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「日本人は英語が嫌い」というのは本当ですか?

日本に来ている、とある外国人留学生(スペイン語圏からの留学生)が、これまでの日本での体験を通して、「日本人は英語が嫌い」という結論に達したそうなのですが、日本人は本当に英語が嫌いなのか(英語アレルギーのようなものがあるのか)、皆さんの意見を教えていただけますか? 「日本人は英語が嫌い」の理由は 1) 国の第二言語として英語が採用されていない(過去、英語圏の植民地だったかどうかにかかわらず、世界中の多くの国で、英語は国の第二言語になっています) 2) 小学校での正式科目に英語を取り入れることに、反対意見が多い(フランス・韓国などではすでに、小学校レベルで英語を科目として取り入れており、これは世界的な潮流になっています。) 3) (これは日本の研究者に対して持った感想だそうですが)専門書の多くが翻訳されており、大多数の日本人は英語で書かれた原書を読まない(その留学生の国では、専門書は滅多にスペイン語に翻訳されないので、原書を読まざるを得ないそうです。また、ハリウッド映画も、すぐには翻訳されないので、英語で見ざるを得ないそうです。) 上辺だけで見ると、日本では英語が氾濫しているように見えるのですが、 実際は、外国人から見ると、日本人は英語に対して、一定の距離を置いているように見えるそうです。 結局、日本にいると「生の英語に触れる機会」が圧倒的に少ない、とも語っていました。 日本人は、現状を変えていくように努力したほうがいいのか、現状維持でいいのか、このままでは、ますます日本の国際競争力が低下していってしまうのか、皆さんの意見を教えていただけますか?

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noname#114795
noname#114795
回答No.9

日本の技術は,歴史的に,英語抜きではあり得ませんでした. 競争力はまさに英語を基に作られてきました. 一般の人々はそのことを知らずに恩恵を受けているのです. 海外の技術レベルを知り,交流し,発展させてきました. 一時はドイツ語を学び,ロシア語も大事だ,と.今後は英語が世界語です. たしかに,日本語だけの生活ができれば良いとする人もいてよいのです.世界がどうあれ,穏やかな生活ができればよしと. しかし,国際社会で日本の国の力を保ち強めるには,英語が不可欠です. また,すでに少子化の背景もあり,外国人が大量の労働力として入って来ています.今後も加速度的に増えるでしょう. 日本の英語教師ほど,英語の重要性を認識していないのです.認識しても話せないから,話すことの重要性から逃げるのです.役に立たない範囲の文法英語だけを教えていられる状況を壊したくないので,その抵抗勢力はものすごい反対をします.鎖国と同じです. 人数がまた膨大ですから,力が大きく,改革は困難です.まさに,日本の英語教師によって「知らしむべからず」の状況が作られています.恥を知らないのでしょうか? 英語が大事というとすぐに反論がでます.揚げ足取りや,当てこすりの反論です.建設的なものは一切ありません. これらの反論が,実は教えながら話せない日本人英語教師から出ていることは,極めて不思議なことではありませんか.

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  • Wendy02
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回答No.11

こんにちは。 「日本人は英語が嫌いか?」 それはないと思います。私も、たんに語学が出来ないだけだと思います。言語的に非常に離れた言語を使いこなすことが困難なだけです。しかし、それ以上に、本当の必要性がないからです。日本は、それだけの日本語化させる吸収力があったからです。私が昔、中国の英語教育(おそらくはエリート教育)を聞いたときに、彼らは彼らの文化の中での英語を勉強しているが、決して、米国文化や米国風の人物が登場するものではなく、自国の文化を英語にしていると聞きました。 別に国粋主義者であろうが反米主義者であろうが、英語は英語だと思います。語学が出来ないのが問題ではなく、国を憂う気持ちと、国際意識の低下ではないかと思います。ある意味では、政治責任です。米軍の核の傘の下でのうのうと生きられる私たちは、それほどに脅威を感じていないからです。明治の日本の勢いというのは、決して、英語が出来ないからというものではなかったと思います。諸外国と対等にしようとした努力が、その結果だと思うのです。 日本の今の現状はポストモダンで、高度成長期の終わった社会のあり方だといっている人もいます。いずれは、現在の中国にもその日は来るでしょう。 防衛省にしたところで、米国の政府系の企業にいい様にされてしまって、そこで自分の懐を肥やすだけの役人とか、外務省にしたところで、へんなエリート意識だけで、英語もロクに出来ない役人と、実際の末端の人間だけが走り回っているだけではないでしょうか?その癖、国民は英語が分かりはしないのだから、国際会議の内容の公的発表など不要だとふてぶてしい態度は、一体、何事かと思います。 直接、英語教師にその矛先を向けるのは大人げないと思います。国際人は、語学力の問題ではありません。英語が出来さえすれば何でも良いと思っているような親子もいますが、教育とは、人としての人格形成とか、世界観とか平和について、どう育成するかということだと思います。 英語教育の文法主義結構だと思います。学習段階の初期の生徒さんたちに、教師の資質に、ネイティブ並みに英語が話せたり、TOEIC が何点以上が必要だとは、私は思いません。必要なら、ネイティブの教師の導入を多くすればよいだけのことです。ただ、ネイティブの教師たちを怒らせる原因は、その生徒たちの授業を受ける態度にあったりします。 教師の値踏みしたりすることこそが、教育の質を低下させる原因ではないでしょうか?その親の態度が子供に伝染するのです。 技術を覚えるなら、別に技術を求めればよいのではないかと思います。それよりも、熱意とか情熱とか、その志を育てるのが、教師の本来の姿ではないでしょうか?技術と教育とは別です。私たちは、基礎科学を日本語で学ぶことが出来ます。最初から、外国語で勉強しなければならないということはありません。今の中高生は、科学に興味がなくなっていると聞きます。それが本当に問題だと思います。また、仮に、技術を習得するのに英語が必要だとしても、必要があれば、英語を勉強するようになるわけで、英語が先ではありません。英語とは別のところにあります。 明治の教育でも、国際人として通用する人間は立派に育ちました。いえ、戦後ソニーやいくつかの企業が海外進出したときに、彼らが、それほど語学が達者だったとは思えません。今の社会というのは、学校に責任を押し付けたり、教師の能力に不満をぶつけるだけで、結局、わが子かわいさかなのか、日本人でもアメリカ人でもないような人を増やすだけで、自分たちの社会や日本がどうあるべきか、考えていないような気がします。もちろん、答えは簡単ではありません。しかし、少なくとも、それに目を向けるだけはしてほしいと思うのです。 国の教育問題を簡単に解決したかったら、中国や韓国のようにエリートを育てればよいのです。 マスコミ報道でみる中国や韓国を引き合いにしたところで、過当競争の中で超エリートを生み出そうとするのは、国策であって、国家のためになる人を養成し政治家や官僚のための、一部の富裕層たちのために教育機関を設けるだけの話ではないでしょうか?その癖、同じように、汚職に走ったり、関連企業に優遇を払ったりするのは、日本と同じではないでしょうか?また、シンガポールなどのように、小学生くらいから、もうエリートとそうでない人を分けた教育をすればよいのかもしれません。今の日本の中流の上意識から、完全に隔絶する階層的社会を作れば、国家として対面を保てる人間は確保できます。 しかし、反面、中国人学生の非道な殺人行為とか、韓国人学生の銃乱射事件とか、日本や海外で犯罪を犯す若い人などは、それが彼らの社会や教育の裏側の姿ではないでしょうか? 今の英語が必要だと思うのは、一種のグローバリズムという名の米国の市場原理主義が、日本に入ってきたために、肝心な部分が英語になってしまって、国民が、英語の必要性が出てきているからではないでしょうか?特に、日本の一部の市場は、米国企業によって壊滅状態まで陥っています。米国産の商品が市場を独占してしまい、肝心な部分に対して、口出しは出来ないようにさせられ、その中間マージンを一部の企業が利益を得ているわけです。 前の首相の小泉さんの作った一種の路線によって、私たち一般が翻弄されているだけではないかと思います。もしくは、今の新聞を含むマスメディアの責任も大きいと思います。市場原理主義の実体というものを報道はしていないからです。アメリカの言っていることが、必ずしも正しいとは限らないのに、それを真に受けてしまうわけです。 言い換えれば、日本の国力や産業力が弱体化したから、英語が必要と感じているのではないでしょうか?西ヨーロッパの国々が、日本と同じような現象が起きているのでしょうか?一国として、日本は駐留軍が統治していない現在では、万民が英語が必要とは思わないです。最低限の英語の解読力さえあればそれでよいと思います。語学が堪能でなくても、十分に国際人として通用する人はいます。また、英語の専門、フランス語の専門、ドイツ語の専門の優秀な人間がいれば、それはそれで済むはずです。ただ、もう「ゆとり教育」と称する学習時間を減らすのはやめ、知識優先の先取り教育もやめ、児童や生徒たちが、覚えることに喜びを感ずるような情熱を取り戻しさえすればよいと思います。 ただし、この未来に期待できる日本であるという前提がなければ、教育には反映してこないかもしれません。

noname#163856
質問者

お礼

ご回答して頂いた皆様、ありがとうございます。 今後の参考にさせて頂きます。

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noname#47281
noname#47281
回答No.10

どうも英語を過大評価している人が多いですが、日本の国際競争力は勤勉さや数学力や外国の思想や技術を取り入れる柔軟さや、手先の器用さなど色々あります。確かに、日本の近代化には英語は不可欠でしたが、それだけでは 決してなしえなかったことです。中国の場合は 中華思想とか共産主義が大きな障害になったようです。韓国は日本よりも思想が偏狭なので これも日本よりも出遅れる原因になったと考えられます。 それと、日本人のすごいところは応用力です。日本人の外国語学習は漢文から始まり、蘭学を経て、近代の英語に至りますが、英語の学習の礎を築いたのはオランダ語です。もし、このプロセスを経ないで、少し遅れていきなり英語が流入していたら、近代語彙の訳語が作られることなく、現在より多くの外来語が溢れ、全体的には英語のレベルも現在よりも高かったかもしれません。しかし、国際競争力は現在よりも低かったでしょう。というのは、英語の知識の差が高度成長期の段階で大きな格差を生むと、ここで格差社会ができてしまい、国民が一丸になって外国に追いつけ追い越せという気運も盛り上がらなかったと思うからです。

noname#163856
質問者

お礼

英語嫌い側からのご意見、ありがとうございます。 その留学生から見ると、日本は、海外から文化・技術・思想などを積極的に取り入れているにもかかわらず、言語(主に英語)については国の第二言語などにすることもなければ、小学校の正式科目になることに反対するなど、消極的になるのが、とても不思議なようです。 また、マクドナルド・クリスマス・ハリウッド映画など、西洋文化が幅広く受け入れられているにもかかわらず、言語については「日本人としてのアイデンティティが失われる」として、過度の流入を危険視し、反対意見が続出するのが、ある程度生活レベルで英語が普及している国の人から見ると、とても滑稽なようです。

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noname#47281
noname#47281
回答No.8

その外国人留学生も若干誤解している部分があるようです。 (1)日本人は英語に対して複雑な思いがあるようです。中学や高校では 英語は生徒の嫌いな教科の筆頭に上がりますが、巷では幼児向けの英語の教材も盛んに売られています。 (2)フランスや韓国では小学校から英語が必修ではありません。学校の裁量でまちまちです。また、、小学校レベルで英語を科目として取り入れるのが世界的風潮とはまだ言えません。 (3)日本は翻訳文化が盛んでですからね。でも、専門書にしても一般人には無縁ですけどね。 >日本人は、現状を変えていくように努力したほうがいいのか、現状維持でいいのか、このままでは、ますます日本の国際競争力が低下していってしまうのか、皆さんの意見を教えていただけますか? 現状維持でいいんじゃないですか。英語と国際競争力がそんなに関係あるでしょうか? フィリピンなんかは日本人よりも英語が得意ですが、数学とか物理が弱いので 工業技術のレベルも低いですよ。

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  • kiyocchi50
  • ベストアンサー率28% (456/1607)
回答No.7

No1です。 ちょっと誤解があるようなのですが、私自身は英語大好きですよ。大学受験でも英語の勉強大好きでしたし。 ただ、英語が好きなのは、私自身が外国の方と話をしたいからであって、もし、ポルトガル語が必要なら学ぶでしょう。 とはいえ、文化を無視してなんでもかんでも英語が出来なければ時代遅れ、とか先進国としてどうのこうの、というのには反対なんです。 世界の潮流、というものを意識する必要はあるでしょうけれど、盲目的に「流される」必要はないでしょう。 (こんなことを言いつつ、私は小学生の英語授業に賛成なんですが)

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  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.6

英語を学ぶ意義や意味を、日本人の多くが(それも世界最速のインターネットと携帯を使って)追求できてしまうこと自体、彼らにとっては英語に壁をもってるように見えるのでしょうね。 多くの地域では、英語(もしくは地域を経済的に支配する国の言語)は、生きていくためや商売を続けるための手段であり、言語の習得をあーだこうだ言ってられない世界を見てきたには、日本ははがゆく映ると思います。 まあそれだけ日本にはひま(時間)と生活の安定がある、ということの裏返しかもしれません。 ただGHQ時代に、マッカーサーやその政策にはなびいたが(何万通ものファンレター)、英語にはなびかなかったのは、なにか日本人の根底に日本語や日本の文化に対するこだわりも、あるのだと思います。 ところで国際競争力が低下するかは別として、世界の中で英語の今後の広がりに対して次のように言ったアメリカ人がいました。 「英語は21世紀も主要な言語でありつづける。その理由は、BRICsやVISTAなど新興国の中のうちの成功国で(全部が同じように成功するとは見ていないと思われる)、英語の授業を教育で取り入れる学校や地域の数が増えるからである。経済的に世界とつながろうとするからだ。 また貧しかった国でも豊かになってくると、それまで教えていなかったグレード(級)にも英語の授業を取り入れるようになる。例えば、多くの生徒が大学でしか英語に触れることはなかった国も、生活が豊かになればもっと下の学校で英語の導入が始まる。また英語の放送も増えるであろう。 国内で英語に触れた生徒は、今度はより高い教育を求めて、海外に出る。ビジネスもその英語を用いて行われ、経済活動における英語は衰えることはないためである。」 これを言ったのがアメリカ人であることと、その説は実際に試算したのかどうかはわからないため、話半分で聞いておいてもいいかとおもいます。しかし新興国の中でどの国が実際にGDPなどの数字で、世界の上位にどの程度入り込むかは経済学者の中で予測ができていますし、また数学者の手を借りれば、各地域の英語教育を受ける人の増加率や、ドロップアウト率などを計算し、コンピュータで計算できるはずです。(地球シミュレーターがそれまでは起こりえないといわれていた、南米への台風の接近を予測できたのですから笑) その人も、英語の話者数が世界一になるとは思っていないと言っていました。しかしこのように世界共通言語としては衰えることがない、と述べていました。 おもしろいなと思うのは、アメリカ国内で英語を話せない人がかなり増えていますが、その層はやはり豊かではない(アメリカの価値観でいう)ということだと思います。 ところで、日本も台湾や香港みたいに、チャンネルを回せば24時間英語だけの放送があるだけでも、かなり英語アレルギーが減るのではないかと思います。ただ、日本ではスポンサーはつかないので無理だと思いますが。

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noname#114795
noname#114795
回答No.5

もう一つあって,その方が遠慮して指摘しなかったのかも知れません. 4) 日本の英語教育者のほとんどが話せないことです.その結果,日本の英語教育者は,自分たちの権威付けのための逃げ道として,英語を数学のように文法中心の独特の教科に変えてしまっています.言い換えると,話せないことが恥であり,それを曝したくないために,話さなくてよい英語を教える結果になるのは自然の成り行きです.その結果,本当は英語が好きでかつ英語にあこがれている若者を英語(教育)嫌いにしてしまっています.何年学んでも話せるようになりません.教育者が邪魔しているからです. >日本人は英語に対して、一定の距離を置いているように見える というのは,まさに上の事を指摘されているのでしょう.好きだけれど嫌いだという矛盾を抱え込んでいるのです. 日本国粋主義の「日本は世界的な潮流に乗る必要がない」とか言う人もいますが,日本に閉じこもっていることの不利益は,鎖国がもたらしたことで学んでいるはずです.いまだにこのようなことを言う人がいることが信じられません.外交でも,スポーツでも(柔道のルール変更や,ミスジャッジの甘受),日本は不利益を被っているのです.主張が無い日本なのです.現実を見ている例という観点では,中国や韓国がいかに英語教育に熱心かを直視すべきです.小学校で英語を教えるというと真っ先に反対し,まず日本語を学ぶべきというのは,なんと不思議なことに英語教師自身なのです.自分達の立場を守るためであるのは明らかです.こんな日本の現状に声をあげるべきではないでしょうか.

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回答No.4

動機づけのもんだいかなあ 学校で授業を受けているときは外国語でなく、スパイの暗号を勉強しているような感じでコミュニケーションの手段という実感ありませんでした。 社会に出て外国に行く機会があって初めてことばであることを実感し、 少しでも通じた喜びを知りました。順番逆だったらもう少し真剣に勉強したと思います。 わてががきの頃よりも外国人の方々がいっぱい来ているので、きっかけつかんで好きになる可能性は今の子たちのほうが多いかも。 あときになるのが、学校でやっている英語をそのまま使うとネイティヴにはへんてこな英語になっていませんか?日本語でいうと古文みたいな。 もし本当にそうなら英語教育者や文部省は猛省されたしです。

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noname#118466
noname#118466
回答No.3

スペイン語圏からの留学生というのはおそらく中南米の小国(コスタリカやパナマなど)出身ではありませんか。彼にとっては大学教育が自国語だけで受けられることが驚きではないかと思います。スペイン語圏でもスペイン、メキシコ、アルゼンチンは出版文化が発達しているので外国語に頼る度合いはほぼ日本と同じと考えていいでしょう。 日本と彼の国を直接比較するのは無理があります。中南米には歴然とした社会層があり高等教育を受けるのは一握りの国民です。多数派の原住民や混血層は外国語とは縁のない生活を送っています。(グアテマラ、ペルー、パラグアイなど多数) 南米の大国ブラジルでは日本同様に英語が通じません。理由は簡単、必要性が低いからです。 彼の見解は一部当を得ている面もありますが、基本的なバックグラウンドを無視しており、留学生としては致命的欠陥です。 国際理解を深め異文化を理解するためにもっとも避けなければならないのは、このような単純で皮相的な、或いは自国中心的な見方、考え方です。 >日本にいると「生の英語に触れる機会」が圧倒的に少ない 地勢的に当然なことです。また一般の日本人は日常生活で英語を必要としないからです。彼が不自由に思っても一般の日本人はそう感じていないので問題ないと思いますが・・・ >「日本人は英語が嫌い」? 私はスペイン語圏19カ国での生活経験と旅行経験(仕事や観光)がありますが、英語に関しては日本人の方が理解力(英語を受け入れる)があると思います。熱意に実力が伴わないのは地勢と必要性の違いがあるからです。必要性のある日本人は内外で欧米人と肩を並べて活躍しています。

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  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.2

日本人は英語が嫌いなのではなく苦手なだけだと思います。特に、日本ではディベートの文化がなく、限られた人間の暗黙の了解で物事を進めていく傾向があるため、そもそも母国語(日本語)におけるディスカッションの教育がなされていないのです。だから、日本で生の英語に接する機会が少ないのでしょう。 亡くなった著名なロシア語通訳である米原万里によると、「外国語能力は、本人の母国語能力を超えることは絶対にない」とのことです。私もそう思います。英語力を鍛えるまえに、まず日本人がやらなくてはいけないのは、言葉を使って意見を交換したりぶつけあったりする練習です。日本語ですら議論が出来ない人が多いのに、外国語で議論などできるわけがありません。 日本人が英語嫌いだったら、POPSが英語だらけなのは説明できませんよ。逆に日本語のみの歌詞で出来ている歌のほうが少ないのでは? 国際競争力については様々な角度からの問題があって、ビジネス文化が非常に非効率なものであること、加工貿易では成功しているが金融・サービス部門が先進国としては強い部類に入らないこと、国家の赤字が深刻なレベルにあることなども考慮しなくてはなりません。しかし、言語については、私は心配していません。何十年と立たないうちに、ポータブル通訳機が実用レベルに達するでしょうから。10年前に今の携帯電話の多機能化を予言していた人がいますか?コンピュータ用の通訳ソフトには、現在でもかなり優秀なものがあります。今時の携帯電話は10年前のパソコンより、コンピュータとしての処理能力が大きいくらいなので、同じ勢いでコンピュータが高速化していけば、遠からずポータブル翻訳機は登場すると思います。

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  • kiyocchi50
  • ベストアンサー率28% (456/1607)
回答No.1

日本人は英語大好きでしょうね。これだけの教材があふれているのですから。使えるかは別としてですが。 1)ほぼ単一民族国家で、島国である日本と、多民族国家で国境が陸でつながっている国とは単純に比較できませんよね。そして、第二言語に指定する意味もありません。 2)”世界的な潮流”に乗る必要もありません。私としては別に英語を取り入れても構わないとは思いますが、それだったら、中国語など他の言語も考えるべきでしょう。いつまでも英語が国際語とは限りませんしね。 3)これは、日本人が英語が好きか嫌いかではなく、母国語である日本語で読める環境があるからそっちをとるだけです。 もちろん、原書で読む方が筆者の本当の言いたいことがわかる、というメリットがあることはわかりますが。 生の英語に触れる機会が少ない、というのはどうでしょうか。それは、その人の環境にもよるのでは?周囲に外国人ばっかりの職場であれば、確実に英語に触れるわけですし、ここは{英語圏」ではなく「日本語圏」なのですから、日本語が多く英語が少ないのは「当然」です。 どうも、英語があることが当然と思われている方もいますが、それはおかしいです。 言語はその国のアイデンティティなのですから、国際的に使える人が多かったり、経済大国アメリカで多く使われている言語だからという理由で、変更できるものではありません。 私は、第二言語を学ぶことは大いに結構だと思います。しかし、日本語ありきです。言語を学ぶと言うことは、文化を学ぶと言うことですから、上辺だけの学習にとどまらない言語学習になれば、小さい時からの第二言語習得は意味があると思います。

noname#163856
質問者

お礼

英語は嫌いという立場の方からのご意見、ありがとうございます。

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