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皇軍と臣民。戦中の日本人の人権について
日本人の生来の人情からか人権が明文化されない時代でも、今と変わらない配慮、今と変わらない穏やかな生活を多くの人間が享受してきた歴史が日本にはあります。 歴史的に見て今の日本国内に人権活動というものは必要ですか?
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人がよりよい社会生活を営んでいくには法的に守られた人権と、義理人情に象徴されるみんなが共有する「豊かな心もち」の両方が必要でしょう。昔の日本は義理人情にウエイトがかかり過ぎていたようですし、現代では、「豊かな心持」を忘れて、何事もすべてを法律でという、昔とは逆の偏りがあるように思われます。 これからの日本が目指すべきは、義理人情(豊かな心もち)と、法的な人権保障を程よくバランスさせていく方向ではないでしょうか。 私が言う義理人情=豊かな心もち とは、道徳観・宗教観に裏打ちされた、私権ばかりを主張せず、社会全体の利益にも配慮し、他人を思いやる心といったものです。
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- eroero1919
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すいません。ひとつだけ補足してください。本文では、 >今の日本国内に人権活動というものは必要ですか? となっていますが、題名は、 >皇軍と臣民。戦中の日本人の人権について とあります。聞きたいのは戦時中のことですか。それとも現代の日本のことですか。
- tyr134
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>日本人の生来の人情からか人権が明文化されない時代でも、今と変わらない配慮、今と変わらない穏やかな生活を多くの人間が享受してきた歴史が日本にはあります かなり美化しすぎていませんか? よく、日本の文化として「義理・人情」と言われます。 確かに、そういった文化がはぐくまれてきたのは「事実」でしょう。 しかし、同時に「現代から見たら人権侵害と思われる」事なんてザラでした。 最も良い例が、豊臣秀吉による「太閤検地」とか「刀狩り」。 あれで、農民は農村に、武士や商人は街へ住むことが強制されました。 それをさらに進めた徳川家康によって「士農工商」という厳然たる身分制社会が出来上がりました。 また、キリシタンや一向宗に対する弾圧も熾烈を極めましたしね。 (「現代の目」から見れば立派な「人権侵害」です。ただ、だからといってこれらの「政策が間違っていた」と言うのも誤りです。) しかし、これらの「歴史」を「当時の人は人権意識がない劣った人」と見るのもまた誤りです。 「現在」の価値観で「おかしい」と思うことも、当時の人々にすれば当たり前の事でした。 逆に、当時の人々が「思いもよらなかった」価値観が、「現在」では当たり前です。 「人権問題」は「現在の目」で「現在を見る」べき問題であり、「過去の目」で「現在を見る」のは誤りであり、また不可能事です。 よって、 >歴史的に見て今の日本国内に人権活動というものは必要ですか? の答えは、歴史的に見る必要はありません。 「現在の目」から見れば、必要であると言えます。 ただし、「行きすぎた人権擁護は、逆に人権侵害に繋がる」という「事実」にも目を向ける必要があります。
- kawakawakawa13
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逆に、義理・人情の廃れた現代だからこそ、必要なんじゃないかと思います。 子供の権利を過度に主張する、ジェンダーフリーを過度に主張する、そういったものは害毒ですらあり、止めたほうがいいと思いますが。 逆に、司法制度、警察と検察、そして裁判所と言う組織の中で、人権無視・蹂躙が蔓延っています。 なぜなら、富山の冤罪事件が示すように、警察と検察がつるめば、無罪の人間でも、容易に犯罪者に仕立て上げられますし、逆に、犯罪を無かったようにすることも出来ます。 一度経験するとわかりますが、取調べや事情聴取が可視化できない理由は、そのいい加減さ、理不尽さにあるのです。 鹿児島の選挙違反事件の裁判の過程で明らかになった、不条理の数々は、マスコミ報道により一般に広く知られるようになりましたが、同様のことが広く行われていると思って間違いないでしょう。 また、薬害・公害裁判で、被害者の救済が予算を理由に限定されてきたことも明らかとなっていますし、被害者の人権も置き去りにされています。 更に、生活保護受給者、派遣社員等、問題は山積です。 ちなみに、在日朝鮮・韓国人が、参政権を要求するのは、筋が違います。 また、彼らに対する税金の減免等は問題です。 日本に暮らし、自国に帰ることも無いなら、帰化すべきでしょう。