「人生苦」にあえいでいる人達と皆同じ事で悩んでいると云えます。それは「禅問答」を左脳の分別心で解こうとしていることなのです。 悩みとは左脳の我が、自分の専門外の解けない問題を抱えて「立ち往生している姿なのです。そのことで、命掛けで計らった時に、自分では解けない事が分かります。その事が分かった時に、右脳の「仏性」が出てきてその問題を解いてくれる、と言う事です。 自分ではどうしようもない問題を抱えてしまった時に、その問題を解決してくれるもの。それは自分の「右脳」にある仏性です神様といっても良いです。頭の半分は神様で出来ています。但し相当分かり難いです。 磨かないと出てこないかも知れません。いつも神と共に在ってその存在さえ、分からないようにしている神は皆の「無意識の世界を」統率してくれている、意識です。

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  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.20

私も高校時代、突発的に授業をサボって地方まで行ってしまったり、大して用もないものを買ってしまった事があります。そのときは悪い事をしたという意識はないのですが、何故か良い結果を得た事は少ないです。やはり心の奥底には罪悪感があったのでしょうと思っています。 神が人の心の中に居るとするならば、それを神と呼んでもいいと思います。そして神社で参拝し、詫びるなり悪い事が起きないよう願うという事は、心の中に居る神に語りかけるということでもあります。

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  • funnylife
  • ベストアンサー率7% (11/140)
回答No.19

いる、と思ってる人には、いるんじゃないでしょうか。いない、って思ってる人には、いないんでしょう。

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  • rurubonpp
  • ベストアンサー率26% (128/488)
回答No.18

もちろん神様はいますが、あなたの場合は「因果応報」というやつですね。神様は関係ありません。 普通神様は霊的な世界にいるのであって、手取り足取り人間の世界に介入するということはありません。人間の世界というか、この世はこの世に住んでいる者の努力によってよくして行かなくてはいけません。神様と接触するには、こちの方から信仰とか修行によって神様の方に出向いて行かないといけません。 神様の中にも修行中の神様がいますが、そういう神様は普通「天」と呼ばれます。英語で「エンジェル」と訳されるのですが、そういう修行中の神様は、ご自分の修行の完成のために多くの人の中から徳の高い人を探して守護したりして徳を積もうとします。 よくヨーガなどでは、「万物の中に神が遍在している」と言いますが、それも真実ですが、この神様は神の中の神で絶対神と呼ばれるものでしょう。しかし、そういう絶対神もこちらから触れようとしない限りは何事もしてはくれません。 神様にも最高の絶対神から末端の天まで色々な種類の神様がいるということをまず理解してください。その働きもまた違います。 それと「この世の法則と神様の働きとは違う」ということも理解してください。この世とかあの世とかの法則を越えた存在が神様であり、人間がこの世やあの世の法則を越えて絶対の境地を得させようとするのが神様の仕事なのです。そして人間がその絶対の境地を望むか望まないかは、その人の自由意志で自らが決めることです。神様は干渉しません。

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noname#82286
noname#82286
回答No.17

定義によるんじゃないんでしょうか?例えばA地点からB地点を神と定義するとそれは神なんです。何もかもが神ではないと定義したらその時点で神ではないんです。だとしら神を信じるほうがいいのかもしれませんねそれとも神に縛られるのは嫌だと思えば信じないほうが徳かもしれませんw http://okwave.jp/qa3680438.html←のNO5

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