• ベストアンサー

ローマ法王はどうして皆男性なのか

どうしてローマ法王はみな男性なのでしょうか。またカトリック教会の重要なポスト(枢機卿など)に女性がついたという話もあまりききません。どうしてでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#49694
noname#49694
回答No.8

 以下の回答はいまいち回答になっていない気がします。  聖書的に原罪を根拠にしておられる人がいますが、これは根拠になっていません。旧約から新約まで男と女の罪を区別するような記述はなく、罪人であるというのは人であるかぎり共通のものです。  問題は聖書の神にとって男と女の区別は何を意味しているのか?ということにあるのです。  それは男は神の象徴であるということです。厳密にいっておきますが、これは男が神であるとか、法王が神だという意味ではありません。あくまで象徴にすぎません。聖書の各書物で主だって祝福された人たちの多くは男ばかり。モーセ、ノア、アブラハム、ヤコブ、イサク、ダビデ、ソロモン、新約は女性もいくらか祝福されていますが、一応中心的な人はやはり男ばかり。ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、パウロなど。  これはただの男尊女卑だったか?私は違うと思います。  実は新約にいくつか男がキリストをあらわし、女が召会にある人々をあらわすというところがあります。あくまで「象徴」です。つまり地上において女が男に服従するということは、人が神に服従することを指すのです。神は権威をおかれ、秩序を保つようにされています。  ですから、年長者を敬えとか、隣人を愛せよとか、ともかく秩序に関わる言葉をいくつか残しています。  ただローマ法王の場合、いくらか議論があります。聖書では女性は男の上に立つなという実質的な記述がいくつか見られますが、それは王様になって支配せよという意味ではないということです。ですからローマ法王という存在そのものが聖書的ではないのです。  現に旧約も新約も、そんなことは一言も書いていません。法王をつくれとか選べといったことです。私個人としてはこのシステムそのものが少々怪しいとつくづく感じるのです。

noname#70507
質問者

お礼

解答ありがとうございます。法王という制度がそもそも聖書的でないとは初耳でした。

その他の回答 (7)

  • puregrape
  • ベストアンサー率25% (12/48)
回答No.7

マタイ福音23:9「まだ、地上にいる人を貴方達の父と呼んではいけません。それは、貴方達の父は一人、即ち空にいらっしゃる方だからです。」                                                                        神父はholy father,即ち聖なる御父の意味です。マタイ23:7は、地上にいる人を父と呼ぶことを禁じています。                                                                       私達の御父は、神様のみです。ですから、神父とその上に立つ法王は聖書から禁じられた人々です。                                                                                                     カトリックの正式な名前は、バチカン市共和国です。約170の国に大使を派遣している人間が作った宗教です。ですから、貴方の質問は聖書の通りに信じる人々には、質問になりません。

noname#70507
質問者

お礼

解答ありがとうございます。いろいろな考えがあるのですね。

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.6

これは、キリスト教の根本教義から来ている制度ですね。 キリスト教は、「世界は神に創造された」と考えます。 そして、土から人間の男(アダム)が作られ、アダムのあばら骨から女(エヴァ)が作られた。 楽園でアダムとエヴァは暮らしていたけど、ある時蛇にそそのかされて神様に禁止されていた「知恵の実」を食べてしまった。さらに、それおアダムに勧め、アダムもその勧めを断り切れず食べてしまった。 それを知った神様は、アダムとエヴァを楽園から追放してしまった。 その後、アダムとエヴァの子孫にもこの罪が血と共に受け継がれている。 その子孫である私たち人類は、この罪を生まれながらにして背負っている。 以上が、重要な教義の一つで「原罪の教義」です。 次に、イエス・キリストが現れ、原罪を引き受けて十字架上で死に、そして復活して人類を導いている。 その導きの担い手が使徒。 その中でも、筆頭にあげられ、かつ「天国への鍵」を託されたのがペトロ。 「あなたはペトロ(岩という意味)。私はこの岩の上に私の教会を建てる。」(マタイ16:17-19) というイエスの言葉があります。 そして、そのペトロがローマで死んだという伝説があり、それを根拠にローマ教皇こそがペトロの後継者であると、カトリックでは考えます。 これが、第二の重要ポイントです。 つまり、「原罪」という教義から「男>女」という順で罪が重い事になります。 しかし、他の方も指摘されていますがこれを短絡的な「男尊女卑」と考えてはなりません。 それを示すように、カトリックでは女性も信仰の対象です(正確には崇敬ですが)。 まぁ、宗教とは思想である面があり、宗教組織とはその思想を反映しているものです。 もし、それを破っては宗教の根幹が揺らぐ事になる。 根幹が揺らげば、宗教自体なくなるかもしれません。 恐らく、女性が教皇の座を求めたら、「宗教改革時代」の再来となるでしょうね。 ただ、今のところ女性はローマ教皇の座を求めては居ないようですね。 女性解放運動の推進者からも、門戸を開けと要求したというのは聞きませんね。 #4の方の補足です。 史実とも伝説とも判断のつかないモノに、「女教皇ジョバンニ8世」という話があります。 女性の身でありながら、男性と偽り聖職に就き、明晰な頭脳の持ち主だったために、教皇に選出。 しかし、2年の治世の後、ミサの時に出産しそれがもとで無くなりました。 ただ、これはヴァチカンの公式記録ではなく、中世の幾つかの史料に散見される話だそうです。

noname#70507
質問者

お礼

解答ありがとうございます。自分には男尊女卑を正当かしているようにしか感じられません。 原罪という教義から「男>女」という順で罪が重い事になります これではどこかのカルトとおんなじですよ。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.5

教皇になるには、枢機卿でなければならない。 枢機卿になるには、司祭でなければならない。 司祭になるには、男でなければならない。 だから教皇は男しかなれないんです。 ではどうして女性は司祭になれないのか。 カトリックの神学校に入るには、男ではければ入れないからです。 では、どうしてカトリックの神学校は男のみしかは入れないようにしたのか。 エイレナイオス、テルトゥリアヌス、エウセビオスの三人は、キリスト教徒の定義づけと、そうでない者の排除に人力を尽くした初期の聖職者。 彼らはいわば聖書の編集主任。 彼らが今日キリスト教徒が読んでいる聖書を作ったわけです。 「えーーー 神様が作ったんじゃないの?」 いえ、残念ながら人間です。 はい。 しかもその偉業がすごいんです。 信仰を追求していたキリスト教初期の著作家たちは、『魔女の鉄槌』の著者らと同じく、教会にとって最大の脅威は  女  性   であるとする意見にしだいに賛同していった。 テルトゥリアヌスによれば、  女 性  はとりわけ  大  き  な  罪  の重荷を背負っていた。 『お前たちの性に対する  神  の  罰   はいつまでもつづく。 むろん罪は消えない。 お前たちは    悪   魔   の   門   である。  最初の女性が作られるときから問題があったことを心に留めておくべきだ。 女は曲がったあばら骨。男にまるで背くかのようんじ曲がった胸の骨から作られた。 それゆえ。女は不完全な生き者である、常に裏切るのである・ おまえはあの禁じられた木に手をつけた者。 神の法を最初に破った者。 悪魔でさえ男をそそのかすのをためらったのに、お前は彼に誘いをかけた。 神の似姿である男をあれほどたやすく堕落させた。 お前達のために人は死すべき者となり。神の子でさえも死ななければならなかった。』 すごいですねぇ。 イエスの磔刑の原因は 女性だ って思っていたんですから、かなりの狂人。 こういう人たちがキリスト教の土台を作ったわけです。 ピサの斜塔も足元に及ばない歪んだ塔。 そしてこの思想がついに<魔女の鉄槌>を生み出す修道士たちを育ててしまったわけです。 狂人が人を狂わせていき、みんな狂人の作った教義に踊る踊る。 狂人の笛の音に合わせて踊りまくって堕ちていく。 で、教皇ってパパってギリシャ語だったかでされていたと思います。 パパ。 恐らくペトロのことだと思うんですね。 ペトロ あるいはペテル・リーベルというローマの町に神について異教時代のローマ神話があった。 この神はミトラ教のペパル・パトルム(pater patrum 父の中の父)と同一の神であり、添え名が転訛してpapa、さらにpope(教皇)となった。 エトルリア時代(紀元前4世紀)にvatis(バトスのことか?)と呼ばれる信託を告げる祭司たちの名をとってバチカンの地名が生じたが、その頃からパテル・リーベルは、バチカン神殿の地下室の一室にあって。「岩」であり「父」である存在(男根柱)とされていた。 ローマのパトリキ(貴族)は、自分達はこの神の父系の子孫であると主張した。 パトリキウスという名前もまた岩を意味する。 バチカンの教皇制度ができた理由は、マタイの「イエスがヨナの息子のシモンに新たにペトロ(岩)の名を与え、この岩に上に私の教会をたてよ」と言った事に由来する。 でも、これは競争相手である東方教会の諸教会に対してローマ皇帝庁の優先権を保つために、政治的策略として、3世紀頃に聖書に書き入れられたもの。 多くの司教管轄区が権力闘争に加わり、その主な手段は贈賄賂、文章偽造、陰謀、聖なる書物に書き入れた巧みな虚と欺瞞であり、神に選ばれたものとして金になる地位をめぐって、競争相手である派閥間で、仮借ない投稿あ行われていた。 というわけで元々は男根岩のことですから、教皇はペニスを持ったものじゃないと駄目なんですね。 じゃあ 他の動物でもいいじゃないか? いえ条件のまず第一である神学校。 人間の男の信者でなければ、入れませんので。 人間が作った組織ですし。

noname#70507
質問者

お礼

解答ありがとうございます。ドロドロですね。

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.4

確かヨハネ8世だったかと思いますが、女性が性別を隠したまま法王になってしまい、それがバレて大騒ぎとなり、公式の歴史から抹消されたとかどうだとか言ったような話を聞いた記憶があります。 いずれにしても、男ばかりの世界ですね。

noname#70507
質問者

お礼

解答ありがとうございます、そのとうりのようです。

noname#96725
noname#96725
回答No.3

ご質問の言外に、特定の立場が男によって独占されるのは間違いではないか、という問い掛けが含まれているように感じます。それに対してお答えします。なお、これは個人的見解であることをお断りします。 カトリックには本来「男が先、女が後ろ」という序列があります。(男尊女卑とは少し違うと思います) そもそも「平等」という考えは近代になってからのもので、古い古い歴史を持ち伝統を守りつづける事に意義を感じる(そんなところに良さがある)宗教などに新しい価値規範を求めるのが正しいかどうか。カトリックでなくても気の遠くなるほど長いあいだ世の中は序列によって構成され、それを固定することが(つまり不平等を維持することが)無益な争いを起こさない賢い方法であると判断されたと理解しています。どちらにしても争いは起こるものですけど。 確かに男女平等は現代においてある意味とても正しいと思いますが、後世に出来たそのコンセプトでもってそれまで営々と積み重ねられてきた長い歴史の意義を断罪するのは、ちょうど東京裁判で日本が「人道に対する罪」という後から出来たコンセプトでもって裁かれたような、そんなシチュエーションと同列にあるような印象を受けます。 とは言え、何にしても物の考え方は少しずつ変わってゆくものですから、かたくななカトリックもいつかは「男女平等」という概念を持ち込むかもしれません。 ご質問に対してそのままにお答えするとすれば; 長い長い歴史を持ち、その伝統を重んじるカトリック界のような考え方からすれば、仮に今良いと判断される事への変革であっても、それは簡単ではないし、その新しい変革と古い歴史の論理的整合性を見つけ出すのに時間が掛かるのではないでしょうか。

noname#70507
質問者

お礼

解答ありがとうございます。回答者さんは序列といっていますが要するにそれ は階級差別のことですね。 カトリックでなくても気の遠くなるほど長いあいだ世の中は序列によって構成され、それを固定することが(つまり不平等を維持することが)無益な争いを起こさない賢い方法であると判断されたと理解しています 自分にはキリスト教はそうした階級差別を神のもとに正当化していたように見えますが。 人間は神のもとに平等ではないというのがカトリックの教義なのでしょうか。

  • KappNets
  • ベストアンサー率27% (1557/5688)
回答No.2

この説明は探さないとなかなか見つかりませんが、下記にあります。 http://en.wikipedia.org/wiki/Papal_election Any baptised male Catholic (except a heretic or schismatic) can be elected by the College of Cardinals. As the Catholic Church holds that women cannot be ordained validly in the sacrament of Holy Orders, and as the pope is, by definition, the bishop of Rome, women have never been eligible for the papacy. 女性は高い聖職にはつけない、法王はローマの司教であり高い聖職である、と書かれています。では何故女性は高い聖職にはつけないかは書かれていません。キリストのいわゆる13人の「弟子」は男性ばかりであったと思いますが、歴史的な習慣、性差別のようなものと解するしかないのではないでしょうか。下記にその点の議論がなされています。 http://www.women-churchconvergence.org/media.htm

noname#70507
質問者

お礼

解答ありがとうございます。理由はないけど習慣的にそうなっているようですね。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

カソリックの神職は男性のみに限られています。(最近になって女性の神職も認められたかもわかりませんが。) 女性は女子修道会の修道女くらいしかいませんし、これらは一般の人々とは隔絶されたものですから、女性がカソリックの主要な神職(司祭、司教など)につくことはありませんので、バチカンの重要なポストにもつけません。

noname#70507
質問者

お礼

解答ありがとうございます。制度上の問題なのですね。

関連するQ&A